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両親 15.父は骨折と肺炎

 2007年1月、父は大腿骨を骨折した。正月を横浜の自宅で過ごした両親は3日にホームにもどったが、リズムが狂ったのだろう。5日の朝、自室のベッドから落ち、直ぐ病院に運ばれたが、案の定、左足の大腿骨骨折だった。なるべく早く手術しないと、歩けなくなってしまうのだが、高齢(92歳)でもあり、もともと足元が怪しい。たとえ手術しても、どうなるか分らない。

  兎も角、一日でも早く、ということで、直ちに、手術に耐えられるかどうかの検査をしたのだが、結果意外にも、かなり重度の肺炎だった。老人の肺炎の場合、発熱等の症状がでないこともあり、気がついた時は手遅れ、ということもあるそうだ。

  直ぐに肺炎の治療に入ったが、最悪のケースは、肺炎が治らなく、そのまま・・・のこともあるとか。そうでなくても、早急に快方に向わないと、骨折の手術が出来ない。手術は、11日と決めているのだが、それが出来ないと、たとえ、肺炎が完治しても、片足は完全に使えない。無理に、手術するとしても、かなり危険だとか、麻酔中に体力が尽きて、そのまな・・・の可能性もあるとか。結局、11日の手術は出来なかった。

  内科医が言うには、高齢者の場合、肺炎で2,3週間寝ているだけでも、歩けなくなる可能性が高い。骨折したのは今月の5日だから、手術できても、2週間以上ということになる。歩けるようになるまで回復するというのは、殆ど無理らしい。

  父は口に酸素マスクをされ、足からの点滴で栄養を補給している。私が顔をみせると、うとうとしつつも、なんだかんだと、ぶつぶつ言う。殆どよくわからないのだが、なんとか理解できたのは、布団を胸に引き上げながら、「風邪を引かないようにしなくては」とか、更に、布団から手を出して、「煙草を一本くれ」と言う。死ぬ前に最後の一本を吸いたい、ということらしいのだが、まだ、まだ最後ではないからだめだ、もう少し待てと言ったが、(当然ながら)理解できてないようだった。

 その後20日以上にわたって、抗生物質で治療しながら、点滴で水分と栄養を補給し、うん、うんとうなっていたが、漸く肺炎から回復しだ。大腿骨骨折の手術はできず、左足は使えないのだが、命は永らえたようだ。車椅子で、病院内を移動できるようになり、食事も口から取れる様になった。話もほぼまともに出来るようになり、自分の状況も理解しているようだ。

  歩くことは出来ないし、当面尿は排泄用のゴム管をはずすことができないが、それでも、ホームのほうが、母もいるし、環境がいいだろうから、退院させようということになった。ホームの看護婦さんも診てくれるとのことだし、医師も、定期的に往診してくれる。

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