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風の上の星

風の上に 星の光はさえながら わざとも降らぬ あられをぞ聞く

日が沈んだばかりの夜道で、自転車をこいでいた。冷たい空気にさらされていたらふと、そんな言葉が頭をよぎった。
藤原定家の歌。
ここは都会だから、見える星の数は少ない。でも冬の星は冴えて光る。
千年前の言葉が映す、千年前のイメージだ。
...本当のことをいうと、頭をよぎったのは上の句までだったけど。

千年。

私は、毎日いろんなものを作っている。
けれど、そのどれもが比較的短時間で消えてしまうものだ。
別に変化や革新はネガティブなことではないし、そもそも長く遺すことを目的としていないものが多い。

せいぜい10年。もって100年。
外側は変わっても、核となる思想は遺るものもあるのかもしれない。
...いや、それも千年後には消えているか。

もし、意図的に千年先も遺すものを、作るのだとしたら、
どういうデザインが必要だろう。
千年後の人々がどんな風に思考し、どんな言葉を操っているか分からない現在から、千年後まで何かを遺さなければならないとしたら。

良いものは時代を越えて遺るというが、実際はそうでもない。定家の歌が今の時代まで遺っているのは、だた優れていて愛されていたからだけではない。
おそらく偶然とか巡り合わせもある。※1
でも何よりも、そこに遺すためのデザインが施されていたからではないだろうか、と私は思う。

藤原定家は新古今和歌集や小倉百人一首の撰者として教科書にもでてくる人物で、自身も優れた歌人である。
そして、平安時代後期、武家時代の足音をききながら、後世に貴族文化を遺すための努力をし続けた人でもある。

たとえば『源氏物語』や『土佐日記』などの書写。
千年前は活版印刷の普及前であるから、書物を広め遺すためには、文字通り筆で書き写していくしかない。膨大な作業だ。

ただ写しただけではない。定家は書写の際、音と文字の対応が混乱していた仮名遣いについて、表記の統一も試みている。広めるために写すのだから、それを受け取った人が読めなければ意味がないからだ。
この時定められた表記法は『定家仮名遣』とよばれ、後世でも広く踏襲されることになる。

国文学を学んだことがある者なら、一度ならず見たことがるだろう定家の字は、ちょっと笑ってしまうくらいクセのある字だ。※2
大きな時代の変わり目に、この美しい文化を途絶えさせてなるものかという強い思いで、時に憤りながら、黙々と、懸命に書き写された書物は、千年前の風景を現代に蘇らせてくれる。

優れたものを選んで書写し続けることと、読みやすい仕組みを整えること。
それが定家のやった、遺すためのデザイン。

今ならどうだろう。言葉を印刷するだけで、千年後に遺るだろうか。
書物として存在すること自体が選ばれた状態だった平安時代と異なり、簡単に写せるようになったから、選んで遺すことが難しくなった今。
定家の歌だって、何もしなければ次の千年は遺らないかもしれない。
遺すための努力を、たくさんの人がしているけれど。

近年、千年後まで遺すことを意図してデザインされたものとして、ひとつ、思いつくものがある。

岩手県釜石市 日蓮宗 日澤山 仙寿院の節分行事「節分追儺会(せつぶんついなえ)」で開催される『新春韋駄天競走』だ。
釜石市街地をスタート地点に、参道を通って本堂までの286メートルの急坂コースを老若男女が走り抜ける。
優勝者は福男・福女となり、仙寿院の節分の豆まきを担当する。兵庫県西宮市 にある西宮神社の開門神事、『福男選び』に着想を得たこの行事※3は、2014年に始まった。

何のために走るのか。
どうして千年後まで遺さなければならないのか。

『新春韋駄天競走』開催のきっかけになったもの、それは2011年に東北を襲った地震と津波だ。

韋駄天競走のコースは、津波の時の避難経路でもある。そして雨が降っても雪が降っても、この行事は開催される。雨が降ろうが、雪が降ろうが、津波はやってくるからだ。

災害の記録を後世に遺して、未来の人々を助けようとする試みは昔から行われている。言い伝えたり、書物にしたり、石碑にしたり、地名にしたり。
それでも千年経てば風化し、言葉も地名も変わってしまう。

どうしたら遺せるのか。どうしたら風化することを防げるのか。
その時注目されたのが、地域に密着した「祭り」だった。
実際、神社やお寺の催事は、何百年、何千年と続いているものが多い。

私は20代の頃、京都の神社の祭事やお寺の行事を取材して、撮影し、ひたすら動画を作るという楽しいバイトをしていたことがある。
その中で、ある神社の宮司の方が言っていた事を今も覚えている。

「祭事は毎年同じことをします。同じことをすることにこと意味があるのですそれが継承するということです。」※4

もともと土地の宗教的な儀式というのは、千年後にも継承されることを意識してデザインされているのかもしれない。

私はニュースでしか見たことがないので、実際どういった経緯で、どんな苦労を経て『新春韋駄天競走』が行われるようになったかは、詳しく知らない。
震災から3年を経て、この行事が始まったことを考えると、その深い痛みと悲しみについて思わずにはいられない。
けれど、実践的かつシンプルな方法で、千年後にメッセージを伝えようとしている人々に、感銘を受ける。

伝わると思う。
伝わって、千年後の人々に生き延びてほしい。

私もいつか、千年後も遺るものを、意図してか意図せずか分からないけど、作る日がくるのだろうか。

風の上の星の光。
そういえば、地上に届くこの光も、はるか昔に放たれた光ではなかったか。
なんだか敵わないな、と思った。

※1
そもそも定家が書写をはじめたのは、後鳥羽上皇と喧嘩して謹慎になったからだし、謹慎していたからこそ、承久の乱に巻き込まれずに晩年を迎えられた。

※2
定家の自筆は文化遺産オンラインなどで見ることができる

※3
震災と津波の記憶を千年先の未来に伝える!

※4
余談だが、別の取材で200年以上続く和菓子屋の主人はこう言っていた。
「同じ味にするために、配合をかえてます。食べる人の感じ方が時代によって違うので」
継承の方法は様々だ。

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