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「あの人は僕たち1人ひとりのことをちゃんと見てくれるから、」

「本当に良い人です。あの人は僕たち1人ひとりのことをちゃんと見てくれるんです。ふざけてるように見えるのに、すごく細かいところまで見てくれる」


去年の12月。バスケットボールで親しくなった高校生に、「君のところの指導者の方ってどんな人?どんなところが好き?」と何気なく聞いたところに返ってきた言葉である。あの日からこの言葉が忘れられない。

私は現在所属しているバスケットボールチームにおいて、監督という役割を任せていただいている。その役割に就くと、どうしても「全体」を最優先に見てしまいがちだ。戦術がどうとか、フォーメーションがどうとか、スペースがどうとか、、

バスケットボールは「幸せのためにやっている」という人がほぼ全員に当てはまるはず。人間の感情を快感情と不快感情に分けるならば、「不快な感情を得るためにバスケをしています」なんて人はいないに等しい。指導者は、“個人“の幸せの実現を手助けすることが大義なはずである。

だがしかし、チーム全体の勝利や成功に目を向けてしまうあまり、個人の存在を見ることが二の次に来てしまうことがある。個人の感情の揺れ動きや、悩みの把握よりも、戦術や今後のスケジュールを考えることに夢中になる瞬間が訪れる。

そんなジレンマを抱えていた頃に聞いた言葉だった。

私もその例の指導者の方とは深く関わらせていただいており、それこそ育成方法の話やたわいもない話もさせていただく関係性だ。選手が言っていたことと同様、私から見てもその方は、どこか“緩い“。大雑把な性格で、常に脱力されているような方。バスケットボールにあまり思い入れがないように振る舞い、「あまり興味ないからねぇ」が口癖な方。


「指導においてどんなことに注意されてます?」

「さあねえ、テキトーだよ。俺がいてもいなくても変わんないからね。」

「絶対そんなことありませんよ。実際、結果出してるし。」

「まあそうかもしれないけど、それは彼らが勝手にやって勝手に結果を出しただけだから。」

「謙遜じゃないですか…」

「本音だよ。ほら、俺がいないと勝てないのだとしたら、それって魅力ないでしょ?」


だがしかし、その方は誰よりもしっかり考えていることを私は知っている。とても研究熱心で、日々勉強していることも。

その方は、時々、厳しい言葉を本気で選手にぶつける。ダメなことはダメだと。許されないことは許されないと。それなのに、選手とその方の間には確実に信頼関係がある。選手たちはその方を慕っていて、ついていく。


「怖いんですけど、1人ひとりしっかり見てくれるんです。悪いところは悪い、良いところは良いって、ちゃんと言葉にしてくれる。」


自分にはできているだろうか。

バスケットボールというスポーツも人と人との関わりの中で生まれる。

きっと本当に本当に大事なのは、戦術でも、フォーメーションでも、スペースでもない。絶対にない。

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