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二浪マーチ受験期③二浪目

2019年4月上旬

入塾の日を控え日に日に淡い期待感と緊張感に包まれていた
だが入塾の1週間前だっただろうか
熱を出した
なんとも不穏なスタートになりそうだったが数日程で熱は引いた

そしてついに増田塾が開校し二浪ライフが幕を開けた
強制自習は月~土9時から19時までで、そのあとは勉強したければ閉塾の22時までは残れるという決まりだった
当然22時まで残って勉強することが推奨されていた
はじめは19時で帰っていたが2週間もすれば22時まで机に向かえるようになった
単純計算週72時間は机に向かっていた
人間慣れるものである

だが一つ問題があった
冒頭にも言ったが熱がでて熱は治ったが
その後も重度の耳鳴りや耳の閉そく感、聞こえずらを感じていた
熱のせいだと思っていたが熱が治ってもなくならないので大学病院を受診した
診断結果は突発性難聴もくしはメニエール病といわれるものらしい
詳しい説明は省くが
どちらも原因はストレスや過労がきっかけで発症することが多い
症状も似ていて判別は難しいが突発性難聴であれば早期に治療すれば改善する可能性もあるが、治らなければ一生そのままという可能性もあると
とりあえず薬を処方してもらい経過観察ということになった

そうこうして一か月経ち二浪目一回目の模試を受けた

結果はまずまずといったところだろうか

ちなみに選択科目は政治経済から日本史に変えた
理由は早稲田と慶應の両方を受けたかったからだ
だが今振り返ればどっちつかずの安易な選択だったと思う

そもそも日本史が初学であり時間を要することが見込まれていた
そして早慶両校を受験するということは英語、日本史、現代文、古文、漢文、小論文を勉強することになる
これらを少なくとも偏差値65程度に仕上げなければならないということだ

完全にキャパシティーオーバーだ
のちに選択と集中がいかに大事かを痛感する経験となった

もし選びなおせるのであれば、数学か政治経済にしただろう

数学であれば元理系ということもあり馴染みがあり、早慶両方が受験できた

また政治経済では慶應は受けられないものの、早稲田は受けられるしすでに偏差値60後半だったため空いた時間を他教科に当てることができただろう

夏に入るころにはようやくそれに気づき軌道修正をし始めた
まずは志望校を慶應にし、早稲田は受験しないことにした

それにより古文漢文を勉強する必要がなくなり
英語、日本史、現代文、小論が受験科目になった
そもそも古文が嫌いで尚且つ初学であったっため、これを勉強する必要がなくなったのは精神的にも時間的にもかなり余裕を生んだ

そして8月下旬の模試の結果がこちらだ

英語は初の偏差値60を超え、日本史は直近の学習内容が出題されたこともあって予想以上の成績だった

成績も向上し、夢物語だった早慶に手が届くような気がして素直にうれしく勉強が少し楽しいとも感じていた

このころには英単語文法の基礎は固まっていたので受験英語の本丸である長文読解に取り掛かっていた
しかしどうにも解けない
初めは長文読解が初めてだから思っていたが1か月近くその状況は変わらなかった
またこの感覚だ
二浪でもう後がない
焦燥感に襲われ、なんとかこの状況を変えなければと思っていた

そしてたどり着いたが音読だ
現役で慶應に進学した友人に音読はいいと言っていたを思い出し藁にも縋る思いで音読を開始した

まずは普通に解く
次に文構造、単語などを確認し完全に文の内容を理解する
頭のなかで文の内容をイメージしながら読む
はじめは何回も突っかかり一つの文章を通しで読むのにも苦労した
突っかかることなく通しで読めるようになったら数日に分けて合計10回は読むようにした
不安な文章やお気に入りの文章は15回くらいは読んだ気がする
そして数週間後に確認のため何回か読む
これを繰り返した
この辺りの問題集を使った

すると一か月くらい続けていると次第に長文も解けるようになってきた
下記がちょうどそのころ受けた塾内模試だ

塾内テストとはいえ英語実力テストでは偏差値70を超えた
教室に成績上位者は掲示されるのだが、増田塾全塾生のうち20位くらいだったことは今でも鮮明に覚えている
他教科ほ芳しくないが、自分にも武器となる教科ができとても自信になった
努力は報われるのだと

