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ビル・ナイあっての『生きる LIVING』

余命半年と宣言された頑固じいさん役人が、ふと我が単調な人生を振り返り、見失っていたモノを取り戻すべく鎧を脱ぎ捨て、たらい回しで放置されていた児童公園建設に奔走し、若手に希望を託そうと願う。舞台は1950年代のロンドン、チャップリン的なトーキー映画(はもっと古いけれど)に彩色を施したような色調も渋くて良い。

黒澤明『生きる(1952)』のリメイク、カズオ・イシグロ脚本という作品だが、主人公の佇まいが笠智衆的で、何処か小津安二郎のような空気感が漂っていた。とはいえ原作も観た事が無く、イシグロもそんなに読んだ事が無く、単に感じたままを書き散らす事しかできないけれど、久方ぶりにしみじみと感じ入り、何かの折にまた思い出すであろう作品。何か(ヒトの良心の)象徴としてのモノを遺し、次世代に未来を託すという点では、アプローチや状況は全く違えど、クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』を思い出した。
ビル・ナイの優しくささやくような歌声(スコットランド民謡 The Rowan Tree、ナナカマドの木)も、ラブ・アクチュアリーの時とも違って、とても味わい深い。

余談だが、黒澤作品効果かシニアの観客の方もかなりおられたのだけれど、渋谷某所では入口が狭くスロープも無く、真ん中の下り階段をおりて着席するスタイルの会場で、足のご不自由な方がとても苦労されていたのに心が痛みました。劇場サイドにも様々な事情があるとは思いますが、これはある程度予測できたと思われる事で、どうか今からでもご配慮を願います🙏

本日のハチ公🐕

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