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少年院を出て今年で9年目

私は今でも自分の人生が正しいとは思わない。

“普通“に生きる道はいくらでも用意されてきたし、差し伸べられた手の数は本当に恵まれていた。

わざわざ社会の中で生きづらい選択をしてきたけど、私は今を幸せに感じる。

今日はそんな話をつらつらと。


子宮頸がん手前の異形成CIN3という病気


あまりにも腰が痛くて整形外科へ行くことを決めた時、たまたま出産した病院が産婦人科と整形外科だったことを思い出して診察を受けた。

「そういえば子宮頸がんの検査結果を聞いてないな」と思い、ついでに産婦人科も受診することにした。

そして1ヶ月後、異形成CIN3だと分かった。


最初に考えたのは息子のこと。

シングルマザーの私が入院したり死んだ場合、息子はどこで誰と暮らすのだろうか。

これって結構まずい状況?と思ったけど、落ち混んでいても時間はあっという間に過ぎていくだけだ。無駄にしている気がして考え直した。


ろくに会社員を経験していないから、人間ドックも健康診断も受けたことがない。わざわざお金を払って病気に“なった時“のために保険に入る意味も分からなかったし、健康も病気も興味がなかった。

若かったからかもしれない。独身だったのも大きかった。

けど、今は状況が違う。

備えが必要だと実感したのと同時に、自分の歳を感じさせられた。


子どもの習い事に保育園選び


習い事というのは生後6ヶ月から存在する。正確にいうと習い事として教室が存在するのは生後6ヶ月からで、学習や知育は生まれた瞬間からできる。

生まれる前から保育園を決めている人もいるし、保育園といっても学習の時間があったり森へ探検に行ったり各園の特色がある。


そんなこと子どもを産むまで知らなかったし、生まれて6ヶ月の赤ちゃんに習い事をさせる意識の高さに驚いた。

人気のない保育園なら空きがあることも知ったけど、ビジネスとして見れば待機児童問題が解消されないのも納得できた。


日に日に赤ちゃんから子どもになる息子を見て、どんな経験をさせてあげられるか考える。

正直学歴はどうでもいい。

学歴が欲しくて高校や大学に行くなら、私は人として考え直すことを助言する。

でも目的があって学校へ行くなら応援する。そういう意味の学びであれば、人生で大いに役立つ可能性があるから。


私の息子だ。半分の遺伝子を担っている彼も立派な人間ではない。

ハーバードを出て立派な学者になって、なんて夢を見るわけもないし、好きなことのために時間や人生を費やすのが無駄だとも思わない。

思いつく限りの“楽しい“を用意して、そこから息子が好きなものを選べばいい。

それが私の人を育てる方法だ。


やりたいことを探しているうちに人生は終わる


そういえば全く本を読まなくなった。 

いつも目に入る位置に本は置いてあるけど、読むのは息子の絵本くらいだ。

息子を産んで働き方も時間の使い方も変わった今、なにかしたいと模索している自分がいる。

それが仕事か趣味かは分からないけど、確実に今、自分を持て余している。


少年院を出院してすぐの頃、自分が何をしたいのか分からなかった。

夢も、やりたい仕事もない。なにがしたいか聞かれるのがすごく嫌で、誰かが私のやりたいことを持ってきてくれないか期待した。

そんな訳もなくただぼーっと過ごしてきたけど、今でも“これがいい“と心から夢中になれることはない。


病気だといわれて人生を考え直して、「なにをしよう」と思っているうちに一週間が過ぎていることに気付いた。

朝起きて家事をして息子の相手をしていると気付いたら夕方。

お風呂に入ってごはんを食べたら、あとは寝るだけ。迷っている時間はないと分かった。


考えている暇がないなら目の前にあることをやろう。


それが私の出した答え。息子にも同じことを言うつもり。

やりたいことがないなら目の前のことを必死にやってみたらいい。学校でも勉強でも部活でも習い事でも、なんでもいい。家の掃除や料理だって構わない。

とりあえずやること。動くこと。実際に手に取って見ること。

人は必ず、いつか死ぬから。








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