もう10月に差し掛かり英語のみだが過去問を解き始めた
マーチと慶應を解いていた
マーチなら8-9割は安定して取れていた
慶應でも学部と年にもよるが均せば二回に一回は合格最低点を超えていた
8割ほど取れたことも何度かあった

普通の受験生であればもっと安定して合格点が取れていなければと思うかもしれないが
俺にとってはこれでも十分すぎる希望だった
二回に一回も合格最低点を取れているなら二回受ければ一回受かる
10%も可能性があれば十分と思っていたのに50%もあるのだ
希望とはこれほどまでに人の活力を与えるのかと

そして11月に受けた早慶オープンだ

商学部の模試を受けたが実際は法学部か経済学部が第一志望だ
なぜ商学部にしたかは覚えてない
肝心の偏差値だが英語は群を抜いてよかった
受験まであと約3か月はあったが英語だけならその日受けても合格点をとれる自信すらあった

これを読んでいる人は本当に慶應に受かってもおかしくないんじゃないかと思った人もいるかもしれない

しかし直近の模試に注目すると決定的な弱点に気づくだろう

それは日本史の偏差値低いことだ

前半でも言ったが日本史は初学だ
4月一日3ー5時間程度日本史には費やしていたがあまりに範囲が膨大で
11月末にやっと一周終わった

この時にとてつもない絶望感に襲われた
一周するのにだけで8か月もかかっていたら残りの二カ月で日本史を慶應合格レベルまで仕上げることは不可能だと
定期的に復習し知識が抜け落ちないようにしていたが範囲が広すぎた
とりあえず一周するだけで精一杯だった

慶應に受かれば人生逆転、そうでなけ文字通り人生終了
そんな思いでこの二浪目を過ごしていた俺にはこの事実上の不合格通知はあまりに重すぎた

緊張の糸が切れた

ここまで頑張ってきたのに結局だめかと
どんなに眠くても、めんどくさくても塾が開いていればさぼらなかった
行き帰りの満員電車でもみくちゃになりながらも単語帳を勉強した
一日12時間週6日机に向かった
難聴だって結局治らず、一日中耳鳴りが頭を駆け巡りおかしくなりそうになった日もあったけどそれでも机に向かった
本当に自由な時間なんて一日30分もあっただろうか

いつドロップアウトしてもおかしくないギリギリの綱渡りでここまできたがもう耐えられなかった

初めは午前中だけさぼった
だが一週間もすればもう塾へは完全にいかなくなった
一応家で勉強したいからという理由で欠席申請していて、実際に初めの方は家で勉強していた
だが12月半ばにはその勉強も完全にやめた

昼夜も逆転しはじめマンガやアニメに没頭し始めた
勉強から逃げているとういう罪悪感という悪魔のスパイスのおかげかこの時に読んだ進撃の巨人はとてつもなく面白く感じた

しかし勉強を放棄知ったことを親に言えるわけもなく受験生のフリをしていた
河合塾の慶應小論文対策という一講座2-3万くらいするものを3個受講させてもっていた
それがある日は行ったふりして、マンガ喫茶に行ったり池袋の街をふらふらしていた

とんでもない親不孝である

その調子でいままであっていなかった友人と再会しパチンコに行ったり、カードショップでポケモンカードをしたりしていた

遊んでいる罪悪感を忘れられた

1月に入ると成人式があったがもちろん行かなかった
だが成人式にいった友人とは式後に遊んだ
なら行けよって話だが二浪で勉強もしていない、着れる服も張る見栄もなかった

センター試験当日
もちろん行かなかった
センター利用も出願してなかったし
だが行ったフリはした
近所のマンガ喫茶でトモダチゲームを読んで過ごした

当然なにも受験していないので成績開示もこのありさまだ
今でも親には見せていない

センター試験という受験生には一つの節目を迎えたが一向に勉強はしていなかった
明日やろう毎日そう思っていたが結局勉強することはなかった
苦しかった

だが時は過ぎる

このころにはもう三浪するしかないと思っていた
意外にもマインドは上向きになっていた
2浪でもすでに異端なのだからもう一年遅れてもあまり変わらないだろうと
慶應さえいければなんとかなるだろうと

