見出し画像

韓国の不登校対策

学校のみらい

先日、学校のみらいという番組がありました。不登校についての番組です。ご覧になった方はいらっしゃいますでしょうか。

その中で、韓国の学校が取り上げられていました。シンハヌン学校というところです。シン=興味、ナヌン=湧き上がる。つまり、その子のやりたいことが授業にあるというコンセプトです。

必修科目は全体の半数。残りは自分で決めて良い。大学みたいですね笑。自分で決める授業も、楽器、アート、ダンスなどメジャー(?)なものだけでなく、ラテアート、人工知能など生徒が発案して、学校側が講師を見つけるものまであるそうです。

いや、私行きたい!!笑。お笑い学びたい!!

日本だとこういう学ぶところはあるかも知れませんが、結構ガチ勢というかある程度本気じゃないとダメみたいな雰囲気がありますが、学校の授業の一つなら体験できるからいいなぁ~。

やっぱり行ってみたい!!笑。なんなら講師もしてみたい笑

子どもとして学ばなければいけない教養みたいなものは確かにあると思います。漢字、九九、歴史、自然科学。その教育は国として必要でしょう。学校の勉強が楽しいという子どもがいるのは事実です。しかし、そればかりで選択の自由のない今の学校を苦しいと思う子どもがいるのも当然な気がします。

必修科目と選択科目が半々くらい。そんな公教育が実現できたらいいな~って思いました(現実かなり厳しいことは重々承知のうえで)。

今までって

ここ数年の不登校の数の伸びを見るとびっくりします(株のきれいな上昇チャートのように見えてしまう私は病気です笑)。一応、不登校は昔からいたけど、調査の仕方や定義自体が・・・的な論は今回は割愛します。

原因なんて一つに特定できないのは大前提として、今までと最近と何が違うのだろうと考えると、先ほどのシンナヌン学校とつながるような気がしました。あくまでイメージで書きます。具体的に何年だ!とか、全然違うって言わないでください。お許しください。見逃してください笑

今までバージョン「ALWAYS 三丁目の夕日」のイメージ

学校が終われば路地や公園で好きに過ごす。決められたプログラムもなく、思い思いに過ごす。日が暮れる頃、家に帰る。勉強しろ!と親に言われるが、「まあまあ」と祖父母が優しくしてくれる。結局、飯食って風呂入ってすぐ寝る。

ガミガミ言う親だが、お母さんは家にいていろいろやってくれる。お父さんが働いたお金で家電が増え、生活がよくなることを実感する。

学校ではガチガチかもしれないが、学校が終われば自由があり、現状の自分のことを受け入れてくれる人がいて、生活が良くなっていくことで大人になることへの希望がもてる。小学生の間は大人になるまでのモラトリアムのようなもの。

今バージョン(あくまでイメージ)

学校が終わってすぐに習い事。習い事が終わり7時に帰宅するが、同時に働いている母親も帰宅。おなかは減るが、学校と習い事の宿題があるので取りかかる。終わり次第ご飯だが、親は洗濯、皿洗い、風呂洗いのため、一人でスマホを見ながらの食事。お風呂に入った後、「早く寝なさい!」と言われるからとりあえず布団に入り、スマホをいじる。友達からのラインを返し、インスタを見てみんなのキラキラした姿に落ち込みながら、寝落ちする。寝てから父帰宅。

人と一緒にいる時間は長いが、自由に話す時間や相手はいない。食事もラインの返信も自分がしたいというより、しなきゃどうなるか分からないからしているだけ。唯一の自分の選択のインスタも人と比べてしまい、プラスにはならず。

学校が終わっても義務感で行動。小学生の間は生活費を稼ぐための準備期間のようなもの。

さて、かなり強めに脚色したので、「さすがにそこまでは・・・」とは思いましたよね笑。うん。私も思います。やりすぎです。

でもちょこちょこ共感できるところはありませんでしたか?また、今バージョンの感じも想像できなくはないですよね?

シンナヌン学校の必修科目と選択科目の半々。これが今までは1日の中で実現されていました。学校は必修だが、それ以外は自由。だから必修が嫌な時も耐えれた。

しかし、今は1日のほとんどが必修。必修に耐えれなくなるのは仕方ないと思う部分もあります。

で、何ができるよ?

そんなテレビを見て、「日本の公教育がダメだ!」というのは簡単です。ただ私も含めて、現実に子育てをしている人たちは「今」その問題に直面しているのです。公教育の変革を待っている暇はないのです。

じゃあどうするか。何ができるか。

学校は選択の自由がなく、常に成長せよという場。そういった環境は大切でもあります。やぱり怠けてしまいますからね。でもそれだけでは苦しくなる。だったら家庭で親ができることは、子どもに選択の自由を与え、子どもの現状を肯定し受け入れることではないでしょうか。

「こうなってほしい」「こうしてほしい」「こうであってほしい」そんな想いがあるのは親として当然です。不登校にならないようにすることだけが道ではないです。不登校になることは問題なわけでも、落ちこぼれでもありません。

ただ進んで不登校になったわけでないなら別です。きっとなりたくてなったわけではないと思います。親御さんもなってほしいと思ったわけではないと思います。

私は不登校を望まない人が不登校にならざるを得なくなるのを減らしたいだけ。不登校になったときの、家庭への影響は大きいです。思っている以上に時間的にも精神的にも時には金銭的にも影響があります。

私も親の一員として、奮闘しています。親としてできること。一緒に考えましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?