「勉強さえもバスケに活かしたいんです」
「すべてをバスケに繋げたい」
私が関わっている学生の選手が言ったセリフである。
その選手はバスケに対する意欲がとんでもなく高い。本気で勝ちを求める。
「勉強さえもバスケに活かしたい」。そう語った。
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バスケは再現性を求められるスポーツである。
試合のペースによる影響はあれど、基本的にバスケの試合におけるシュート回数は大体同じである。数が決まっているため、確率が重要になる。
当然、ゴール下のシュートや、フリーのシュートは”期待値が高い”とされる。多くのチームはこの期待値の高いシュートを選択できるよう、チーム戦術や個人戦術を駆使する。
期待値という観点抜きで考え無しにシュートを打つチームがあったらどうなるだろうか。打てればなんでもよくて、タフショットを選択しまくるチームがあったらどうなるだろうか。
恐らくそのチームの勝敗は安定しない。
本来なら「格下」であるはずのチームにも、自ら期待値の低いシュートを選択しすぎるがあまり敗戦することがあるだろう。
昔、スリーポイント中心のチームで、タフショットも難なく決めるチームがいた。トランジションでもレイアップよりもスリーを選択し、爆発力が飛び抜けたチームだった。しかし、そのシュートが当たらなかった日はことごとく格下のチームにも敗戦していた。
再現性の無さは、不安定につながる。
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つくづく勉強はスポーツに直結するなと感じることがある。
英語ができれば英語の論文やニュースが読めるし、物理ができればトレーニングに生きるし、社会で暗記することだって、その暗記方法がコールプレーを覚えることに繋がる。
テスト期間真っ只中の学生アスリートたちは、「自分の競技力向上のためにも」勉強を疎かにしてほしくない。
数学の問題で必要となる「論理的思考力」なんかはもろにスポーツに生きる。
論理的思考とは、物事を結論と根拠に分け、その論理的なつながりを捉えながら物事を理解することである。
AだからB、BだからC、すなわちAだからC
といったように、「理由」を明確にしていく作業である。
バスケは再現性が求められるスポーツである。
確率を求められるがゆえ、論理的思考が必要なのだ。
どうすれば勝てるのか、なぜそのシュートを打つべきなのか、どうしたらこのチームのオフェンスを止められるのか。これらの原因分析→行動というプロセスは論理的思考が必要になっていく。
「バスケは後出しじゃんけん合戦」と比喩されることがある。
相手がグーを出してきたから、自分はパーを出す。
そのような後出しじゃんけんと同じで、
ディフェンスがクローズアウトしてきたから、オフェンスはドライブを選択する。ディフェンスそのドライブを警戒してクローズアウトをするのをやめる。その様子をみたオフェンスは、今度はキャッチ&シュートを選択する。
といった駆け引きが生まれる。
「なぜ」の理由無しに駆け引きは生まれない。
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かくいう私は、学生時代に勉強が大好きだったかと言われたら全く違う。数学は苦手で、嫌々やっていた。
けど、本気でバスケが上手くなりたいと思った時、1分1秒も無駄にできないと思った。学生の生活の大半を占める「授業」「勉強」もバスケットに繋げなければいけないと感じた。「この数学は必ずバスケに生きる…」「英語ができるようになればもっといろんな動画で勉強できる…」。
勉強のモチベーションは「バスケで結果を出したいから」だった。
覚悟を決めた時、当時担任だった先生に言ったセリフがこれだった。
「勉強さえもバスケに活かします」
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きっと、同じ言葉を語ってくれた彼は、私よりもずっとずっと良い選手になってくれるはず。
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