Mへ

あの街を出る時、最後に会ったのは君だった。
あれから1年以上が過ぎているのに、この間、待ち合わせ場所で会った時、お互い一目でわかったね。
遠くから、同時にお互いに気付いたのがわかったよ。
君のよく着ていたワンピース、あの日も着ていたけど、いつも通り似合っていた。

用事のためにあの街に帰ったわけだけれど、東京に引っ越してから1年以上が経っているだなんて、とてもじゃないけど思えなかった。
駅や街の風景、地下鉄の乗り場、そしてもちろん君が隣にいることも。
すべてが当たり前に過ぎていって、まるであの街から出て行ったことなどないかのようだった。
あれ以上に自分に馴染む場所に、わたしはこれから出会えるんだろうか。

◇◇◇

前にも一緒に行ったお店でご飯を食べて、ホテルに泊まったね。
大浴場では感染対策のために会話禁止になっていたけれど、一緒に大きなお風呂に浸かっているのは、それだけで充分楽しかった。

部屋に戻ってお喋りをしている時、久々に君が大笑いするところを見て、ほっとした。
面白い話をした時、君がかぱっと口を開けて笑うところが好きで、いつの間にか真似するようになっていたんだ。
そうしたらこの間、会社の人に、「いつも笑顔でいるところがいいね」って言われたよ。
君の楽しそうな笑顔の欠片が、わたしにも宿っているのだとしたら、とてもすてきなことだと思う。

次の日は、1日中買い物をしたね。
ゆっくり駅ビルを歩いて、服を見たり、靴を見たり、かわいいお茶碗を探したり。
わたしばっかり買い物しちゃったけど、君は退屈じゃなかったかな。
わたし?わたしはずっと楽しかったよ。
疲れてきて、休憩のために立ち寄ったカフェでカフェラテをすすりながら、お互いなんとなく無言になっていた時間さえ、わたしはしあわせだったよ。

久しぶりに帰って来たのに、どこか遠くに出かけるわけでもなく、特別おしゃれな場所に行くわけでもなかった。
それでもわたしは、これ以上ないくらい嬉しかった。
だって、ずっと願っていたことが、ようやく叶った瞬間だったから。

君とは「温泉でも行きたいね」ってずっと言い合っていたけれど、あの街に住んでいる間は、結局行けなかった。
一緒に買い物に行ったこともなかった。
わたしがあの街に住んでいた頃、わたしたちは大学院生で、いつもバイトや大学の用事に追われて、時間にも心にも余裕がなかったから。
大学を出て、ようやく普通の大学生みたいな遊びができるなんてね。

あの街はたくさんの観光名所に溢れているけれど、わたしたちにとってのあの街は、誰もが訪れる観光名所なんかには無くて。
大学の中や図書館、駅の高架下、一緒にご飯を食べたお店、帰り途に通った住宅街、そんな場所にあったのだろうと思う。
住んでいた頃からずっと、特に就職することを決めてからの1年は、いずれ訪れるお別れを覚悟して、君と過ごす日々の大切さを噛みしめながら過ごしているつもりだった。
だけどいま、改めて思うよ。
君と何気ない日常を過ごすことが、あの街での何よりのぜいたくだった。

◇◇◇

あの街を出てから今日までの、1年余りの日々を振り返って、「人生って物語みたいだな」って思う。
わたしたちはみんな物語の紡ぎ手で、日常はわたしたちの作品だ。
わたしはあの街を出てから、東京でわたしの物語を紡いできた。
そして君はあの街で、君の物語を紡いできたのだろう。

物語は、続く。
わたしはどうしようもない事情で東京に帰らざるを得なくて、これからも「あの街に帰りたい」と思いながら東京に住む。
願いと現実の違いに引き裂かれそうになることもあるだろう。
だけどそれを何かのせいにはしない。
東京への馴染めなさに、時々負けそうになるのは本当だけれど、「すべては自分が選んだもの」という意識はもっていたいんだ。

君もどうかあの街で、君の物語を、これからも紡ぎ続けてくれますように。
そしてその中に、時々でいいから、わたしを登場させてくれますように。

わたしたち、これからどうやって生きていくのだろうね。
どこでどう生きていくとしても、わたしが君を大切だと思っているのは、ほんとだよ。
君とあの街で紡いだ物語が、いつまでも心の中で輝き続けていることも。

また帰るから、また会おうね。
その時まで、元気でね。
東京に帰ってからも、いつものようにたくさんLINEするね。
時間のある時にはまた、電話しようね。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。