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伝えたいと想ったこと

久しぶりのnote更新📝 以前は、特に大学生の頃は、 社会に対する意見や、これはどうなんだろうと想うことが沢山あって、 尖っていた自分がいたりして、 よくnoteに想うことを書いていた。 何だか最近は、書きたい!と思うことが格段に減った。 心穏やかになったのか、 自分がつまらなくなったのか、 きっと色んな人がいて、色んな考え方があって当たり前で、見る角度によってマジョリティもマイノリティも変わるんだって、 気づいたのかもしれない。 主張する必要性を感じなくなった。

    • 益子一人旅 #2

      「次に益子に来た際は、わたしが案内するからね」 演奏会で出逢った女性の、その言葉がずっと心にあったまま、 季節は秋になった。 ある日、貰った2冊の本を読んだとき、 「わたしはいま益子を訪れなければならない」 そう強く感じた。 本から感じたこの感覚を、 益子に行って確かめなければならない。 そんなふうに思った。 わたしはすぐに女性に連絡した。 人生で2回目、益子へ行くことが決まった。 ずっととどまっていたものが、動きはじめた瞬間だった。 何かが変わる、漠然と感じた。

      • 圧倒的に生きていると感じるのは、 自分に正直な時。 人は大切だけど、どう思われるかはどうでもいい。 自分の悔いのないよう生きるのみ。 これもまた、一種の考えで、瞬間の考えで、変わりゆく考えで、今この瞬間から色付きはじめる。

        • 益子一人旅 #1

          9月の終わる頃、休日に本を読んでいて、ふと思い立った。 「わたしは今、益子を訪れなければならない。」 すぐにある一人の女性に連絡をした。 一週間後、益子に行くことが決まった。 ————————————————— 初めて益子を訪れたのは、今年の夏。 尊敬する師の、夏の演奏会が行われたのが益子だった。 初めて訪れる土地。 思っていたより遠くにあった。 行きはバスで向かい、帰りはバスがなかったので電車を乗り継いだ。 帰りに益子駅から一番初めに乗る電車では、パスモが使え

        伝えたいと想ったこと

          お散歩話

          鳥の観察をするおじいちゃん、車道の真ん中を歩くおばあちゃん、それをゆっくり後ろから丁寧に避けて走る車、車の窓に映る木の影、ベンチで休憩するおじさん、公園で遊ぶ子どもたちの声、みんみんゼミとツクツクボウシの鳴き声♪ 団地はいいな〜お散歩で通る団地が何とも心地よい🍃 お散歩で感じる ゆっくりゆっくり、生きているを味わう。 古い駐車場に生える猫じゃらし ふわふわ〜 このあつーい日差しがまったくいやにならない 栄えている街から少し遠のくと、そこにはまだ残っている、何かが。

          お散歩話

          笑って居よう

          am 5:18 部屋のドアがノックされて、 〝すみません〜〟と男の人の声が聞こえる。 家に男の人は住んでいない、誰? 半分夢かと思いつつ目を開けた頃に、 ドアが開いた。 そこに警察官が立っていた。 生まれて初めて警察官に起こされた👮🏻‍♀️ 一瞬、警察の格好をした泥棒かと思った。 急いで母を部屋から呼ぶ。 お巡りさんはあーやがまた脱走したから連れて来てくれた。 外ですごい叫んでる ご近所さんにとてつもなく申し訳ない 今までに聞いたことのないくらいの叫び声。 母がお家

          笑って居よう

          怪物

          天才。 この映画を観たいま、天才という言葉を真っ先に使いたい 才能で溢れた、坂本龍一さんの音楽と坂元裕二さんの脚本と是枝監督の作品。そしてこの映画に携わった全ての人のおかげで、わたしは新たな気づきと学びを得た。 (そもそも、前に映画館に行った時からだいぶ月日が経っていた今日、久しぶりに映画館に行き始まる前から得たものがあった。一つは、映画に携わりたい!てまたやりたい事が増えた事。やりたい事があまりにも多いからどれか我慢しなきゃなーと時々思うし、最近は〝それ〟に対して時間

          孤独に美しく在りたい

          この前読んだ本に、人は何らかの方法で孤独感を免れようとする、というような言葉が書いてありました。  たしかに。 相手と自分と、誰かと何かと、共通点を探したり、同じ意見を言って、そうだよねって共感して、ほっとしようとしたりする。 別に違くていいのに。 違ったら孤独だからか。 人は誰でも孤独なんだ、きっと。 そこからいかに免れようとして、 誰かを、何かを探す。今日も、明日も。 きょうも流行りで溢れている。 流行こそ、孤独からの免れの象徴な気がした。 そんなとき、窓

