デザイナーなど17名を集めて、夜な夜な哲学対話をやってみた。
2023年11月1日、文京区本郷にあるMIMIGURIのオフィスで、デザイナーをあつめた哲学対話を行ってみました。若手からベテラン、企業から公的機関、学生に至るまで幅広くデザイナーなど17名に集って頂きました。改めて、こんな怪しすぎる会にご参加いただきましてありがとうございました。
ことの始まりは、リンクアンドモチベーションのUXデザイナーである辻井さんのツイートから。
この「哲学対話をやってみたいんだよなぁ」というボソッとした呟きですが、辻井さんはお友達が多い方なので、拡声器級に広まります。その爆音に反応したのはMIMIGURI(同僚)のDesign Opsの竹内さん。
3人ほどに「あそぼ」とメンション飛ばしていますが、そのうちの1人は僕です。竹内さんにそう言われたからには、やるっきゃないじゃないですか。
脊髄反射で、1分後に日程調整を開始(投稿時間に注目)。
というわけで、今回の哲学対話は、MIMIGURIより座敷童子、竹内さん、そしてリンクアンドモチベーションの辻井さんの3名で企画を進めていきました。この3人で「哲学対話やるよ~」とTwitter上で告知したら、色々な方が集うじゃないですか・・!
余談ですが、あまりにもゾロゾロと参加者が集っている光景をみて、弊社の押田さんが「対話ヤクザが群がってて怖い」と仰ってたのが面白かったです(押田さんには何が見えていたんだろう)。
さて、もう一つの実施背景として、実はデザイナーの中で哲学対話は注目が集まっていることもありました。というのも、今年4月に開催されたデザインイベントであるFeatured Projects 2023にて、「哲学対話:明日を拓くものづくり」というセッションが行われていたからです。
このセッションでは哲学者の永井玲衣さんをファシリテーターとして、博報堂の小野直紀さん、Featured Projects共同代表の相樂園香さん、弁護士の水野祐さん、アートディレクターの脇田あすかさんの5名による「明日を拓くものづくり」をテーマに、5名の登壇者によって即興的な対話が繰り広げられました。
自分もこのセッションに観衆として参加していたのですが、観衆である自分自身もその対話に巻き込まれていくような不思議な空間でした。Featured Projectsのトリを飾るに相応しいセッションだったように思います。そしてこのセッションの触発を受けて「哲学対話やってみたい!」と思っていた方も多かったらしく、辻井さんもその一人でした。
自分はというと、学生時代から哲学対話の参加者側もファシリテーターもそれなりに経験してきたわけですが、それだけでは飽き足らず、実存思想協会の2020年第36回臨時大会『哲学対話と実存』などにもリアルタイムで参加したりする中で、哲学対話という実践が他者論や共同体論と呼ばれる分野に関する問いに挑戦していることも知り、それらの問いにも向き合いたいと思っていた頃でした。
そこで今回のイベントの活動目標は「哲学対話に触れて楽しんでみる」ことに置き、それだけでなく「哲学対話という実践そのものが持つ”問い”を学習する」という学習目標も設定することにしてみました。ワークショップに活動目標だけでなく学習目標も併せて設定してみるのがMIMIGURI流です。
ただ、自分はこの他者論や共同体論に関する知識については素人に近かったので、この学習目標が達成できるかは不安でした。そこで哲学対話に関する文献も読み漁り、手法論としての面白さだけでなく、哲学対話そのものが何を探究している実践なのかを説明できるように準備を進めてきました。
当日の準備
当日は終業後のMIMIGURIオフィスを改造して、椅子で円をつくりました。オフラインの哲学対話の特徴は円になって喋ること。オンライン哲学対話よりも「ともに考えている」感じが出て好きなんですよね。
そんなこんなで、11月1日の19時30分から、MIMIGURIオフィスで哲学対話会がはじまりました。参加者は19時20分ごろからソロソロとやってきます。特にちゃんと趣旨説明してるわけじゃないですからね。現にデスゲームが始まるという疑惑まで立ってたらしいです。
イントロ+知る活動
イントロでは「なんでこんな怪しい会に来たんですか?」と尋ねつつ、上で述べた事の経緯なども説明し、今回の哲学対話会の趣旨説明を行いました。
知る活動として、哲学対話の歴史を話をしました。
フランスの哲学者であるMarc Sautetがパリで哲学カフェを始めたこととか、アメリカのMatthew Lipmanが子どもの創造性を高めるためのp4c(philosophy for Children)を始動したこと、そしてP4E(Philosophy for Everyone)を掲げる哲学対話はこれらの実践や研究に源流があることなど。
こうした哲学対話の歴史に関心ある方は『ゼロからはじめる哲学対話』や『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』などがお勧めです。
その上で哲学対話は、誰もが対等に、自由に話し合える「知的安心感(intellectual safety)」(梶谷 2021)が確保された空間を実現していくことを意識していることを紹介しました。
