初めて手帳を書けなかった日

出勤する時はいつも、手帳にその日のタスクを書き出している。
たとえ1つしかなくても、とにかく書き出して、”今日の分はこれ”と目に見える形にしておく。
去年の冬から始めた習慣で、これまで途切れることなく続いていた。

それが、先週末からぱったりと途切れている。
書く必要がなくなったわけじゃない。
”書いた方がいい”とわかっているのに、どうしてか”書けない”のだった。

実を言うと、お盆明けくらいからあまり、調子が良くなかった。
気力が湧かなくて、何をしていても手が止まってしまった。
この間の土日もずっと頭が痛くて、マッサージにいったり、たくさん寝たりして、ようやく少しすっきりしたところだ。

すっきりはしてきたけれど、昨日も今朝も、やっぱり手帳にタスクを書き出すことができない。
手帳を書くのは”しなくちゃいけない”というものでもないけど、”したい”と思っていることができないのはつらい。

どうしてできないのかよくわからないけれど、じっと自分の気持ちと向き合ってみると、調子が悪くてタスクを消化できなかった時のもやもや感が胸に残っていて、”書いても終わらせられなかったらいやだ”と思っているのがわかった。

泥みたいに頭と心が重くて手が動かなかった間、朝に書き出したタスクが全部終わることもなく、来る日も来る日も同じタスクを書き出していた。
その時の”うわぁ…”という感覚がまだ残っていて、”またあんな感じになったらどうしよう”と思っているみたいだった。

まあ、それならまた書き出せるようになるまで待てばいい。
ずっと書き出せないなんてことはないはずだ。
書き出す方がずっといいって、もうわかっているからね。

それにしても。
わたしはいつも、”心と体のコンディションをどう整えるか”で迷っているな。

よく思い出せば、6月くらいにも大きく沈んだことがあった。
その前は3月。
その前は11月。
周期はわからないけど、定期的に”心も体もよわよわ期”が訪れている。

前に書いたnoteを読み返しても、”心と体”のことで悩んでいるnoteの多いこと多いこと。
びっくりするくらい同じところを何度もぐるぐると回っていて、2年前から全然変わってないじゃん、しょうがないなーなんて、笑えてきたりもする。

きっとこれからもずっと、わたしの心と体は弱い。
頑丈な時とそうでない時の差が激しくて、思うように動けないもどかしさで何度も苦しむだろう。
2か月後も、1年後も、3年後も、きっと同じことで悩んでいる。

悩むたびに何かヒントのようなものを見出して、少しずつでも改善していけたらよいのだけど、いかんせんまだそこには至っていない―というか、改善していくって考え方自体が違っているような気もする。
わたしはずっとこうで、こういう自分を受けいれて生きていかなきゃならないのに、まだ受け入れられなくて戸惑っている、それだけなのかもしれない。

いつも大体この辺りまで考えて、まあここから先はまた今度考えたらいいわね、と考えるのをやめる。
今回もそう。
これから自分をどう捉えて生きていくのか、そんなのは生きてみないとわからない。

だから、また同じようなことでnoteを書くだろう。
同じことを違う言い方で書き続ける内に、何か見えてくるかもしれない。
もちろん、見えてこないかもしれない。
でもそれでいい、と思う。

”これからどうやって生きてこう”って考えるの、わたしは割と嫌いじゃないんだよ。
大きな不安に苛まれて抱えきれなくなる時もあるけれど、なんでも答えが明確で、次の道筋がわかっているなんて、それはそれでつまらないでしょう

だから同じことで何度も躓いたって、大丈夫。
何度も躓いて、その度に”あ、そうか、こういう時はこうすればいいんだった”って思い出せばいいよ。

明日からのわたしも、わたしのことをどうかよろしく。
いろいろあると思うけど、なんとかやっていきましょうね。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。