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現役Fラン大生(地域屈指の進学校出身)が語る、Fラン大学での苦痛な「ディスカッション」の実態

こんにちは。人間生活ゼミナールです。

今回は、以前書いた記事の続編として、地域屈指の進学校出身の私から見た、Fラン大学の実態をお伝えしていきたいと思います。

↓ 以前書いた記事は、こちらです。

こちらの記事は、私が大学2年生の春休みに、大学1,2年時の経験をもとに書いたものです。大学3,4年になってからは、これまでの2年間とは異なり、コロナの影響で大学に実際に通えなくなったり、講義科目よりも演習科目が増えてきたりするといった変化がありました。そこで、「Fラン大学の悲惨な実態」シリーズ(?)の第2弾として、大学3,4年次に体験した経験(主にゼミの中の、とりわけディスカッションに関して)を記事としてまとめたいと思います。

すなわち、今回のテーマは、Fラン大学で行われるディスカッションあるあるです。

~以下、(実体験)として、実際に私がゼミで聞いた・体験した発言を記載していますが、発言者が特定されないようプライバシーに配慮して、若干の修正を加えております。~

①反論として、相手の人格を否定する人が多い

一にも二にも、これです。Fラン大学の学生は、とにかくディスカッションで勝ちたがろうとする、相手に「負け(何の?)」を認めさせようとする傾向が強いように思います。

その気概自体は良いと思うのですが、彼らは「勝つ」ために、そして、相手に自分の弱さをみせないために、議論の相手の人格を否定しがちだと思います。

(例)「~という意見の人を気持ち悪い/人間としておかしいと思います」

普通の感覚をお持ちの方であれば、ディスカッションでこのようなことをいわれて、良い気分がする・・・ということはないと思います。実際に、私が言った意見に関して、反論として「そういう意見を言う人は人間としておかしいと思います」と言われたときには、体中の血の気がなくなったように感じました。なぜ、真っ先に人格を否定するのか、否定すべきは意見の中身だろう、と思いました。

たとえ人がどんなにおかしな意見を言っていたとしても、まず否定すべきは意見そのもので、なにがどう批難できるのかを述べるべきだと思います。真っ先に人格否定することは、反論が見つからなくなって追い込まれたときの、幼児じみた「いじめ」です。


②「お前こんなこと知らねぇだろ?」と勝手に決めつけてくるような、謎に自信過剰な人が多い

Fラン大学には、一般的な大学生らしい大学生(恋にバイトにサークル活動に全力!学業はそこそこに!みたいな人)と、T大やK大の学生と同じくらい頭が良いと自分では思っている大学生(何かを勘違いしている人)とがいます。そして、後者がとにもかくにもめんどくさいのです。

実際にゼミの同級生の1人が後者のタイプなのですが、ディスカッションの中で、いつも「なんだコイツ~(ジョイマンの池谷さん風)」と心の中で思っています。

(実体験)注)Zoomでのゼミでの話です。同級生「○○という制度があり、これが××ということを説明できると思います。」私「○○という制度に関して、これまで授業で取り扱ったことがなく、詳しく分からないので、少し説明して頂けますか。」同級生「わかりました。では、スマホでも良いんですけど、あなたはインターネット環境はお持ちですか?」私「えっ、いや今Zoomやってるし・・・(小声)、あ、はい、で今、○○について検索してるんです。」同級生「Yahoo!検索はご存じでしょうか。」私「???知ってます、というか、今○○という言葉を検索してるんですけど・・・。」同級生「Yahoo!検索を開いて頂いて、上の方に検索ボックスというものがあるんですけど、そこに○○と入れて頂いて、『検索』というところをタップしてください。」私「今、○○に関して、公式の△△といったHPを開いてるんですよね。」同級生「検索して頂くと、一番上に公式の△△というページがあるので、そこをスマホの画面をタップしてください。」私「もう見てるんですよね・・・。」同級生「・・・・・・」

これに関して、なぜ同級生は「私」の話を聞かないのか?と思われるかもしれませんが、私にも分かりません・・・。私はまず、Zoomでゼミをやっているのに、「インターネット環境はお持ちですか」と聞かれたことに、雷を打たれたような衝撃を受けました。ネットなしにZoomができるようになったら、どれだけ便利だろうと思いました。

