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京都を暮らすように旅した7日間~5日目~(東華菜館、鴨川デルタ、百万遍ハシゴナイト)

あっという間に5日目の木曜日。今日も、この旅恒例の「午前は仕事、午後はフリー」という予定だ。

「スマート珈琲」のホットケーキを朝食に

5日目の朝は宿から歩いて「スマート珈琲店」へ。私もT女史も、根性のある食いしん坊だ。たとえ寝不足でも「1食たりとも無駄にしてなるものか」と、始業までにおいしい朝食を食べることは欠かさない。

T女史はたまごサンドを、私はホットケーキを注文。

この王道でシンプルなホットケーキ。

朝からぺろりとたいらげてしまった。シンプルなものほど料理人の腕が試されるなあと、2日目に「コレクションのオムライス」へ抱いた感情を思い出した。

六角堂のスタバでリモートワーク

その後、T女史と別れて私は六角堂のスタバへ。この日はWEB会議の予定がなかったため、学生時代からお気に入りだったこちらで仕事をしようと目論んでいたのだ。

結論、まあ最高だよね…。

悠久の時を感じる六角堂を前に、どうにもタイピング速度が当社比0.7速くらいになる。3日目に吉田(1日目~3日目の記事にも登場した、今も京都に住む友達)が教えてくれたアップテンポのボカロ曲(スーサイド・パレヱド)を聴き、無理やり速度を上げた。

絶景と絶品中華を、東華菜館にて

仕事を終えてT女史と合流し、お昼は彼女の提案で京都の老舗中華「東華菜館」へ。大正15年創業時からほぼ変わらないという豪奢な建物の屋上へ、日本最古のエレベーターで上がる。

京都の街を一望できる屋上で、昼からビールをキメる。たぶん今の私たち、最盛期の藤原道長と同じくらい最強なのでは?

(堪えきれずひとくちめを飲んでから撮影しました。ええ。)

チンジャオロース、水餃子、酢豚、揚げ団子(餡子入り)を注文。どれもとってもおいしい。とくにチンジャオロースは店員さんがイチオシしていただけある。具材は全部シャキシャキ。あっ、セロリが入っているタイプじゃん、うれしい~!たっぷり入った牛肉も、やわらかく仕上げてある。

チンジャオロースを薦めてくれた店員さんは中国人留学生に見えたが、彼だけベルトがヴィトンだった。中国のお坊ちゃまが、日本の世俗勉強のためにバイトしているのかしら?と野暮な妄想をした。

ちなみに、東華菜館はお手洗いから調度品に至るまで素晴らしくカワイイ。行かれる際はぜひ見てみてほしい。

東華菜館は、私の父にとっても馴染み深い店だ。40年前、京都の苦学生だった父が、年に一度だけ研究室の会合かなにかで「東華菜館」をご馳走してもらえる機会があったらしい。初めて食べたときはあまりの美味しさに感動したそうだ。バイト代も給料もほぼ食に突っ込んできた私は(生意気にも)当時の父より舌が肥えているだろうが、「東華菜館の中華はやっぱり特別だよなあ」と思うのだから、まして清貧だった父の感動は言うまでもない。数年前に父に一度連れてきてもらったので、今度は私がご馳走しようと決意する。

京都は時間軸を超えて思い出や体験を共有しやすい街だな、とつくづく思う。新しいものを受け入れながらも、古くから変わらないものもたくさんある。40年前に学生だった父の「エモさ」を追体験できるのは、京都ならではかもしれない。

このあと、T女史と私は別行動をすることにした。T女史は勉強(エライ)、私は器探しに。四条から三条にかけて器屋をめぐり、懐かしの大垣書店やリニューアルした新風館を冷やかす。

千本三条商店街まで足を伸ばして、目当ての器屋に行くが収穫ナシ。ときめくものと次々に出会える日もあれば、こういう日もあるよね。商店街の中のジェラートを食べてから、T女史との待ち合わせ場所「鴨川デルタ」へ向かう。

