神戸に想う
2020年1月17日。
神戸のまちは阪神淡路大震災から25回目の1.17を迎えた。
地震の発生は、寒い冬の早朝。
多くの建物が崩壊し、大火災が発生し、人々の生活を大きく変えた。
大学入学とともに関西に移り住んだ私には
震災の記憶や記録にゆかりがない。
防災の専門機関を有する大学に入学したため
一般教養として阪神淡路大震災や防災・減災について学んできた。
学生のほとんどが震災後に生まれ育ったことに
登壇している講師らは感慨深そうに語っていた。
講義室の大画面で、震災の記録が映されたとき、
胸がえぐれるような思いをした。
いまもまだ現存する当時の状況を保存した施設で言葉がでなかった。
ふとしたときに、教授らや大人の方が話す神戸の当時の記憶に泣きたくなった。
テレビや様々な媒体で流れる被災者の話に耳を塞ぎたくなった。
人々の記憶に残る当時の様子の方が、記録より残酷だ。
プライベートな空間がなく、様々な犯罪があちこちで起こったこと。
外国籍であるからと不安な中、十分な支援を受けられずに生活をしていた人たちが多くいること。
誰のせいでもない震災の中で、家族を失った悲しみはどこにぶつけていいのだろうと、自分を責めている人もきっと大勢いただろう。
どんな状況でも、神戸や関西の人たちは復興に向けて生きてきたのだと思う。
急ぎすぎた復興に、いま課題があることも学んだ。
日本にいる限り、生きている限り、どこかで災害は起こる。
そのとき、私は何ができるだろうか。
まずは、備えることからやってみようと思う。
・耐震性のある家に住む
・避難所やハザードマップの確認
・日頃から「いま災害が起きたらどうするか」を家族と話し合う
・食料などを備蓄する
外国の文化も、震災も、いろんなものを受け入れて乗り越えてきた神戸のまちが好きだ。
だからこそ、いまを生きる自分に何ができるかを知りたいし、できることがあるのなら、微力でも力になりたい。
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