そして、なぜ検索エンジンという存在を知らないと思われているのか(小学校のパソコンの授業で、検索の方法を教わりました)・・・そこまで何も知らないと他者には思われてるのかなぁと少し落ち込みました。


③知ったかぶりをする人がいる

先ほどの②で挙げた、T大やK大の学生と同じくらい頭が良いと思っている大学生(何かを勘違いしている人)である同級生が、とにかく知ったかぶりをするのです。

先ほどの実体験でいえば、私は○○という制度について、その人からの説明を求めたのですが、説明が「公式HPを見ろ」というのでは、あまりに雑すぎる気がします・・・(別にいいじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あくまでその場は、大学でのディスカッションだったので、議論、そして知識を深める場であると思うのです)。

その後、その制度に関して私が「~ではないのか、~ということもありえるのではないか」と追求したところ、同級生はだんまりになってしまい、気まずくなってしまいました。そこで、仕方なく「ごめんなさい!私が間違っていたかもしれません(実は間違っていない)。(検索方法を)教えてくださってありがとうございました!」と言うと、同級生は勝ち誇ったように、「いえいえ!良いんですよ♪」と言ってきました。

相手が最初に持ち出した素材について、深い議論をすることもできず、詳しく教えてもらうこともできず、掘り下げた質問・意見をすればだんまりだなんて、さすがにやりにくすぎます・・・。私自身も、(教科書的に)間違っていないことについて、「間違っていた」だなんて、相手を立てるためとはいえ、本当は言いたくないです・・・。

もし私が同級生の立場であれば、そこで知ったかぶらずに、「深くはよく知らないんです。表面的に、○○という制度があるってことだけ知っていて、それだけを言いたかったんです。それ以上はごめんなさい。」とでも言っておきます。


ちなみに、一般的な大学生らしい大学生(恋にバイトにサークル活動に全力!学業はそこそこに!みたいな人)のゼミ生も半分くらいいるのですが、そういう方々に対して同じように追求してしまった場合、よく分からないときは「ごめんなさい、よく分からないので、(なぜそういう流れになるのか)詳しく教えてもらえますか」と言われることが多いです。そのように言ってもらえる方が、私の説明が不完全であるにしても、そこからさらに議論が発展することが多いので、非常に助かりますし、勉強になります。


④発言の根拠を示さない人が多い

これは、私の所属するゼミの学生のほぼ全員がこれなので、非常に困っています。

文系にしても理系にしても、他者の考え・思想・文献を引用するときは、引用元を示す必要があると思います。私は文系学部の人間なので、より一層引用元を適切に示すことが重要になります。

(実体験)ゼミ生「~~(完全に何かの文章をそのまま朗読している)という見方をしている学者も居ます。」私「それ、どこか教科書とかに書いてありますか?是非教えてください。」ゼミ生「えっと、どこかで前見たんですよね。」私「そうでしたか・・・」

明らかに何か本を読んでいるのに(突然、めちゃくちゃすらすら難しいことを言ってくる)、その本が何かを明かさないのです。自分が何を使って勉強しているのかを、周りの学生には知られたくないと思うのかもしれませんが(手の内を明かしたくない)、引用元を隠すことは「議論」そのものにとっては不利益になると思います。もし知ることができれば、そこからまた討論が発展する可能性があるわけですから。

自分以外の学生のほぼ全員が、引用元を隠しつつ、何か手元にある本の内容を「自分の意見」として読み上げるものですから、私もいつしかそのように引用元を示さなくなりました。これまでは、「○○先生によれば、・・・・・・という考え方があって、、、」と説明していたところ、なんだか自分ばかり損をする感じが否めず・・・・・・。私は心の狭い人間でしょうか。


⑤不適当な意見を何度でも繰り返し持ち出す強情な人がいる

自分が用意した意見に異常なこだわりがあるのか、それとも、それしか用意してこなかったのか分かりませんが、何度も何度も同じ意見(しかも一つだけ)を持ち出す学生がいます。その意見が、反論によって何度否定されようとも、平然とその意見を持ち出してさらに反論してくるので、気の長くない私は、気が遠くなります。


