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後悔のスケールが大きくて可愛いね

 私は母親に衝撃的な言葉を言われた記憶がある。しかし、それは曖昧なもので本当に言われたのか、はたまた私の記憶違いなのかは分からない。だが、私はその曖昧で幻のような記憶に確実に傷つけられ、未だに思い出しては苦しくなり、消えてしまいたくなるのだ。

 今回、私はこの曖昧な記憶を一度文字におこしてみようと思い、この記事を書いている。

 確か私が3歳くらいだった頃の話である。私はその頃から反抗期のようなもので、何をしても嫌だ、違う、と言い続けていたらしい。そんな私に途方に暮れた母は、深夜に父に「あの子をもう育てられる気がしない、もう施設に預けたい。」とこぼしていた。それをちょうど深夜に目が覚めてしまった私は聞いてしまったのだった。その夜、私は隣に父と母が寝ていないことに気付き、寝室の襖の間の隙間から明るいリビングを覗いた。そしたら母がそんなことを言っていたのを見てしまったのだった。当時の私には『施設』とは何かあまり分かってはいなかったが、きっとこのままでは、ここの家の子ではいられなくなる、捨てられてしまうということは幼いながらに分かった。怖くなった私は「明日からいい子になる。」と決意して布団に潜った記憶がある。これが私の1番はじめの悪夢のような記憶だ。確かになんでも反対のこと話を言って困らせていた私が悪いが、それでもとても傷ついたのだった。この時から私は親からの愛も無償の愛ではないと薄々気付きはじめたのだった。

 他にもこれは小学校低学年の時だったと思うが、私は母の誕生日にとんでもなく怒らせてしまったことがある。理由はあまり覚えてはいないが、確か家事を手伝わないとかそのようなことが原因だったはずだ。この日私は母に誕生日プレゼントとして何か工作したものだか、描いた絵だったかは忘れてしまったが、とにかく手作りの何かをあげようと思っていたのだ。しかし、日に日に溜まめてしまっていたストレスが爆発してしまった母は、私が作ったそのプレゼントをボロボロに破り捨て、ゴミ箱に投げ入れたのである。これもどう考えても家事を手伝わなかった私が悪いが、それでも私は今でもそのボロボロになったプレゼントの残骸が入ったゴミ箱を鮮明に思い出せるほど深く傷付いたのだった。私の想いを捨てられたことも母親を傷付けてしまったこともどちらも、あの頃の私には少し大きすぎる傷であった。

 そして、これが1番傷付いた記憶である。あれは確か中学生のときである。勉強を真面目にしないこと、家事をあまり手伝わないこと、で怒られていたのだったと思う。その時に母に「あんたなんて産まなきゃよかった!」「あの時施設に預けていればよかった!」と泣きながら言われた記憶がある。私は「ああ、私の存在自体が母を傷つけ続けていたのだな。」と冷静に思うと共に「そんなことを言われるくらいなら本当にそうして欲しいかったよ。いっそ私が生まれる時に一緒に死んでくれれば!」と思ったことを覚えている。また3歳くらいの時に施設に預けられないようにいい子になろうと決意した時からの私の頑張りは無駄だったのだとすごく虚しくなった。子は生まれてくる親を選べない。親も子は選べない。しかし、親にはその子を生まないという選択も、その子を預けるという選択も、どちらもとてもリスクは高く、あまり推奨はできないが一応あるのだ。私は今のこの家族が大好きだが、それでもやはり私がこの家族を不幸にしているのなら、私を捨ててくれてよかったのにと思っている。

 つい先日、私はまた自分のことで手一杯になり家事を手伝わなかったことで今度は姉に負担をかけてしまい、傷付け、姉を泣かせてしまった。その時にやはり私さえいなければと思った。そしてその時に母が姉を慰めながら「思っていても言ってはいけない言葉があるよね」というようなニュアンスのことを言っていた。私はその言葉を聞いた途端に涙が止まらなくなり過呼吸になった。貴女がその言葉を言うのか、あえてその言葉を貴女が言うのか!!私の頭の中では母に言われた「あんたなんて産まなきゃよかった!」「あの時施設に預けていれば!」という言葉が駆け巡っていた。これは言ってもいい言葉だったのか、だとしたらなんて冷たいのだろう、と思うと余計涙が止まらず、過呼吸も中々治らなかった。過呼吸になった私に気付いた母が私の背中をさすりながら「泣かないで、落ち着いて息を吐いて、泣いても何も解決しないよ。」と言ってきた。私はこうやって泣いてる原因の貴女が言うのか、とまた苦しくなった。

 私は一度大好きな作家さんに母に私を産んだことを後悔されていることを悩んでいると相談したことがある。その時、その作家さんは「後悔のスケールがでかくてかわいいね」と思えばいいとおっしゃってくださった。それから私はそう思うようにしている。その前までは母が憎らしくて仕方がない時もあったが、それからは基本的には落ち着いた気持ちでいられるようになった。しかし、別にこれで完全に私の傷が癒えたわけではない。後悔のスケールが大きくて可愛らしいな、とでも思わないと私はやっていられないだけなのだ。そうでもしないと、私は自分の存在意義が分からなくなるのだ。私が存在することで起こるいい影響よりも悪い影響の方が大きく思えてしまうのだ。実際そうなのだから仕方のない話かも知れない。

 これだけ色々言ってきたが、私は母のことは好きだ、この世で1番憎くて、1番愛おしい。母は別にいつも私に厳しいわけではない、もちろん褒めてくれることだって沢山ある。しかしそんな母が私をいくら褒めてくれても、きっと私のことを本心からは愛していないんだろうなと思う。きっと母は今でもずっとあの夜からずっと私を産んだことを後悔してるんだろう。私はそんな後悔なんて感情でも母が私に対して大きな感情を抱いてくれるならなんでもいいのだ。ただ時々とてつもなく苦しくなって消えなくなって泣くことは許してほしい。私は未だに母にこの話をしようとすると涙が止まらなくなり話せなくなるので、いつかきちんと自分の口から話せるようになったらいいな、と思う。

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