          孤独に美しく在りたい

          雨がすき

          昨日聴いた素敵な言葉、素敵な発想。 〝雨が全てを綺麗にしてくれる〟 雨ですね〜の会話から、 その方は言った。 〝雨が、ぜんぶを綺麗にしてくれるって考えたら♪いいですよね♪〟 なんて素敵な考え方なんだろうって。 わたしは雨がすき。 雨で、湿気のある電車やバスは苦手だけど、 お休みの日に、窓から眺める雨が、たまらなく好き。お庭に降る雨が、雨に降られるお庭がだいすき。綴っていたらとても実家に帰りたくなる。だいすきなお庭に。だいすきなお庭を綺麗にしていた祖母に会いたい。

          雨がすき

          苦しみの分かち合い

          その人の苦しみはその人にしかわからない 経験したことのあることや、 わかりやすい苦しみなら分かち合えるかもしれない 共感して励ましてあげられるかもしれない だけど苦しみの種類は苦しみの数だけあって、どれも形が違くて、その苦しみを、 分かち合うにはどうしたら良いのか わからないから放っておくのも違うし、 わかったふりして励ますのも違う。 心の底から苦しんでいる人の幸せを願うけど、何もしてあげられない 苦しみは自分一人で解決するしかないのか その苦しみは当人しか解決で

          苦しみの分かち合い

          その概念は本当か、素直に生きる勇気。

          人が決めたこの世の平和のためにある、 そのルールは、時にいとも簡単に守られない。 人を守る為に決められた最高峰のルールは、 考えることを即座に辞めさせる強い力を持っている。 生まれたときからある概念、決められたルール、皆が口を揃えていう事、これは白ですか黒ですかと尋ねたら赤の他人同士でも同じ回答になるこの世の不思議。 何故ですかと聞いたときにはそこに自分が考えた根拠は存在するだろうか。 既に決められているからと、それがこの世の当たり前だと何も考えずに受け入れ善とされること

          その概念は本当か、素直に生きる勇気。

          大切に、ゆっくり、紡いでいく。

          答えが、わからなかったんだ。 まだ、見つかっていなかったんだ。 それでも、時は経ていくから、 どうしようどうしようと、訳がわからなくなるんだ。時に置いて行かれているように感じていた。 こうして自分なりの答え、選択が決まったとき、焦らなくて大丈夫、そう過去の自分に思う。だから、年上の人が言うことって、そういうことだと思った。 だけど、本人はわからない。感じない。焦る。それでいい。焦りながら、でも落ち着くことを思い出しながら、思い出させてもらいながら、じっくり、ゆっくり考えて

          大切に、ゆっくり、紡いでいく。

          表現の自由

          戦争の中の芸術家というタイトルで、 ショスタコービッチという作曲家が紹介されていた。 戦争の中で、自分の意にそぐわないものを虐殺するスターリンに、酷評を受けながらも、 翌年に曲を発表して喝采を浴びた。 プレッシャーに打ち勝ったと、評価された。 そしてその後作曲した交響曲第7番は、各地で演奏され、戦争に対する国のエールになっていた。 軍用機の横でピアノを弾く映像が流れていた。 ただでさえこの恵まれた時代から想像するにもしきれない戦争という状況下で、命をかけて、作曲をしてい

          表現の自由

          桜見たさに、いつもと違う道で帰る 桜が見えるたびに角を曲がる🌸 桜が帰り道を決めてくれる! いつもとは全く違う景色で、わくわくした 祖母宅に住み始めたときから、 祖母が心配して、大通りを通って帰って来なさいって言ったのをいまだに守っていて、 いつも大通りの景色が当たり前になっていたから、裏道の景色は全く違って、物語があって面白かった🌿 そのうちの1 わたしが桜の写真を撮っていたら、 前を通る自転車に乗った人がわざわざかかんで通ってくれた。。申し訳なかったけどそのお気遣

          なんでもできる何にでもなれる何がしたいか

          明日から仕事しなくていいよ って言ったら何をするか そのすることが お休みの日にしたいこと、自分が本当にしたいこと、心から望むこと ゆっくり起きる、二度寝? 会社に勤めてるから、このシステムの中で生きてるから、疲れてるから、起きてるのに半分寝てるから でも例えば普段働いていなくて、体力も心力も十分にあって、エネルギーが溢れてて、 自分がしたいことが全力でできるとしたら 何をする? そのときそれぞれの、いまは見えないもしくは消えてしまっているもしくは我慢している、し

          なんでもできる何にでもなれる何がしたいか

          表現者

          展示見るとどういう意図でどう見せたくてこうしたのかとか、空間の演出の仕方に興味が湧く、感動する だから前回行ったのも今回もおまけでみれる展示には全く興味がわかなかった それは本当に“展示”されてるだけだったからかもしれない 生意気にも自分も展示したいな〜これ参考にしたいな〜て思ったりする 今回印象的だったのはレズビアンの映像のとこで抽象的なのに胸に届く言葉。 不思議だった。 苦しさやパーソナリティを受け入れるていうのは、レズビアンや何かに限らずパーソナリティは全員に当

          表現者