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少年院卒の娘を育てた母の“おかしさ“

自分が親になって初めて、自分の親の“おかしさ“に気付いた気がする。

度々noteでも話しているけど、私には3歳下に妹がいる。大学を卒業して就職と同時に精神病を発症、良くなったり悪くなったりを繰り返して数年経った。

今は連絡も取っていないし私の母も妹の現状を全く知らない状態だ。

自分が親の立場で母を見ると、妹の思いが理解できた。

今日はそんな話をつらつらと。


私が息子を出産した日に自殺未遂した妹は今どこでなにをしているか分からない。

妹の旦那さんと私の母が連絡を取り合ってるけど、数ヶ月に一度現状報告が送られてくる程度。

ほとんどは妹の病状の報告でそれ以外のやりとりはしていない。


私はすごく神経質で物音に過敏なのもあって、他人と暮らすと疲れを感じやすい。一方、母と妹は足音も大きいし家の中もガサツな感じというか、“自分の家“だから遠慮がない。

もちろん家だからいいのだけど、いくら家族といえど配慮や遠慮がない2人に耐えられなくて17歳で家を出た。

母と暮らした時間は17年、妹と暮らした時間は14年。

13歳からほとんど家に帰らず非行していたから、妹と暮らした時間は10年ちょっとだと思う。そう考えるとすごく短く感じる。


過ごした時間の長さもあると思う。私と妹はどこか一線を引いて付き合ってきた。考え方も生き方も真逆だから、私の生き方は妹の癪に触ることも多かった。

過去の話は腫れ物に触る感覚で、自殺未遂騒動を起こした時も私は「27歳にもなってまだ親がどうとか頭大丈夫?」と思ったのが正直なところ。

妹には妹にしか分からない苦しさや悩みがあるのだろうけど、連絡を取らなくなって改めて、私は妹のことをあまり知らないと気付いた。


私が息子を産んでから母がたまに泊まりに来る。

母と同じベッドで寝たのも久しぶりだし、何よりこれだけ頻繁に顔を合わせるのは中学生ぶりだ。

ポジティブな変化もあったけど、自分の母におかしさを感じることも増えた。


息子に接している母は、ある意味で自分が子どもの頃に接していた母の姿。

相手のペースに合わせるより自分のペースに“合わさせる“母のやり方を見ていると、昔、自分と同じ目線に立って考えてほしいと思っていた頃を思い出した。

母は今も一緒に歩いていて、歩幅を合わせない。

昔からスタスタとひとりで先を行き、ついていけない私や妹に「遅いんだよ!」とよく言っていた。

怒られないように小走りで歩いたことも多々あって、いつからか私は母と出掛けるのを避けるようになった。


歩幅を合わせて歩いてくれないなんて、大したことではないだろう。きっと私の母はそんなこと気にも留めていないと思う。

だけど子どもにとっては忘れられないほど嫌だったことであり、30歳を迎えようとしているのに私はまだそのことを覚えている。

きっと“小さなすれ違い“が積み重なって、私は母を避け恨むようになったのだろう。

妹の現状や言い分を聞いていても、母にも問題があったことは確かだ。


その上で、私は息子にとって“いい母親“でいられるだろうかと思う。

“いい母親“の定義など知らぬ存ぜぬだが、息子の歩幅に合わせて歩ける親ではありたい。

あくまでも自分と息子は他人なんだということを忘れなければ、息子を尊重する気持ちも忘れないだろう。

母にとって私や妹は自分の子どもだから理解できて当たり前の存在。その考え方に、親としての“おかしさ“を感じた。


妹は現在カウンセリングを受けながら、社会復帰を目指しているらしい。カウンセラーとのやり取りで使用したメモを妹の旦那さんが母に送ってきた。

そこには母と私への罵詈雑言、そして「それでも家族だからいつかは会って今まで通り付き合いたい」という言葉で締められていた。

正直、私は死ぬまで妹に会わなくていい。

27歳にもなって自分の人生の言い訳を親だと言う理屈は理解できないし、大学を出ていない人間はゴミくらいの発言をしておいて、自分は大卒でニートなんて社会や世間を知らなすぎて付き合うのが面倒臭い。


母の人格や子育てに“間違い“があったのは確かだけど、自分の人生に母は関係ない。より良くしたいのなら尚更、誰かのせいにしているようじゃなにも変わりはしない。

良くも悪くも敷かれたレールを歩いてきただけの妹に、それを言っても伝わらないのが悔やまれる。


いつか息子が道を外れてしまったら、私は自分が少年院にいたことを息子に話すつもりだ。

母は言わない方がいいと言ってるけど、親だって失敗を繰り返してここまで生きてきた。完璧な人間なんかじゃないし、人様に迷惑をかけることだってある。

したことを叱るだけの人間じゃなく、私は息子の気持ちに理解を示せる“親友“でありたいから。




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