この点「哲学対話」と聞くと、雄弁闊達な人間同士が激論を繰り広げるような試みであるという先入観を持たれる方が多いのですが、まずはそのような先入観を解いていき、逆に安心して共に問い、共に考え、共に語り、受け止めあう場づくりであることを説明する必要がありました。
現に梶谷(2021)では「知的安心感」の構成要素を、①思考する・話すことの自由、②立場によって発話が制約されない対等性、③価値観の相対性に気づかせてくれる多様性を挙げています。
さて、この「知的安心感」の重要性を学んだところで、哲学対話の特徴の説明に移ります。安心して話せるような場を設けることは重要とは言いますが、いくら参加者に相互理解や寛容さを求めてもその空間が実現することは容易ではありません。
そこで哲学対話では、対話空間に「ルール」を設けることによって「知的安心感」を確保するというアプローチを取るわけです。そのルールは哲学対話のファシリテーターによって異なりますが、自分は梶谷先生が良く用いられている以下8つのルールを参照することが多いです。
哲学対話の8つのルールの1つ1つの解説については、NHKの視点論点で梶谷先生が語られているものもありますので、ぜひこちらをご参照ください。当日も以下の記事での説明を引用させていただきました。
この8つのルールは哲学対話のグランドルールなわけですが、対話の進め方に関してのルールも設けました。
例えばですが「トーキングオブジェクト」を採用しました。トーキングオブジェクトとは、話す権利を持っている人だけが持つことのできるアイテムのことで、このアイテムを入れることで自分の話している間に他者に遮られてしまうことを避けることができます。また話し終わるまで待ってもらえることになるので、安心して自分の考えを育てて場に届けることができます。
今回の哲学対話でトーキングオブジェクトになったのは、我らがマスコットのグリグリです。話したいタイミングで手を挙げると、このグリグリが手元に渡ってきて、発言することができます。それにしてもこういう時グリグリは大活躍しますね。
創る活動(哲学対話)
知る活動が終わったら、実際に哲学対話を体験するという流れです。今回哲学対話は2回行い、参加者は2回のうち1回を選んで参加できるようにしました。1回目の対話のテーマは「ふるさとの発生と再構築」、2回目の対話のテーマは「『体験』の価値」です。
この二つの対話のテーマは、最初に呼びかけて頂いた辻井さんから、企画段階で「ふるさと」「体験」という単語をいただいていたので、その二つの単語に基づいて設定してみました。
2回のうち片方しか参加できないようにしたのには理由があります。ただ聞いているだけでも、考えをじっくり温めていけるからです。そこで参加しない方の対話では、あらかじめ持参をお願いしたポッキーの箱に、心の中で温めた問いを書いて参加者にプレゼントするというワークも取り入れてみました。聞いてるだけでも、哲学対話は面白いんです。
1回目の対話:「ふるさとの発生と再構築」
1回目の対話では「ふるさと」というテーマについて、ふるさとと誇りの結びつき、ふるさとと地元の違い、後発的にふるさとは構成されるのか、ふるさとには何が象徴されるのか、ふるさとだとその土地を思いたくない気持ちなど、参加者個々の経験に基づく対話が繰り広げられました。
参加者も、都内出身者、首都圏出身者、地方出身者など多岐にわたっていたので、多様な視点から「ふるさと」という概念を捉えられる場だったと感じます。ファシリテーター目線で印象的だったのは、ふるさととしての誇りを感じられないと最初に語っていた方が、対話が進むにつれて、自らの住み続ける土地に対する「ふるさと性」をぽろぽろと語りだしていったことでした。
この「ふるさとの発生と再構築」における対話では、対話前の「ふるさと」に対する先入観が、他者のふるさとに対する捉え方を聞くことによって、「そういうこともあるかもしれない」とリフレームされていく場面が散見されました。哲学対話のグランドルールにも「意見が変わってもいい」があるように、他者の話を聞く(受け入れる)ことにより、参加者の視野が広がっていく場面が見られました。
2回目の対話:「『体験』の価値」
二つ目のテーマはできるだけ、デザイナーの皆さんの日々のモヤモヤしたものに向き合えるようにしたいと考え、「『体験』の価値」にしました。
UX(User Experience)デザイナーという職種も存在するように、今やデザインとは形状のスタイリングやグラフィックなどだけではなく、ユーザーの体験(Experience)そのものをデザインすることが求められます。しかし「体験」ほど抽象的でわかりづらいものはありません。例えば「良い体験」とはどのように決められるのか、どの時点で決まるのか、などなど。
2回目の対話「『体験』の価値」における最初の問いは、「デザインできる体験と出来ない体験は?」から始まりました。
そこから派生して、どれだけ良い体験を目指してデザインしたとしても、最終的にどう使ってもらえるか、どう感じてもらえるかの部分まではデザインできず、「最終的には祈ることしかできない」という話に展開したり。
