見出し画像

自分にしか興味がないのかもしれない

先日、初対面の人に自分のこれまでの人生で印象に残ったことを話し、私のパーソナリティを掘り下げてもらう時間があった。
例によって就活の一環である。

すべて話し終わった後、相手はこう言った。

あなたは”掘り下げる”とか”追求する”ってことが好きなんだね
”誰かに喜んでもらえて嬉しかった”とか”誰かのためにしたことにやりがいを感じた”なんて、正直今までの話でひとっつも出てきてないよ

マイペースな方であることは自覚していたのだが、改めてそう言われると、おぉ…と少しへこんだ。

私だって、誰かに喜んでもらうと嬉しいという感情はある。
現に、私はずっと接客業のアルバイトをしていて、お客様に感謝されて嬉しかったことも、もちろんたくさんある。

だけどそれは、その時にはほとんど話さなかった。
なぜなら、その時のテーマは「自分の人生のターニングポイント」だったからだ。
アルバイトで嬉しかったことがいくらあっても、私の人生を変えるほどの衝撃は無かったということだ。

私は好奇心が強い方だけれど、一方でドライだとも自覚している。
エムグラムでも、「かなり繊細」と同じく「ちょっとドライ」が毎回出る。
他者に無関心なわけではないのだけど…なんていうか、線引きが明確なのだと思う。

例えば、友人Kが大学院を辞めると言った時も、「あ、そうなんだ」としか思わなかった。
その後、Kがいない場で共通の友人・知人と話していて、みんながKの決断についてあれこれ言うのに驚いた。
「Kがそう決めたんだからそれでいいじゃん」と思ったし、そう言ったが、「でも、もっとよく考えた方が…」「せっかく院まで来たのに」と、ネガティブなコメントは止まず、私は話題が変わるまで黙って聞いていた。

もっと遡ると、何年か前、紅白歌合戦中に、某アイドルがグループからの卒業を発表したことがあった。
一緒に見ていた人が、「こんな場でいきなり発表するなんてありえない」「サブちゃんはこれが最後だったのに」「非常識」と、それに対してやたらと怒っていたのを見て、「よくそこまで怒れるなぁ」と思った。
そのアイドルのことはよく知らなかったし、紅白にそこまで思い入れもないし、そんなの「どーでもいい」と思った。

そのアイドルのことだけでなく、芸能人やスポーツ選手のニュースについての所感を語っている人を目にする機会が頻繁にある。
街角のインタビューで、Twitterで、あるいはブログで、人々は思い思いの意見を述べている。
自分が好きだったり、思い入れのある人が相手ならまだしも、なんとなく知っているだけの人に関しても、十人十色の意見がある。

私はそういうのを見ると、純粋に、"すげーな…"と思ってしまう。
よくもそんなに、自分の身近な存在でもない人について、あれこれ思えるなと。
Kの時と同じく、その人がそう決めたんならそれでいいじゃんと思ってしまうのだ。

誰にも興味がないわけではなくて、例えば目の前で話している相手が自分自身について語ってくれるなら聞きたいし、自分から質問することもある。
「どうしてそうしたんだろう」「どうしてそう思ったんだろう」と理由や過程を知りたいからだ。
知りたいだけで、それに対してあれやこれや言う気にはならない。
求められれば自分の考えを述べたり、アドバイスをしたりすることもあるけれど、求められない限りはしない。

なんかそれって…やっぱり、冷たいのだろうか。
他人に喜んでほしいって感情が薄いのに、仕事ってできるんだろうか。
ちょっと不安になってきた。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。