⑥他人の不幸話を持ち出す人が多い

次に挙げる⑦とも関連してくるテーマです。

(実体験)ゼミ生「このコロナ禍で、私は大丈夫なんですけど、私の友人は気軽に進路とかを相談できる人がいなくて、すごく困っているみたいで、すごくかわいそうなんです。」

このような「自分は大丈夫なんだけど~他の人は大変なんだって!カワイソ~!」という論法で意見を述べてくる学生がたくさんいます。なぜ、他者の不幸話をディスカッションに持ち出す必要があるのか分かりません。そもそも、その「他者」がかわいそうかどうかなんて、他者本人が決めるべき事であって、「他者」がいない場で勝手に持ち出して決めつけるべきではないと思います。


⑦他者に対してマウントを取る人(優越性を見せつけたがる)が多い

先ほどの⑥の(実体験)で、太字で示した部分こそが、他者マウント部分です。他人の不幸話をわざわざ持ち出す点も謎なのですが、その際に「私は大丈夫だけど」と、わざわざ自分の幸せ・優越性を引き合いに出してくるのも謎です。

(実体験)ゼミ生1「私は相談できる身近な先輩がいるんで大丈夫なんですけど、他の子はいなくて~笑」
(実体験)ゼミ生2「私は親が学歴高いんで、大学院とかを考えられるんですけど、他の子はそうじゃないみたいで~笑」
(実体験)ゼミ生3「私は他の人よりもインターネットの知識が長けてるので大丈夫なんですけど、他の学生は大学のポータルサイトの使い方すらよくわかんないみたいで、大学からの情報がみれないみたいなんです~笑」

実を言えば、まだまだ(実体験)はあります。

3つめの例なんて、他の学生が本当に大学のポータルサイトを使えていないとしたら、Zoomでのゼミには参加できないですし、大学の課題の締切りすら分からないということになってしまいます。自分の優越性を見せつけたいがために、憶測で他者を「ダメな学生」の枠に当てはめてしまっている例であると言えると思います。

それにしても、なぜ「私は大丈夫なんですが~」とつける必要があるのでしょうか。ただ「心配ご無用だよ!」という意味ならまだ良いのですが、どうしても、その学生の友人などの周辺の人を引き合いに出し、自分と比べることで「こいつらは、こんなに自分よりレベル低いんだよ!自分はすごいんだ!」と流布したがっているだけなような気がします。

このような他者マウント論法を聞くたびに、ディスカッションのテーマから外れている意見だと感じますし(なぜ私情を挟むのか?)、そのような学生を人間として苦手だなと感じてしまいます。


⑧難しめの熟語を並べたがる人・不適当な熟語を持ち出したがる人が多い

熟語って、堅苦しい漢字が並べられているからか、なんだかかっこいい感じがしますよね。しかし、そのようなかっこいいと感じられる熟語も、意味をはき違えて、不適当な文脈にそれをあてはめようものなら、滑稽に感じられてしまいます。

評論・概念・迎合・抽象化・構造化・体系化・矮小化・正当化・不確実性・資本主義・・・などなど、他にもたくさんあります。一見、そこまで難しい熟語ではないのですが、使うべき場所を間違えている学生が多いのです。とりあえず反論として、熟語を持ち出してくる学生が多いのですが、意味を考えてみると「?」となることが多く、結局その学生が何を言いたいのが分からずじまいなのです。

ちなみに、熟語に限らず、カタカナ語を多用したがるということもあります。イデオロギー・アジテーション・プロパガンダ・エビデンス・イノベーション・ソリューション・・・などなど。適切に用いるならば問題ないのですが、これまたカタカナ語を某都知事の如く多用したがる学生もいるのです。ディスカッションにおけるカタカナ語の多用は、人によっては「うざい」と感じられてしまうようですし、意見を無理矢理カタカナ語の意味に合うように当てはめざるを得なくなって、逆に意見の「核」がすっぽり抜け落ちてしまうこともあると思います。私は、気が遠くなりますね・・・またか・・・と思います・・・。


