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矢印→

ぶらりと散歩することはあっても、ぶらりとデパートや商業施設へ出かけて行くことは滅多にない。
そうだ、わたしのはウインドウショッピングならず、ピンポイントショッピングだ。
目的の店に到着するや、店内のフロアガイドを探し、行くべき場所を見定め、直行する。買い物の途中でほかに買うべきものを思い出したら、然るべきところへ向かう。そして買い終えたらサッサと家に帰りたい。

 しかし、それをゆるさない店がある。家具量販店のIKEAだ。
ここは、入店するや床に記された矢印をたどり、ほぼ一方通行でレジまで導かれる方式。これ、目当てのものさえ手に入れればいい者にとっては、少々難儀な方式とも言える。たとえば入店してすぐのところに目当ての品があったとしても、店内の商品を網羅するようにつくられた道順で進まないとレジにたどり着かないのだ。
途中でショートカットの道順を表示してある箇所もあるが、床の矢印に背くのは容易でない気がする。好きなように進みたい。こう思いながらも一方で、道順を端折ってしまったら、いいモノを逃すかもしれない。にわかに損得勘定がはたらき、道順に沿っている。結果、予定外のモノまで買ってしまいがち。

道順といえば、美術館の順路、あれもそうだ。矢印通りに進んだ先の通路が分岐しているのに、矢印が一方向にしかない場合。ふいに進むべき方向を失い、迷子の気分を味わうことがある。先に進めという矢印の横に小さなスペースがあったりもして、そこを鑑賞するタイミングはいつなのか、かすかに戸惑うこともある。
 
IKEAや美術館の順路のように、人生にも見えぬ矢印があり、それをたよりに、わたしたちは歩を進めているのだろう。
義務教育を終える相当数の子どもが、その意味を説明せずとも高校へ進学していくのは、そういうことにちがいない。進学。就職。結婚。介護。個人差はあるにしても、年齢に応じて矢印が差し示す方向は増える。自らが選択して選んだ道を歩いているように思うけれど、示された道順をそれぞれの進み方で進んでいるということなのかもしれない。
この道をショートカットするか否か。突然現れる矢印のない分かれ道。寄り道かもと思える場をみつけたとき。進むべき道を迷い、戸惑うのと同じだ。
そしてどの矢印を進もうとも、いつかは、平等に死へと導かれていく。

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