鴨川デルタの夕焼けと吉田の告白

京阪の終点「出町柳駅」付近で、高野川と賀茂川が合流して「鴨川」となり、合流地点の三角州は「鴨川デルタ」と呼ばれ親しまれている。

新歓の花見も、飲み会も、夕方の当てどない議論もだいたいデルタで開催された。デルタでの思い出は数知れない。

T女史はスミノフ、私はオールフリーを手にデルタに腰掛ける。T女史曰く、森見登美彦の京都を舞台にした小説「夜は短し歩けよ乙女」で、デルタの先端は「船の帆先のよう」と表現されているそう。彼女はデルタの先端を見つめながら、「大学に入学して、初めて見たときに”本当に帆先みたい”と感動したんだ」と話してくれた。

「デルタに行く日は夕焼けが見られるといいね」と、旅の初日から話していた。すこし雲が厚めだったから、いささか不安だったけれど。T女史と私の日頃の行いが良いためか、素晴らしい夕焼けに恵まれた。

2人ではしゃいでいたら、待ち合わせをしていた吉田から電話が。振り返るとデルタにかかる賀茂大橋の上に吉田がいた。橋の上から、T女史と私を撮影してくれた。

美しい夕焼けに夢中で吉田からの電話に長いこと気づかず、彼は5分ほど橋の上で待っていてくれた。いいやつすぎるだろう、吉田。彼もデルタへやってきて「船の帆先」で乾杯する。

T女史はこれから5年ほど日本を離れるうえに、基本的にその間は帰国できない。彼女が出国前に吉田に会えるのはこの日が最後だ。

感傷的な空気もなくいつも通り他愛のない話をしていたら、吉田が「実は昨晩、●●したんだ」と明かした。おとといの夜、鍋を囲んだ時には何も言っていなかったじゃないか!もう、私もT女史もびっくり仰天で。(※8/15追記:この話について触れることを吉田は快諾してくれましたが、閲覧数が増えてきたので伏字に変更しました)

めでたいねえ、昔ここ(デルタ)で一緒にアホなことしてたのにねえ、なんて祝福と思い出話に花を咲かせていたら、T女史が笑いながら泣き始めた。思い出の詰まった場所で、友人の嬉しい報告を聞けるなんて、感極まるよね。

京都に9年暮らす吉田も「今日はレベルが高い」とお墨付きの美しい夕焼けが終わるころ、デルタを後にした。

百万遍ハシゴナイト

そして我々はホーム中のホーム、「百万遍」へ向かった(早稲田生にとっての高田馬場とか、そんな感じの場所といえば伝わるかしら)。

今日はとことん百万遍の思い出の店を巡ろうと、結論から言うと4軒ハシゴした。なおまだ木曜日である。おばんざいのおいしい「おむらや」、我がサークル御用達のバー「アンナチュラル」、界隈で一番こじゃれたバー「ポスト・コイタス」、最後にビートルズが終始流れる「RINGO」

言語学専攻の吉田による日本語小ネタや、今まで出会った人の中で一番珍しい苗字、子どもにつけたい名前、などで盛り上がっていたらあっという間に深夜1時半。

4軒目では3人ともすっかり出来上がっていた。その証拠に、数あるおつまみの中からフライドポテトを2回も頼んだ。

さすがにそろそろ解散しようという時、T女史が「会えない数年の間に色々変わるだろうけど、今日が楽しかったことには変わりない」と言った。そして言い終わるかどうかのうちに泣き出していた。やめろ、私まで泣きそうだ。吉田、記憶はあるか。

その前に、T女史が優しさと聡明さと思慮深さを結集したような贐の言葉を吉田に送っていた。吉田、覚えているかな。

深夜2時に、ひとけのない百万遍で解散した。

結局9時間ほど飲んでいた計算になるが、楽しい時間はどうしてこう一瞬なのだろう!

大げさではなく、一生忘れられないであろう楽しい夜であった。

6日目はこちらからどうぞ


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