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増税メガネの心を考えてみよう

行事を見る側

先日、次男(年中)の運動会がありました。次男は発達が遅く、他のみんなと同じように行動することができません。

保育参観で見に行っても、常に先生の側にいて手を引かれて活動を行います。というか、見に行ったときの方が活動できないです(先生談)。

昨年までの行事も当然。他のみんなと同じようにはできません。個別最適化が流行でいくら個性が大事とか他のみんなと同じでなくていいとか言われますが、同じにしないのと同じにできないのは親からすると全然違います。やっぱり心配で不安になります。

今回の運動会は、全部で3種目。かけっこ、表現、親子競技。どうなることやらと考えていましたが、結果をいうと・・・感動でした(それは結果ではなくて、ただの感想)。

まずかけっこ。入場こそ、先生と手をつなぎましたが、自分の順番でコースに立ち、名前に返事をし、トラックのすぐ外を走り、なんと2位でゴール。というか、最後で抜かれただけで1位の時間は長かったのです。これの何がすごいかというと、1位ということは先頭です。つまり、自分でどこを走るかを覚えているということ。

普通に考えれば、順位に着目するところかもしれませんが、我が家では「ちゃんと走った!」で感動していました。まあ、年中なんてみんな走って楽しいなーっていう雰囲気なんで、のほほんとした感じでしたが笑

次は表現。バルーン演技というもので、みんなでもって波とかするやつです。説明が難しく、曖昧な表現ですみません。「バルーン 保育園」とかで調べれば、何かしら出てくるかと思いますので、イメージができない方はそちらでお願いします。

一人一人がよく見えるダンスと違って、バルーンは団体演技です。つまりは、一人があまりできていなくても(最悪欠席とかしても)なんとかなるものです。しかも先生も三人入る。内心「あぁ、これでなんもできなくても演技には支障なくてよかった」と思っていました。

ところが、始まってみると次男もちゃんとやっているではないですか。バルーンに乗るとかバルーンに隠れるとか覚えているのですよね。一人一人がよく見える手を上げて回る場面でもちゃんと手を上げてるし。そんな姿を見て感動を通り過ぎて感激(感激と感動の上位関係は知らない)。

それから一週間は、演技中かかっていた「未来コネクション」という歌を家でずっと流して一人感動の余韻を味わっていました。家族からも「は!?また!?」的なリアクションをきちんといただきました。

親御演技に関しては、園での練習の時から非常に嫌がっていたそうです。しっぽとりをするというなんてことなさげなものですが、しっぽをつけるのが無理みたいです。結局本番も二人で一緒に他の子を応援していました。まあ、これは想定通りでした笑

3種目見ましたが、本当に心から運動会最高という思い出です。運動会のDVDが発売され、当然買いました。あれはずるい笑

行事を作る側

さて、ここまでは保護者目線でしたが、私は元小学校教員です。行事を作る側の経験もあります。今度はそちらで考えてみます。

まずもって演技の内容を決めるところから始めます。何年か経験をすると、ある程度の引き出しは増えますが、毎年クラスや学年の人数や状態は違いますので、全く同じというわけにはいきません。ま、大体主任さんか若手が担当をします。

続いて、演技曲、立ち位置、並び順を決め、詳細な動きやタイミング、場合によっては曲の編集などをします。今回の息子の運動会ではありませんでしたが、ポンポンや衣装などを作ることも考えられます。当然これらだけを考えたり作業したりする時間などなく、通常の保育や授業と同時並行で行います。

これだけでも想像を絶しますが、一番の難関はまだです。そうです。子どもたちの練習です。練習は肉体も精神も想像以上に疲れます。子どもも大人も笑。疲れたら普段はできることもできなくなるかもしれません。疲れからトラブルだって起こるでしょう。これが2週間から1ヶ月ほどかかります。

そういった先生方の努力があって初めて、行事が完成するのです。たとえ、ちょっと「え?」って思う演技だとしても、その裏にも必ず努力があります。期待を超えるような演技は事前準備の段階から相当の時間や努力が存在します。まず敬意を表しましょう。

どうしたって学年があがるにつれ、親の期待は自然と大きくなります。期待に応えるために先生方は本当にいろいろなことをしてくださっています。改めて全国の先生方、ありがとうございます。

敵じゃない

とまあ、両者の視点から考えましたが、本題はこれからです。私は両者の立場を経験しているので、保護者側の願いや想いを理解できるから、子どもにも親にも「この行事があってよかった」と思えるようにしたい。先生側の苦労が想像できるできるから、過剰すぎるサービスや飾り付けなどは必要ないと思うし、先生方への感謝の気持ちをもちます。

でも当然ながら、大半の保護者の方は教育関係者ではないし、お子さんがいらっしゃらない先生だって大勢います。反対側の立場を経験している人が少数派だということも承知の上で言わせてください。

「相手は敵ではない!協力する相手!」

お金を払っている感覚からか、保育職・教育職をサービス業と思っているからか、多大な要求をする保護者を見かけます。アンケートにも保護者の声として「えぇ!?」と思う内容も記載されています。

親は、子どもを預かってもらっている立場です。小学校といえども、実質預かってもらって教育をしてもらっている立場なはずです。教育を受けさせる義務があるだけで、学校に行く義務はありません。家で親が教育してもよいのです。

