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インドヒマラヤ地域の自然崇拝をちょっとだけ考察

東京マサラ部で1月はナガランド料理月間なので、同地をぽちぽち調べることにした。調べるうちに、ひとつの写真に目が留まった。『ナガランドとマニプルの精霊信仰』という小磯千尋さんの研究レポート内に掲載されていたミトゥン牛(mithun)の頭蓋骨の写真である。ナガランドのある村の、村長宅の裏庭に置かれていたらしい。

私はこれに似たものをインド北部のラダックで見た。観光でヌブラ渓谷からレー市街へ戻る際、休憩した屋外レストランで見つけた、ヤクを象った置物だ。椎名林檎のギブスのMVに出てくる牛の死神(と勝手に思っている)を彷彿とさせたので何となく撮った。気がする。

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▲ラダックで撮ったヤクの置物

インド最北部のラダックで見たものが何故インド最東部ナガランドに?と思ったが、よくよく確認すると両地はいずれも「Indian Himalayan Reigion(IHR)」と呼ばれる同一地域であった様。案外近かった。

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地理的には同カテゴリで括られているものの、宗教分布のあり様は大きく異なる。ナガランドではキリスト教徒を広く信仰しており(州全体の約90%)、一方ラダックにおいてはムスリム教(約47%)ないしはチベット仏教(約40%)が一般的だ。

またナガランドは、長らくひとつの国でも民族でも存在していたわけではなかった。「ナガ」とはアンガミ・ナガ、コニャック・ナガと呼ばれる多様な民族集団の集合名称であり、60 を超える民族が存在していると言われている。宗教面では、19 世紀にキリスト教宣教団の布教活動によって、90 パーセントもの人々がキリスト教に改宗した(小磯, 2015)。その過程で伝統的なアニミズム的自然崇拝や人生儀礼は否定されていった。踊りや太鼓は禁止され、伝統的な遺品や服は燃やされ、特にナガ族特有の首狩りというセンセーショナルな習俗は「野蛮」な行為として禁止されたのである。

一方ラダックは、歴史を遡れば19世紀前半までおよそ千年にわたり、断続的にラダック王国が支配した地域である。チベット王家の血を引くラダック王国の王たちのほとんどはチベット仏教を信仰し、チベット仏教寺院の主要な支援者でもあったため、各地のチベット仏教寺院は大きな権力をもっていた。14世紀以降、西方から次第にイスラーム化が進み、王がイスラームを奉じた時期もある(宮坂, 2014)。


・・・という訳で、ナガランドでは近代における積極的なキリスト教の布教によって、ラダックでは長らく根付くチベット仏教によって。両地に精霊崇拝や自然崇拝、動物崇拝というものは表立って残存していないらしい。


もう一度、キッカケとなったレポートを読み返してみると、当該写真であるミトゥン牛の頭蓋骨については以下の様に述べられていた。

かつては、動物の首や人間の首には霊力が宿ると信じられ、お守りの意味もあり、家の入口や軒先に飾ったという。また、豊穣・多産への祈願もあったという。聞き取りでは、ミトゥン牛を聖なる動物として崇拝することはないということであったが、ミトゥン・ウシの角を魔除けとしたり、豊穣祈願の意味で戸口や屋内に飾ることは否定しなかった。(小磯,2021)

以上より、インドヒマラヤ地域における動物の頭蓋骨が、自覚的入信にもとづく創唱宗教においては崇拝対象であると確認できていないものの、彼らの日常生活に溶け込み、民間信仰における崇拝対象のひとつとして残り続けている可能性がある。

如何せん、私自身がナガランドは行った事がないので多くは語れないが。あの時ラダックでしか見た、荒涼な大地に鎮座するそれは、シーサーや狛犬の様な守り神のアイコンさはなかったものの、お地蔵さんの様な控えめな神聖さが趣深かった。

ナガランド料理月間を通して、明文化されていない土着文化を味わえたらいいなぁ。おわり。

※追記(2022/4/9)

 都内インド料理屋のインド出身(非ヒマラヤ地帯)の方に、話を聞いてみると、
 このヤクの角の様な置物は、インドだとおそらくヒマラヤ地帯だけだろうとのこと。  

 牛を神聖な動物とみなすヒンドゥー教では、牛が死んだ後はツノなどに触らず、
 そのまま山へ捨てる(捨てるという言い方は正しいのか分からないが)そう。
 人の手で何かをするのではなく、鳥やキツネが食べることで、自然に還すのだとか。
 


冒頭の写真:ラダックで出会った放牧されていたヤクの群れ。




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