【子育て】木の上に立って見る親が丁度いい
「子どもには自由にのびのびと生きてほしい」
親御さんのなかには、こんな風に考えながら子育てしている方も多いのではないでしょうか?
私もそのひとりで、根底には「子どもの自己肯定感を養いたい」という目的があります。
しかし……しかしですよ。この「自由にのびのび」がなんとも難しい。
「口は鼻の下にあります」
突然ですが、親子で最近ハマっている絵本がTupera tuperaさんの「かおノート」です。子育て世代ならご存知の方も多いと思います。
絵本のページにはさまざまな素材をもとにした「輪郭」がプリントしてあって、顔パーツシールやペンなどを使って顔を作れる絵本。最近、親子でハマっていまして、今は付属のシールだけで遊んでいます。
これは「ガイコツがただのオジサンになったー!!!」と爆笑していたシーン。とーっても楽しんでいました。
しかしこのとき、ついつい口を出してしまっていたのですよ。「口は鼻の下じゃない?」と。
「あー!言ってしまったー!!!!」と頭を抱えました。ココロのなかでね。
おでこに口があってもいいんじゃないか?
ここで、先日の私に言いたい。
「口が鼻の上にあってもいんじゃないでしょうか?」
やってみて、もし「アレ?なにかが変だな?」と感じられたら、それは子どもにとって、自主的に得られた「学び」ですよね。
そもそも、子どもは楽しそうで、「楽しい」っていうのは意欲の源。
そこに水を差すようなことは、別に言わなくてもよかったかー。と感じました。
しかしねぇ……難しいんですよ、コレがまた。顔って、目がふたつあって、口と鼻はひとつで、鼻の下に口があるじゃないですか。つい、この「正しい」顔を教えたくなる。概念に従っていないと、気持ち悪さを感じてしまう。
そして、間違えそうになったら、答えを教えたくなる。
転びそうになったら、手を出したくなる。
若干ながら、こんな気持ちに通じるものもあるなぁ。難しいなあ。とも、感じてしまったのです。
木の上に立って見るのが「親」
転ぼうとする子を助け続けると、自分で手をつけなくなる子どもになってしまう。というのは近年有名な話ですね。保育士をしている妹の園にも、そのような子がいるそうです。
これを続けると、転びかけたときに手がでないだけじゃなく、起こされるまで待つようになってしまうそうですよ。
こんな話とともに、とある園長先生から教えてもらったのが、「”木”の上に”立”って”見”るのが親」ということ。
漢字のつくりのなぞらえたこのフレーズは、「普段は手を出しすぎず、助けを求めてきたときや危険なときは助けられるよう、きちんと目をかけてあげましょう」ということです。
これは、遊びに関しても一緒だと思っています。
意欲の源「楽しい」をもっともっと自主的に生み出せるように。そこから学びがあるように。
水を差さないためにも、木の上に立って見る親でありたいものです。
時に呪文のように唱えております。
おまけ
「かおノート 10周年記念バージョン」。きんぴかや~。
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