人の気持ちがわからない君へ

前提として、
わかる=100%完全に同じ経験をする
ではなく
わかる=似た経験等をもとに相手の感情の強さ、感情の種類を推測しながら、必要に応じて質問を行い理解を深める。
だと言う前提で話します。

欲求と根拠いずれか一つのみ、もしくは2つセットのもの
どちらも人の気持ちという概念に当てはまります。
ですが、どちらかというと
根拠の部分が気持ちとして扱われる機会が多いと感じます。

例文です。
「お腹が減ったので、りんごが食べたいです」
上の文は
おなかが減ったので
が根拠です。
りんごが食べたいです
が欲求です。

この場合の根拠(気持ち)は理解できると思います。

もう一つ例文です。
「死にたいです」
これは欲求しか存在しません。
なので根拠(気持ち)がわからない状況ですね。
なんで死にたいのか聞いてみましょうか。
「好きな人に嫌われたと思うので死にたいです。」
嫌われることで大小問わずネガテイブな感情になるのは誰でもあると思うのでここまでは理解できると思います。
ですが、嫌われたからと言って死にたいとは感じない。
そろそろわからなくなってきましたね。
もう少し聞いてみましょう。
「自分は彼氏のために生きてる。その彼氏に嫌われたら生きる意味がない。だから死にたい。」
つまり、彼氏のために生きてるから、彼氏が何らかの方法で自分の元から離れたら生きる意味を失ってしまう人なんですね。
この場合も彼氏が離れることと生きる意味が結びつかないからわからないかもしれないですね。

ある程度掘り下げても欲求と根拠(気持ち)がつながらない場合はおそらく彼氏のこと以外の死にたいが存在していると考えられます。
そのすべてを聞いて、例文1のレベルぐらいの単純な言葉にして欲求と根拠(気持ち)を繋げていけば「少し」わかる可能性があります。
世間一般の人はそのすこしわかる状態を気持ちがわかると表現している可能性があります。

実際、例文2のような状態になると欲求を解決する手段等がわからなくなります。
そのため根拠(気持ち)が支離滅裂で、破綻しており、わかりづらい状態になるのでしょうね。

もっともこの状態は了解不能な状態なのでとっとと医療機関にかかったほうがいいと思います。

人間は一人では生きていけません。
ですが、伝わらないことが多すぎます。
だから伝えることを少しずつ諦めてしまう。

それもまた人生です。

但し、伝えなければ何も起こらず、
自分の欲求は永遠に満たされないのです。

欲求が満たされないと人間は死にます。
餓死もありますし、心の死もあるでしょう。

だから人は完全にわかりあえないことを理解した上で生きるために日々欲求を伝え続けるのです。

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