今振り返ればそうでも思わないと死んでいただろう
自己防衛の一環なのだろう

とは言っても表向きは熱心な浪人生で受験を放棄するわけにいかない
なので受験はした
正確には出願はした

本来の受験校は慶應の経済、文、法、商、総合政策、環境情報
青山学院の経済?、法
中央の国際経営、国際情報
法政の経営学部、社会学部
の予定だった
古文なしでも意外と受けられるところは多い
ちなみに日東駒専などのすべり止めは一切受けなかった
仮に受けて受かっても行く気はなかった
二浪でマーチ未満はなんてどうやってもプライドが許さなかった
そもそもマーチですら行く気はなかった

もう二カ月全く勉強していなかったからどこも受かる気がしなかった
それにもかかわらず受験して金をどぶに捨てるのは罪悪感を感じたから、何かしらにつけて青学と慶應の出願数を5個くらい減らした。

一月下旬
PS4のアサシンクリードオリジンとかapexをやりつつ受験を待った

二月に入り受験が始まった

2/5法政のT日程の経営学部から
マーチの中で最も早い受験日程だったがする

行かなかった
行ったふりをした

そして9日に法政がありこれらは行ってちゃんと受験した
流石に行くかという気になったいたのだろう
二カ月ぶりに問題を解いたが思ったより解けた感覚があった
ワンチャン受かるんじゃねなんて淡い期待を持っていた
宝くじ感覚である

残りの10日11日12日の法政と中央も受けきった

確か受験の帰りにニンテンドーオンラインでスイッチの在庫が急遽入荷されていたため予約した記憶がある
当時は品薄だったのでラッキーである

そしてマーチの受験をすべて消化した

残りは本丸の慶應である

確か法、経済、商、総合政策、環境情報を出願した気がする

実際に受けたのは法学部だけだ
どうせ受けるなら全部受けろって話

試験は案外手ごたえがあり、結局一回も練習することがなかった小論文もとりあえず書ききった

法学部以外は受けてないので受けたふりをしてその辺でプラついていたのだが、ちょうどその日に合格発表があった。
本来は法政のT日程が俺にとっては初めての合否確認になるはずだったが受けていないのでこれが初になる。

恐る恐るホームページを開き受験番号などを入力する

そしてそこには

合格

の二文字があった

一瞬何が起きたのかわからなかった
もう一度開きなおす
やはり合格と
信じられなかった

15分くらいはもう自分でもよくわからない感情で頭がふらふらしていた
だがとりあえず嬉しかった
まさか受かっているなんて
なんかもうすべてがどうでもよくなった
慶應じゃなくてもいいや
マーチでもいいや

落ち着いてからは家族や友人に連絡した
両親は職場で泣くほど感動したようだ

その日は焼肉に行った

そしてすべての受験を終わってあとはほかの合否を待ちつつゆっくりしていた

そうして残りすべての合否を確認したところ、すべて不合格だった
まさに間一髪である

そうして俺の長い浪人生活は幕を下ろしたのであった

ちなみに2つ後日談がある

一つは実は法政のT日程の合否は家族が勝手に見ていてた
この時に法政に落ちるならどこにも受からないと思っていたらしい
だから密かに我が家はお通夜ムードだったそうな
実際は受けていないから不合格なのは当然である
だから合格を聞いたときは余計に感激したそうな

2つ目は3月末に家に何やら分厚い封筒が届いた
その中身がこれだ

なんと法政の社会学部に繰り上がり合格したのだ

これには驚いた
結局進学先は始めに合格がでたところにしたのだが
合格は何個もらってもうれしい

もし最初に受けたところが落ちていたらと想像するとどうなっていたかわからない
これが届くまで補欠合格があるとは知らなかったから

ここまで読んでくれてありがとう
一応これで受験記としてはこれで終了になる

次はこの受験を経て得た教訓と今大学卒業を踏まえた俺からのメッセージを綴ろうと思う

もし興味があれば見てくれ

それではいったんさようなら

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