しあわせなちゃいろべんとう
いま
わたしはしあわせだけれど、
その
しあわせというのも
こんなにめぐまれているからしあわせ
というわけでも
ほかのひととかほかのじょうきょうとくらべてしあわせ
というわけでもなく
ただ
しあわせだなあ
と
かやまゆうぞうのようにおもうのだけれど
そのしあわせのおおもとは
こまかいあれこれはあってもおおむね
じぶんがすきなことをすきなようにしていられている
からであって
その
すきなこと
というのをぶんかいしてみると
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いち)おいしいものをたべてわかちあう
に) おいしいものをつくってたべてわかちあう
さん)かぞくとたびをする
よん)あちこちにいきあれこれみてぎゃあぎゃあいう
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とたんじゅんめいかい
とはいえ
わたしひとりでかんけつしていることが
ひとつもなくて、
ということをかんがえたのは
ここにねんはんのあいだに
むすことしているようなたびを
おっととふたりでするかどうか?
ふとそうおもったときに
あ、それはないな
とわたしのあたまのなかでわたしはそくとう
したのですが
(おっととわたしはしゅみがちがいすぎる)
まあそれはそれ、
そのときどきでじょうきょうは
いかようにでもへんかをするし
いまかんがえてもしかたのないことなので
ただもう
いまをいきる
それだけだなとおもうのですが
それでもやはり
なにがしたいのかなにができるのか
そろそろたなおろしのひつようなじきなのかもしれない
とおもったりすることもあります
せんじつからつかいはじめたおべんとうばこ
にまだなれていなくておいしそうにつめられないうえに
いつもいじょうにちゃいろのおべんとうをもって
がっこうへいったむすこのこえがわりがはじまった。