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【復刻版】核の黙示録・汚染された北の大地 【第3回 チェルノブイリ原発事故の被曝者、その後】

【この記事は復刻電子版です。最新の記事・情報ではありません】1993年に取材。集英社・週刊プレイボーイで連載した記事を編集しました。

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1986年4月、チェルノブイリ原発が大事故を起こした。爆発によって放出された放射能が大地を汚染し、人々は逃れることができなかった。そして90年、私たちは5年後の被爆者を取材し、7年目の今年、現場を再訪した。旧ソ連の汚染地域では放射能による影響が続いていた。
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何も知らずに被曝した人々

バルト3国のうち、中央に位置するラトビア共和国の首都リガ。3年ぶりにセルゲイ・アレクセーバさんに会うつもりだった。現在、彼は妻のテレサさん、娘のレナちゃんと3人で暮らしている。

86年のチェルノブイリ原発事故の直後、アレクセーバさんに軍事局から出動命令が出た。彼は緊急時の事故処理の仕事をしていたので、事故発生から12日後という早い時期に現地入りした。

チェルノブイリ原発の周辺では放射能除去作業が必死に行なわれていた。事故のあった4号炉の屋根では、呼び寄せられた作業員が飛び散った燃料やコンクリートの破片を拾っていた。屋根の上の作業員たちは鉛を塗った作業服を着ていた。

「私は化学処理用の作業服を着て建物の周りの土を取り除く仕事をしていました。放射能で汚染された車の洗浄も私たちの仕事でした」(アレクセーバさん。90年8月のインタビューで)
アレクセーバさんは危険区域となった30キロゾーン内のテントで寝起きして80日間もこの作業を続けた。

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