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久坂部羊「人はどう死ぬのか」

 自分は理系の物理主義者だから、人間の魂や死後の世界の存在など信じていない。だから死は単に自分が消えてしまう、時間も空間も無い世界「無」に帰するだけと考えている。以前は自分がこの世にいなくなる事が怖かったが、2年前に食道癌が発覚してから悶々と考えて、人は誰でもいつか死ぬ、勿論自分も例外ではなく必ず死ぬ、恐いことではない、と割り切れるようになった。そう割り切ると、後は実際に死ぬときを物理的にどう迎えるかだ。
 
 最近、久坂部羊「人はどう死ぬのか」を読んだ。作者は現役の医師として、病院で無理やり生かされ、悲惨な最期を迎える人を少なからず見てきたことから、人の最期の迎え方がいかにあるべきか、を述べている。勿論、最期がこうあるべきだとの決まった答えはなく、死にゆく人が自分の人生に満足して、かつ死に際してさほどの苦痛のないことが理想の死に方なのだろう。
 
 今の日本で、人が亡くなる場所は71%が病院で、22%が自宅又は老人ホームだそうだ。大多数の人が病院で死ぬのだが、病院の役割は穏やかに死んでもらう事ではなく、少しでも延命することだから、死ぬ直前は人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎える、といったことも多い(らしい)。
 
 死ぬのは一回だけで練習は出来ないから、事前によく予習をしておくことが肝要だそうだ。日頃苦しんで死ぬのはごめんだと言っている人も、いざと言う時に入院を希望し、その結果、苦しんで逝くことになるかもしれない。又、本人が望まなくても、家族が何としても延命を希望するかもしれない。
 
 私は多分癌で死ぬから、最期は余命六ヶ月などと宣告されることになるだろう。考える余裕はありそうだ。勿論最後まで一発逆転を期待して、ゲノム検査をしてもらい、免疫チェックポイント阻害薬などを試すが、現在の医療で効果があるのは20%程度、だめなら諦めざるを得ない。
 
 無益に苦しみたくはないから、最期は痛みを和らげる措置をしてもらい、それで少しくらい早めに逝っても仕方がない。時期を見計らって監視人殿と息子達にその旨宣言しておこうと、考えている。

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