もう一度書きます。親は、子どもを預かってもらっている立場です。そこに実費がともなうかどうかで立場が上になることはありません。

かといって、保護者が下で先生が上かと言えば、そういうわけでもありません。先生だって無償のご厚意でやっているわけではないはずです。保護者なり、自治体なりからお金を頂いて先生という仕事をしていますよね。

しかもいじわるな言い方をすると、絶対に顧客が来る仕事ですよね。営業しなくても顧客がくるなんていう民間の仕事はほとんどありません。

先生は子どもを預かる立場です。その家庭にとって大切な大切なお子さんを預けてくださっているのです。子どもにとっての5・6時間は非常に貴重です。親御さんにとってもかわいい盛りの子どもを5・6時間預けてくださっているのです。

相手の状況が分からないから、つい自分の想いだけがつっぱしってしまうんですよね。そのお気持ちは分かります。

対立構造で考えがちな先生と保護者ですが、敵同士ではなく、子どものために協力し合う関係なのです。知らないから批判するのではなく、お互いに協力し合う関係であることを忘れず相手に感謝したいなと思います。

上司

知らないから批判しがちなものに上司があります。いや、上司というより上の人といった方が分かりやすいですかもです。

例を出します。

まず最近話題の「増税メガネ」こと、岸田総理です。ま、というか、岸田さんに限らず総理にですね。岸田さんは消費税減税で話題をかっさらっていますが、今までの総理も常に批判の対象にされ、支持率は右肩下がり。

ここで、ちょっとだけ総理の気持ちになってください。消費税減税だけではなく、生活全般を考えるのですよ。

まず私が思い浮かんだのは、休む時がありません。当然、勤務時間は働くでしょうが、総理だって一人間です。労働基準法とかが適応されなくても、やっぱり働く上限はあります。さらに総理なんて国に関わる大きな決断を一分一秒を争うレベルで決断しなくてはならないときが多いと思います。いつ緊急事態が起こるか分からないし、気晴らしに町もふらっと歩けません。なんか肉体は一人になる時間はないのに、心はいつも一人なイメージです。

答弁ではちょっと言葉を間違えたり、逆に断定しすぎたりすると、すぐにつっこまれる。一生懸命、国全体のことを考えて政策を考えても、国民は自分個人のことで責めてくる。そして、あげくには支持率がなく「増税メガネ」と言われる。

いやー、私には到底できません。いくらお金がたくさんもらえるといってもねー。想像できる範囲でこれなので、実際にはこの何倍、何十倍のプレッシャーなんでしょうね。

そんなことを考えてしまうと、私には総理という大役をしてくださっている一個人を批判することは到底できません。

校長先生だってそうです。

学校の先生は聖職といわれていたこともありますが、所詮一個人です。校長批判や教頭批判は日常茶飯事です笑。

でもね、我々は校長・教頭の具体的な仕事内容を知りません。責任範囲を知りません。それにかかるプレッシャーを知りません。どれだけ大変か。どれだけ孤独か。どれだけ責任がのしかかるか。ひどく疲れている顔を見ると、到底批判できません。

あなたの上司も同じです。仕事内容、仕事範囲、責任、仕事とカウントされない仕事。あなたはそれを知らないですよね。

知らないだけで

「自分の子どもがクラスの友達を殴った」さて、この情報を聞いてあなたは子どもになんて言葉を投げかけますか?

なんで友達なんて殴るの!!友達を殴るのはダメ!謝りなさい!

この悪魔の3段構成ではないでしょうか。

理由を聞いていないのに使う「なんで」。だれも反論できない正義の「正論」。何が何でも「謝罪」。

では、初期の情報にちょっと付け加えます。「普段人のことを悪く言わない自分の子どもがクラスの友達を殴った」さて、どうでしょう。

もうちょっとつけますね。「普段人のことを悪く言わない自分の子どもが、いつもからかってくるというクラスの友達を殴った」さてさて、なんかストーリーが見えてきましたね。

ダイナミックにしてみます。「大好きだったおじいちゃんが亡くなった次の日に、普段人のことを悪く言わない自分の子どもが、いつも家族のことをからかって嫌な感じに思っているクラスの友達を殴った」さすがに、創作感がでてきましたか。

でも、仮でいいので、考えてみてください。最後のように情報を聞いたら、「なんで友達なんて殴るの!!友達を殴るのはダメ!謝りなさい!」と言うでしょうか。きっと言いませんよね。殴ることはダメと伝えはしますが、その子を批判するでしょうか。もし批判されたら子どもはあなたの話を一切聞かなくなるでしょうね。

まとめ

相手の状況はその人以外には知りえません。この記事で、知らないまま批判することの危険性を感じて頂けたら幸いです。

批判してはいけないというわけではないですよ。相手から話を聞かないで、批判するのが良くないと言っています。

中には総理のように、自分が相手に直接話を聞けない時もあるでしょう。そんなときは「何か考えや事情があるんだな」と思い、批判するのではなく、あなた個人でできることを精一杯やればいいのです。みんないろいろあるのです。

批判し合うのではなく、協力し合おうね。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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