母親への激情をただ受け入れるようになった話
私は「母を癒してあげる子供」として愛されるのがずっと辛かった。
母から無条件の愛情が欲しかった。
心の中にはいつも子供の私がいる。
子供の私はいろいろなことに飢えている。
「だから大人の私が飢えを1つ1つ満たしてあげないといけない」
こんな思いでずっと生きてきた。
この使命感は、時に私を急かして、責めて、追い込む。
そんな日の私はとにかく泣いているし、怒っている。
しかし、とある本に載っていた言葉が私を少しだけ変えた。
その言葉がこれだ。
「目に見えないものを信じられるかい?」
この言葉を読んだとき、なぜか唐突に想いを馳せたのは、母が幼い私を抱いたこと。
そして、思春期の私を心配したことと、一人暮らしの私にメールを寄越したことだった。
それから、愛は確かにそこにあったのだろうな、と悟った。
なぜか、唐突に。
冒頭で言った通り、私は母の心を慰めるための子供として扱われたことがたくさんあった。
だけど、無償の愛だってそこにあったんだろう。
それらは同時に存在していたから、私の心はずっと混乱していた。
だけど「どっちも本当」なんだ。
母が亡くなって10年となった今年、翻弄されてきた激情をただ受け入れることができるようになったような気がする。
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