名無し

売れない画家です。

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最近の記事

完璧主義に取り憑かれて

完璧じゃないと苦しいときが多いです。 客観的に見て楽しい状況でも気になることが1つあるだけでしょんぼり、がっかりしてしまいます。 どんなに恋愛でうまく行っても、どんなに仕事でうまく言っても、手が滑って晩ごはんをひっくり返したら最後、その1日は最悪になってしまうのです。 80%の幸せを理解できないのです。 何事も完璧に満足したがるのです。 なんなんでしょうね。 発達障害、なかなか曲者だなぁと思いながら日々生きています。

    • 失言

      私はよく失言する。 失言しすぎて何を言ったかは覚えていないのだけど、やらかした記憶だけはなんとなく覚えているので喋るのが怖かったりする。 最近は心優しい人たちに囲まれて生活しているので、失言しても受け流されるような感じだ。 でもいつまでもぬるま湯に使っているのは良くないと思い、私はSNSの世界へと飛び出した。 やっちゃったのである。 特大失言。 周りがなんとなく話をうまく持っていってくれたりしたので事なきを得たがあれはかなり殺意のある失言だった… ちなみに内容は、とある

      • 死にたい人へ

        死にたくなくなった私から死にたかった私に伝えたいことを書こうと思います。 自分はメンヘラでずっと心の声に罵倒されながら生きてきました。 その声は絶え間なく四六時中自分に付きまとってきて自分の心をズタボロにしていくものでした。 だけど、色々あって病院を変えて、母に止められていたメンタルのおくすりを飲み始めて半年。 やっと効いてきてなんとなく穏やかな日々を過ごしています。 まだすべてが解決したわけではないけど、だからこそ過去の自分や、今死にたい人に対して伝えられることはないか

        • 大きな声では言えないけど。

          大きな声では言えないけど ちょっと聞いてほしいから こそっと話しますね。 実は通院してる病院の看護師さんが苦手です。 どうしても関わらないといけない人で、嫌いだと思わないようにしようと思ってるのです。 でも違和感がふつふつと沸いてくるのです。 その人は 死ぬのは簡単。生きるのは大変 と言います。 そもそも生の苦労と死の誘いを天秤にかけてはいけないのですよ。 全く正反対の苦しみでしょうに。 そして自殺未遂した人の「生きてて良かった」は鵜呑みにしてはいけません。 あんなの生存

        完璧主義に取り憑かれて

          鬱が辛すぎるので惰性で生きることにした

          最近、というかここ十年以上うつっぽい。 もちろん病院には行っているのだが、親の干渉が酷く服薬ができない状況だった。 色々あって実家を出て、グループホームにはいって、グループホームがつぶれたので仕方なく独り暮らしを初めて二年ぐらい経ち今に至る。 10年前の辛さと種類が違うが辛さは相変わらずある。 それに加えて年の割に子供っぽくてめんどくさい彼氏がいたり、愚痴ばっかり言う親戚のおばさん、私のことをイラつかせるのがうまい糖質の知人、アニメ好きで上から目線の友達。 などなど、めん

          鬱が辛すぎるので惰性で生きることにした

          人の気持ちがわからない君へ

          前提として、 わかる=100%完全に同じ経験をする ではなく わかる=似た経験等をもとに相手の感情の強さ、感情の種類を推測しながら、必要に応じて質問を行い理解を深める。 だと言う前提で話します。 欲求と根拠いずれか一つのみ、もしくは2つセットのもの どちらも人の気持ちという概念に当てはまります。 ですが、どちらかというと 根拠の部分が気持ちとして扱われる機会が多いと感じます。 例文です。 「お腹が減ったので、りんごが食べたいです」 上の文は おなかが減ったので が根拠です

          人の気持ちがわからない君へ

          2023/07/22のあたまのなか

          死にたいの裏側も死にたいでびっちりうめつくされた気持ちは、山のように積み上がり驚くほど乱雑に敷き詰められている。 昔は生きたかったのかもしれない。 今の自分にそんな気持ちはない。 自分の人生なのに他人に舵を取られ、絶望しながら生きている。 どう生きればいいのだろうか。 どうやって死ねばいいのだろうか。 わからないまま月日は流れ、 心も体も衰え鈍くなり今に至るわけだ。 心の中は常に言葉で満たされていて一人になると死にたいが共鳴し始める。コントロール不可能な大合唱。 その物

          2023/07/22のあたまのなか