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美味しいお味噌汁を作るということ

1人暮らしを始めてから、味噌はもっぱらチューブタイプの味噌を使っていた。スプーンも使わずに、サクッと味噌汁が作れる分には重宝していたし、何も不満もなかった。ところが、少し前に土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』を読んだことをきっかけに、その考えが一転した。

お料理は、どこまでも簡略化しようと思えば出来るものでもある。しかし、その一方で一つ一つを分解して見ていくと、それぞれに深い世界が広がっていることが分かる。この本を読んで、少しづつでも良いから、料理の過程やその中にある素材や行為の分解とそれに伴う深い世界を覗いてみたくなったのだ。そこで、私は今まで使用していたチューブタイプの味噌をやめて、自分でこだわって選んだ味噌を使ってみようと思った。

今年の1月頃に職場で手前味噌を仕込んだのだが、その味噌は10月まで寝かせる必要がある。それまでにどんな味噌を使うのか、色々思案した結果、麹味噌を購入する事になった。私が購入した味噌は、だし入りの味噌ではなかった為、だしを付ける為にかつお節も一緒に購入する。煮干しも気になっているので、近いうちに煮干しと鰹節で味比べをしたいところだ。

いよいよチューブタイプの味噌がなくなり、新しく買った麹味噌を使う時が来た。久しぶりに使う味噌にレシピを見ながら、1杯12~15gと鰹節一つまみをお椀の中に入れて、お湯を流す。今までと違う白っぽい味噌汁にドキドキしながら飲んでみると、しょっぱい味がした。どうりで、ちょっと味噌の量が多い気がしたんだよなぁ~と思いながら、次回の味噌汁づくりにむけての反省として生かす。
とは言え、せっかく作った味噌汁を捨てる訳にもいかず、しぶしぶしょっぱさを感じながら飲む。その過程で、あの人が作る味噌汁は優しい味がしたなぁ、とか、この人の味噌汁はパワー系だったなぁ、と思い出した。経験を重ねていくほど、その人なりの美味しさが詰まった味噌汁が出来るのだろうか?そう考えていると、ふと大学時代の恩師が言った「地明かりを作るということは、美味しい味噌汁をつくることと同じこと」という言葉を思い出した。

「地明かり」とは、舞台上の床を均等に照明で照らす明かりのことである。舞台の照明プランを考える上で、必ず登場する「地明かり」だが、床面を均等に照らすということは簡単に思えて、とても難しい。
その言葉を聞いた当時もその難しさを感じていた為、何となく、地明かりは味噌汁を作ることのように、基礎的でありながらも奥が深くて難しいということなのだ、と理解していた。たぶん受け取った意味合いとしては、間違いはない。しかし、いざ味噌汁を作る行為を経験してみると、それがいかに多様性に溢れていて、奥深くて、難しい事なのかが理解できた。勿論、これが私にとっての初めての味噌汁作りではない。しかし、味噌から選び、だしの取り方などまで考えて作った味噌汁は初めてだったのだ。ある意味、今回が初めてのアートワークだったのだ。
その恩師は舞台照明を生業にしていた人だった。授業では、時々料理に例えた説明が出てきたことを思い出す。「きょうの料理の煮物特集みたいに、気の利いた…」またしても、その人の言葉の断片を思い出して、今更ながら豊かで素敵な人だったことを実感する。恩師はどんな味噌汁を作る人だったのだろうか?ふと、そんな疑問に駆られながらも、これから自分がどんな味噌汁を開発するのか、少し考えてみるだけでもワクワクした。

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