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盛岡は、愛し方が美しい街だった

午前中だけで喫茶店をニ軒はしごしたけれど、歩き回っているからすぐにおなかが空く。お昼ごはんはどうしよう、わんこそばもいいし、評判の焼肉もいいな…と悩んだ挙句「白龍(パイロン)」で元祖じゃじゃ麺を食べることにした。

12時すぎの時点で店の前には10人ほど並んでいて、大半が地元の方らしかった。お昼休憩に地元の方がわざわざ並ぶ店なんて、絶対に間違いないと感じたのだ。

寒風吹き荒ぶ店の前で20分近く待つ。私が鼻をすすっていると、前に並んでいたおばあちゃんが「寒いねえ、何分くらい待つのかしら。あらあなたコートの前のボタンをしめなきゃだめよ、寒いじゃない」と話しかけてきた。

(実際は東北弁だったけど、どうにも文字に起こせない)盛岡市外に住んでいて、用事で盛岡にきたついでに寄ったそうだ。

おばあちゃんが店の人に呼ばれ「じゃあお先にね」と言った数分後、私も入店。カウンター席の一番奥に通される。

店内は昭和28年創業当時の雰囲気そのままで、天井付近には花巻東の甲子園での活躍を伝える新聞記事や、甲子園のタペストリーが飾ってある。

じゃじゃ麺の「小」を一つ注文する。「小」でも〆のスープまで飲めばラーメン一杯分くらいの量だそう。

厨房では80代とおぼしきおばあちゃんが大鍋で麺を湯がいている。その両脇をお兄さんとおばちゃんが固め、おばあちゃんのサポートをしたり、客の注文を取ったりしている。

大鍋から取手のついたザルで麺を掬い上げ、水気を切って皿にうつす。大中小ごとにちょうどいい量の麺を熟練の技で掬っているが、「小」の150〜200gの水気を吸った麺を片手で皿に上げるのは重労働だろう。おばあちゃんの腕には包帯が巻かれていた。

おばあちゃんの手元を見ているうちに私の分がやってきた。

メニューに書かれた食べ方通り、よく混ぜてラー油やにんにくを好きなだけかけて口に運ぶ。美味しい!

〆の「ちいたんたん」も注文すべく、少しだけ味噌を残した。
狭いカウンターで、右隣の地元のサラリーマンの方と譲り合いながら卵に手を伸ばす。

割って溶いた状態で、箸ごと店員さんに渡す。ネギとスープを入れたものが返ってくるので、そこにまた自分の好きな薬味を入れて食べる。


私はカウンターの一番奥の席で食べていたのだが、すぐ横の裏口からご近所さん?と思しきおじさんがやってきて、折り畳まれていた机をカタンと倒して座り「大!」と注文した。店員さんも「あぁこんにちは」と出迎え、「〇〇が新聞に載ったから今日は早く来たんだ」「新聞に載るなんて良いことか悪いことかどっちなの」と手を動かしながら談笑している。
※やりとりは全て東北弁

これが東京での出来事だったら、私はもしかしたらモヤモヤしたかもしれない。(外に並んでいる人がいるのに…とか)けれどこの店では不快になるどころか、飛び交う東北弁が心地よいとさえ思えた。

甲子園出場校のタペストリー、木造の小さい建物、きっと何十年も厨房に立っているおばあちゃん、裏口から入ってきてじゃじゃ麺をすするおじさんによって、この唯一無二の雰囲気が成立しているのだ。

盛岡駅に新しくできた二店舗目があるそうだけれど、私はこれからもこちらの本店に来ると思う。この空間でおいしいじゃじゃ麺を食べるという、590円で得られる唯一無二の体験のために。

店を出てまた街を歩き、本日三軒目となる喫茶店「ふかくさ」へ。

蔦に覆われた外観が美しい。(時をかける少女の、魔女おばさんの家みたいだなあ)と思いながら、そわそわしつつ扉をおすと、本当に魔女おばさんのような素敵な方が「いらっしゃい」とにこやかに迎えてくれた。

私の他に客は誰もいない。窓際の、一等眺めの良い席に通され、コーヒーを注文する。

ここは、お客のイメージにあわせてカップを選んでいると聞いていたので密かにドキドキしていた。

「お待たせしました」と出てきたのは、カッコよくてかわいい、真っ赤なカップ。

驚きととともに、なんだか泣きそうに嬉しかった。お客様のイメージに合わせて…という店に行くと、白地に薄いピンクや黄色の小花が散ったような、とにかくホワホワした可愛らしいものを出されるのが常だった。

もちろんそういう可愛らしいものはそれはそれで素敵だ。けれど、「人からはそう見えているのだなあ」と思いつつ、実際の自分とはかけ離れているように感じていた。

特にこの二年ほどは、元夫と自分の友人との不倫という地獄から這い上がって前に進んできたプライドのようなものがあった。赤く凛としたカップが、闘い抜いた証明というか肯定というか、そんな風に思えた。どうしようもなく嬉しかった。

石油ストーブが静かに燃える音と石油の香り、ラジオと外の風の音だけが聴こえる。ラジオの音楽があまりにも情景にぴったりでその場で調べると、Hemenwayの「祈り」という曲だった。

こんなに贅沢な空間をひとりじめしていいんだろうか、という気持ちだった。「祈り」はすぐにダウンロードした。あれからいつどこで聴いても、あの秋晴れの午後の喫茶店にタイムトリップできる。

店を出ると、目の前の川へ続く階段にコンクリートが置かれている。

何か書いてあるので覗き込むと

おつなことをするなあ。

盛岡駅に向かいがてら、朝とはうってかわって晴天の街を散歩する。最後に、「光原社」に立ち寄った。

ここは宮沢賢治生前唯一の童話集を発刊した出版社の跡地だ。民藝品店や喫茶店「可否館」も覗きつつ、奥へと進む。

宮沢賢治の世界観をここまで再現した空間が作られているの、愛でしかないでしょう。

あまりに静かで幸福な空間に、宮沢賢治ファンでもないのに泣きそうになってしまった。

お手洗いには野山で摘んできたような草花が生けられていた。横には北上川がきらめいている。

たった7時間前は陰惨たる気持ちだったのに、
16時の新幹線に乗るころは多幸感でいっぱいだった。

盛岡は、愛し方が美しい街だなと思う。

宮沢賢治、コーヒー、喫茶店や白龍、そこに集う人々、明治から残る建物たち。べったりした独りよがりの愛ではなく、リスペクトを多分に内包した静かな愛。

盛岡は私にフィットする街だった。私にとって、宮沢賢治の言葉を借りると、まさに「いーはとーぶ」だった。

わずか7時間で盛岡のことが大好きになってしまった。また気兼ねなく訪れられる日がくることを、心待ちにしている。

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