⑨反論の際、論点をすり替えて自分の得意の持論を演説する人が多い

これが一番やっかいなんです。先述した、勘違い系のめんどくさい同級生にありがちな現象です。

(実体験)は、少し専門的で、立ち入った話題なので、プライバシー保護の観点から控えます。一般論としていうならば、相手から反論や質問を受けた際に、その内容に誠実に応えようとしないで、ナナメから見て、自分の得意の持論が展開できるように論点をすり替えて演説したがるのです。反論・質問した人からすれば、どんなに相手が力説していようとも、その内容が自分の反論・質問内容からすれば的外れなのです。それなのに、得意げに論点をすりかえて気持ちよく演説した人からすれば、「これ以上文句は言わせないぞ」「反論してこれないだろォ?」と自信満々なので、扱いに困ります。

ちなみに、このような場面で、私が例の同級生に「いやぁ・・・えっとこれじゃぁ・・・。あ、すみません」と、うっかり不満を漏らしてしまったことがあります。すると、その同級生は、かぁっと怒ったような雰囲気を見せて、何も言いませんでした。やりづらすぎます・・・。

私はこのようなタイプの学生を「論点すり替え仮面」と呼んでいるのですが、攻撃目的で揚げ足を取ってくることも多いタイプので、対応に苦戦しています。また、自分は意見を大して述べないくせに、有利な立場に立ったときに「じゃあ例を挙げてみろよ!」と、(まるでいじめを加勢するように)反論してくることも多いタイプなので、とにかくやっかいです。


⑩子供でも論破できるような反論を高圧的に述べる人が多い

すごくすごく安直な、子供でも論破できるレベルの反論を「~だと思いますが?」と偉そうに主張してくる学生がいます。よく調べたうえで考え出された反論であれば良いのですが、秒で、反射的に反論してくるので、多分そうではないと思われます。おそらく、彼らは反射的に「議論に負けないぞ!」との思いで、とっさに反論を編み出しているのだろうと思います。活発な議論自体は良いことだと思いますが・・・この場合は・・・イマイチです。

(実体験)私「~~ということが問題となってしまっています」ゼミ生「じゃあそういう人たちが自主的にルールを作って、守ればいいだけの話かと思いますが?」私「そういう人たちが自分たちに都合の良い・曖昧なルールを作ったら、守ったってそういう問題はなくならないですよね?ルールは形骸化してしまうと思います。」

私が論破してやったぜ!と、武勇伝を語りたいわけではないです。ただ言いたいことは、私がした再反論なんて、誰でも思いつく内容であるわけですから、強い語気で反論したゼミ生も、そのような反論をすれば、このような再反論が返ってくると分かるはずだと思います。

この(実体験)の後日談として、あのような私の再反論の直後は笑いが起きて私は「ガチだwウケるw」と馬鹿にされ、その後のゼミではずっと総スカンを食らいました。まともな議論をしようとすると、嘲笑の対象になるというのは、辛いですね・・・。


⑪ゼミの先生が議論からドロップアウトしがち

議論とは、どんなに気をつけていても色んな方向に脱線しまくるものだと思います。学生主体の議論であれば、なおさらです。だからこそ、ゼミの先生が、学生の議論の軌道修正をしたり、足りない論点を提示したり、場合に応じて助言したりする必要があると思います。

しかし、私が所属するゼミの先生は、ディスカッションの際には、学生の議論を「放置」するのです。では学生がわちゃわちゃ議論をしている間に、先生は何をしているのかというと、自分の研究を進めているのです。そして、議論が終わると、めちゃくちゃ腹の立つ感想「今回の議論は不毛でしたね!」「今回の議論は意味なかったけど、あえて止めませんでした!」)や、本のあらすじだけを読んで書いた読書感想文くらいお粗末な感想を言ってきます。議論そのものも酷いとはいえ、ゼミの先生もなかなか酷いです・・・。


⑫みんな最初に発言したがる(最初に発言する人が何よりも偉いと思っている)