また「デザイナーは悪い体験をデザインできるのか?」という問いの中では、意図的に悪い体験をデザインした場合と、結果論的に悪い体験になってしまった場合を分けてみるという視点も得られたり。
約1時間の対話の中では、参加者が従事する職務の中で直面している体験をめぐる葛藤が開かれ、その葛藤の中から「デザインと体験」を巡る新しいものの見方が開拓されたことがファシリテーター目線で楽しかったです。
まとめ(振り返り)
振り返りの時間
1本1時間×2の哲学対話のあとに、改めて哲学対話の営みの振り返りを行いました。
まとめの時間で話したことは、対話とは「話す」ことに力点が置かれがちだけど、実は喋らない時間、黙っている時間にも意味があるのではないかということです。
この章では当日の振り返りで話したことと、その話を受けた発展的な話をしてみようと思います。
前述の梶谷先生は、「話す自由」は「話さない自由」に付随することを論じています。日々の会議では意見を求められたり、意見を発することで「責任」を果たすことが求められがちですが、そもそも発言することが強制される空間は息苦しいし、当てられても、ついその場しのぎで無難なことを話すことが多いです。
しかし、哲学対話は無理やり話をさせられずに済む空間であり、自分が話したいと思ったタイミングで話す、話さないタイミングでは話さないという知的安全感が、前述の「ルール」によって確保されています。これによって、他者から意見を開示することが強要されることない、「安心して孤独になる」ことも可能になります。
この「安心して孤独になる」ことについては、私が昨年12月に福岡県大牟田市で開かれた「共創学会」に参加した際に、同市で開催されていた「にんげんフェスティバル2022」の梶谷先生のセッションに参加した際にお伺いした話の引用です。
またここでいう孤独については以下の「こころ」のための専門メディア 金子書房さんから出ている『他者と共に一人になる ~ #哲学対話 による新しいつながりの経験~』という論考でも次のように語られていたので、この記事ではそれを引用してみます。
ここからは発展的な話です。
哲学対話においては、話すことも話さないも委ねられています。ファシリテーターは場に話のヒントを促してみることはありますが、とはいえ参加者に導きたい方向を押し出したり、「今あなたが喋ってください」とグイっと押し付けることはありません。そうすると「話さない自由」、ひいては哲学対話のルールが脅かされるからです。
今回は沈黙がなかったのですが、実は誰も手を挙げずに沈黙になることもまぁまぁよくあります。というか、最初から最後まで挙手が途切れない哲学対話はなかなかレアじゃないかとも思います。
特にワークショップを経験されている方(というか現代人は皆)は、この誰も口を開くことのない「沈黙」の時間がつい気持ち悪く感じてしまいがちなわけですが、哲学対話における沈黙は「皆が安心して孤独になっている」大切な時間でもあります。
あえて一人で孤独になってみることや、沈黙である時間は、自分たちが豊かであり続けるために重要なんじゃないか。そしてその「安心した孤独」という場を守り続けるために、どのようなルールが必要で、どのような心掛けが重要なのだろうか。
そういった問いが、哲学対話には内在していることを再確認しました。今回ご参加いただきました皆さんとも意見交換を繰り返し、引き続き第二回も開催してみたいと思っています。
Twitter上での参加者からの反応
参加者のみなさまからもTwitter上でご反応頂きましたので、そちらの投稿もご紹介させてください。みなさんからの反応が励みになります。ありがとうございます。(すみませんが時系列不同です・・)
今後の展望
第二回を開催してほしい!という声がありましたので、第二回を開催することは自分の中ではほぼ確定です。哲学対話のファシリテーターは理屈抜きに楽しいんですもん。
実際今回の哲学対話では、参加したくても参加できなかった方や、別イベントと重なっていた方もいらっしゃいました。11月1日の夜は至るところでデザインイベントが開催されていたみたいで、そんなイベント集客激戦の中で17人の方に、こんな怪しい会に集まっていただけたことに感謝しています。またやります!!
文献
梶谷真司(2021)共に考えることと共にいること―哲学対話による新たなコミュニティの可能性ー;実存思想論集,36号, 「哲学対話と実存」,p.7-28.
梶谷真司(2020a)「『考える力』を育てる『哲学対話』」、視点・論点、NHK.
梶谷真司(2020b)『他者と共に一人になる ~ #哲学対話 による新しいつながりの経験~ (梶谷真司:東京大学教授)#つながれない社会のなかでこころのつながりを』「こころ」のための専門メディア、金子書房、https://www.note.kanekoshobo.co.jp/n/n9d8879c8de7d#CGyin
永井玲衣(2020)『水中の哲学者たちー第十回 待つ』晶文社 SCRAPBOOK http://s-scrap.com/4253
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