小説 バイト先の休憩室。

バイト先の休憩室。そこには、店内の喧騒から、エプロンを纏って店員という社会的な動物を演じた後の人間たちがいる。
出勤したときの目線、挨拶の声、まだ店員になりきれていない人間と店員の狭間をゆく、高校生、パート、社員の姿を観察する。
仕事中はこの人どこまで愛想が良いんだろうと思う人も、いざエプロンを外し私服に着替えると声がか細くなり、目が全く笑っていない。
店員という存在はとても不思議だ。
高校三年生の冬から約2年半働いている私も今ではエプロンを着てお客さんと対峙した瞬間、自分が喋っているのだけど、自分じゃない誰かの声が遠くで喋っているように感じることがある。
自分はそれがとてもこわい。そういうものなのだろうけど自然と笑顔を振る舞い、自然と口を動かし、自然と接客用語を唱えている自分がとてもこわい。
仕事が終わった後の休憩室ではそんな店員を見事に演じ切った後の疲労感がドッと襲ってくる。
今までの私は何をしていたんだろう、何だったのだろう、と意味のわからない夢から醒めたような気分になる。
「今日の最後のお客さん買い物長かったな」「今日観たかったテレビ録画するの忘れたわ」など高校生たちが瞬時に店員から人間に戻り雑談をしているなか、私はぼーとシフト表を観ながら頭のモヤモヤを消せずにいる。
同級生何人かと一緒に帰る帰り道は、決まってお金がないといういかにも大学生らしい会話になる。
それすらもまだ店員感が抜けきっておらず店員用語ならぬ大学生用語を話している感じがしてしまう。
あー気持ち悪い。
何かに流されているとかではなく、店員という社会的動物に当然のようになり、今度は大学生という社会的動物に当然のようになってしまっている自分が気持ち悪い。
皆と別れた帰り道、1人そんなことを考え頭のモヤが冷めずにいる。
皆は1人になった帰り道どんな気持ちでいるのだろう?
推しがどうした?ライブのチケットとろうか?友だち夜更かししてとゲームしようか?すぐにソファで寝ようか?
何をしたら社会的動物を剥がすことができるのだろう。

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