難しいテーマを扱っている場面や、意見を言い出しにくい、張り詰めた空気の中で、一番最初に手を挙げて発言をするというのは難しいことだと思います。しかし、私の所属するゼミのディスカッションは、このような場面とは全く違います。第一に、テーマが比較的簡単(小学生が議論するようなレベルのテーマもある)で、第二に、そのテーマに対してでてくる意見が、ある程度限られているのです。

そのため、変な話ではありますが、学生による「意見」の取り合いになってしまうのです。だからこそ、我先に発言したがる学生が多く、1番目に発言できることになった学生は、まるでノーベル賞受賞レベルの発見をした学者のごとく、得意げに"既に予想された・ありきたりな・誰もが思いつくような"意見を演説するのです。そして、2番目以降に発言する学生は、口をそろえて「これまでの人と意見は同じです」と言うのです。

私は、「ありきたりな意見」を予想した上で、少し違った目線から見た意見を言えるように議論の準備をしています。そして、ディスカッション本番となれば、大抵用意していた「ありきたりな意見」は発言されてしまうので、少し突飛のないことかもしれないと思いつつも、少し違った意見をあえて述べるようにしています。すると、いつものことなのですが、私の意見に対する学生全体からの同意は得られず(詳しくも聞いてくれない)、司会者からは亡き意見とされ、おまけに「人間ゼミさんは、少し変な意見を言っていて・・・」と変人扱いです。この「少し違った意見」というのは、教科書以外の学術書の記述をもとに考えたもの(曲解はしていません!)でありまして、それを「変だ」と否定することは、その学術書の著名な著者を「変だ」と否定することになるわけです・・・。

ちなみに、別の観点からこのことを考えるならば、このように我先に発言したがる人が多い理由として、高校までの教育において、教員が、1番目に発言した生徒を、内容の精度・正確さを問わず、むちゃくちゃ褒めていたということが挙げられると思います。1番目に手を挙げる者はなによりも偉い・・・思慮深く考える者はダメ生徒だ・・・こういった思考を教員が生徒に植え付けているのだと思います。私の大学には、指定校推薦で入学した学生が多いのですが、指定校推薦をとれたということは、教員から一定水準以上の「お気に入りの生徒」であるということだと思います。こういった学生は、誰よりも早く!発言することで褒められた経験が、成功体験として、身に染みついているのだと思います。それ自体は良いことだと思いますが、大学生になってまでソレはちょっと・・・とも思います。


⑬主語・目的語が抜けている意見が多い

私も意見を言うときは気をつけるようにしていることです。主語・目的語が抜けていると、意見の内容が分からなくなってしまいます。実際のディスカッションで、相手のチームの意見が、主語・目的語が抜けまくっているせいで意味不明なものになっていたので、「これの主語は何ですか?目的語は何ですか?」と聞いてしまったことがあります。ゼミは、日本語を学ぶ場ではないですし、私も日本語の先生ではなく、指摘するのも気が引けますから、最低限文法くらいは整った意見に触れたいと思います。


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以上が、Fラン大学で行われるディスカッションあるあるでした。

大学でのディスカッションは、とにかくやりづらいです。下級生の学生には、「変な意見を言う人」と言われてしまっていますし、意見を言ってもめちゃくちゃ無視されますし、同級生とは、まるで腫れ物に触るようで議論がしづらいですから、ゼミが終わるたびにプチ発狂をしています。他の学生からすれば、私のことが疎ましくて仕方ないのだと思いますが、私は少なくとも人格否定と攻撃はしないので、適当に私を取り扱ってほしいものです。

高校のときは、頭(ペーパーテストはできる・知識はある)は良いが、「" 人間ゼミ"の意見だからおかしいと思う、キチガイの意見は取り入れない」といったスタンスの、人格否定・攻撃先行型の同級生しかいなかったので、それはそれでやりづらかったです。

進学校の高校に行っても、Fラン大学に行っても、平和なディスカッションができず、傷つく・・・ならばどこへ行けば良いのか・・・。

以上が、「Fラン大学での苦痛な『ディスカッション』の実態」でした。


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