10年かけて母に整理をつけたのかもしれない

人ってなにか、特定の居場所があるような気がします。

たとえば私だったらリビングテーブルかな。息子だったらリビングの床。旦那さんだったらお店の厨房、とか。

いろんな要素に左右されて、いつのまにか、その人らしいテリトリーになっているような場所、ってあるような気がします。

そして、そこにいるべき人がぽっといなくなってしまったとき、心をえぐる衝撃と永遠の不在を認識する。

通夜から葬儀、そして火葬へ

がん告知と余命宣告から約5ヶ月後の初秋。母の命は病床で終わりました。

それからは海に浮かぶ小舟のように周囲に流されるがまま、通夜、葬儀、火葬を終えたように記憶しています。

大きな悲しみの間に、なんとなく「きちんと終わらせないといけない」という気持ちが生まれ、「葬儀って、生きる人の心の整理にもなるのか」と実感した記憶も。

こうして書くとえらく落ち着いているようですが、実際の記憶は断片的です。母が亡くなって数年間は、母の命日な何日だったのかを覚えていられなくて。やはり動揺していたのだろうな、と思います。

「そこに居るはずの人がいない」

雨が上がっても晴れないような靄がかった記憶ですが、しっかり覚えているのはしばらく実家の台所を見られなかったこと。

台所は「母の居場所」でした。といっても、一般的なお母さん像ではないですよ。三ツ口コンロに鍋やフライパンを並べて、いろいろな食材に囲まれながら料理をする……なんて姿は、記憶にありません。

私の心に沁みついているのは、けだるそうにタバコをふかしている母の姿。

コンロの前のスペースに椅子を置き、ちょうど換気扇の下にあたるその場所で、台所でマイルドセブンをふかしながら「なんでお母さんが死ななきゃいけないのよ……」とぼやいている。そんな気がしました。

もちろん、現実ではありません。

現実では、そんなことない。だからこそ、台所が見られなかった。

台所を見ることで「そこに居るはずの母が、いない」という不在と、不在が放つ圧倒的なショック、そしてその後にやってくる悲しみを、受け止めることができなかったのです。

10年かけて慣れたような

去年、私は毎日その台所に立って、ごはんの支度や片づけをしていました。2019年2月に、息子と一緒に実家へ帰ってきたから。今は夫もこちらにきて、毎日台所に立ってくれています。とても不思議な感じだな。

台所の椅子は父が処分していました。

椅子がないせいなのか、没後10年超という年月のせいなのか、はたまたその両方なのか分かりません。台所の母を思い出して泣くことはもうありません。

リアルタイムで楽しいことやつらいことが流れていく毎日を、なんとかかんとか暮らすことで精一杯で。

「亡くなった実感」というのは、亡くなった瞬間や、通夜や、葬儀や、火葬のときでもなく、「永遠の不在を体感したとき」にやってくるものなのかもしれません。

私にとっては逃げ出したいほど悲しくつらい不在でしたが、10年の不在を経て、なんとなく慣れたような気持ちになりました。「ああ、あのとき、こんなことを考えていたなあ」と、タイムカプセルを開くような気持ちで思い出せるようになったんです。

そろそろ過去にとらわれないで、気概を持って生きていく時期がきたのかもしれません。いろいろなことが変わってしまった今年です。年末も迫ってきた最近はつい、過去を振り返りがちになっていました。しかし不安定に感じてしまう今こそ「今」を見つめて、自分の居場所をきちんと整えていきたいですね。

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