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日舞のはなし「吉野山」

長年お稽古している日本部舞踊。
自分が好きな演目を絵に描いたので、せっかくだしその演目について書いてみようと思いました。
日本舞踊は歌舞伎舞踊から来ているので、きっと読んでいただければ歌舞伎も楽しくなるはず。
少しでも日本舞踊に興味を持っていただけると幸いです。

ということで第一弾は「吉野山」です。
(シリーズにできたらしようと思っています)


吉野山

前提のおはなし

「吉野山」は、文楽・歌舞伎の演目「義経千本桜」の一部となっているので、まずこの演目についてざっとお話しようと思います。
(因みにこの演目は文楽が先で、人気を博したので歌舞伎化されたものです)

タイトルにある通り、義経のお話となっているこの演目。
源平の合戦が終わり、兄・頼朝の不興を買って追われるようになったというのが物語の序盤にあります。
その大きなきっかけとなったのが、後白河法皇にもらった「初音の皷」でした。
後白河法皇は皷の両面を兄弟に見たて、頼朝を”討て"と言ったのです。
皷を受け取らなかったら後白河法皇に背くことになるため、打たなければ頼朝に歯向かうことにならないと思って受け取るのですが…結局は色々とあって追われることになりました。

逃げる際に愛妾である静御前と別れることにした義経。
静御前がなんとしてでも追いかけてこようとするので、もらった初音の皷で木に括り付けてしまいます。
そこに源氏の兵士がやってきて、静御前ピンチ!というところに、義経の家来・佐藤忠信がやっつけてあげます。
心配になって様子見に戻ってきた義経はそれに喜び、静御前を忠信に託して、自分は西国へ逃げていくのでした。

「義経千本桜」自体は、その後、義経が逃げた先々で出会う平家の武将たちの話になっているのですが、そもそも平家の武将たちは”実は生きていた”という設定になっていて、それはそれは面白い演目です。
(大体最後は悲劇だけど)

「吉野山」の踊りについて

さてやっと本題です。
この演目は、静御前が忠信を連れて、義経を追っかけて吉野山に来たところを舞踊化したものです。
なので、静御前も忠信も旅姿。

静御前と忠信は、春の景色の中で和やかに踊りつつ、義経の形見である皷と鎧を眺めて義経へ思いを馳せます。
その際に、忠信の兄・佐藤継信が源平合戦にて命を落とした話になり、そこから踊りが一転、源平合戦を語る踊りになります。
因みにここが山場、めちゃくちゃかっこいい踊りになります。

継信が平教経に矢で射られて落命の場面となり、忠信と静御前ははらはらと涙を流します。
そうしてまた旅を再開する…というところで踊りが終わります。
(歌舞伎では源氏の追手がやってきますが、日本舞踊ではないです)

それぞれの登場人物について

静御前

ご存知、義経の愛妾。
白拍子ではありますが、完全に姫な髪型・かんざしをしています。
赤い着物で演じられる時もありますが、この絵は赤い着物の上から「常磐衣」と呼ばれるものを着ているバージョンです。

ひたすらおっとりと気品のある踊りがポイントです。

忠信

姫っぽい静御前が主人公のようですが、この踊りでメインとなるのはこちら忠信です。

忠信には、文楽・歌舞伎がお得意の「実は…」がついていまして、なんと人ではなく狐なのです。

それは静御前に託された「初音の皷」が鍵を握っており、この皷、千年生きた雄と雌の狐の皮でできた皷だったのです。
その狐夫婦には子どもがいて、その子ども狐が親恋しさに皷についてきたという設定です。
この真相は「義経千本桜」の最後で明かされるので、「吉野山」時点は静御前は知りません。

ところが、観客は忠信が「人間ではない」とはっきり分かる仕掛けになっています。
まず、舞台が始まると静御前しかおらず初音の皷を打つと、忠信が花道の七三というところからセリで上がって登場します。
花道の七三から出てくる=人間ではない、というルールがあるので、そこで明示されるというわけです。

そして最初と最後に狐(というか動物)のような動きをするので、「あ、人間じゃないな」というのがよく分かります。

更にこのイラストの元となったフリの直前では、忠信が静御前の持つ皷を奪って(そこも狐の動きでちょこちょこっとすり寄る)、皷を愛おしそうにすりすりとするシーンもあります。
このイラストは、その後静御前が皷を取って二人で見得を切るという場面が元になっています。

忠信の衣装は、忠信の紋である源氏車をあしらったもの。
イラストのように裾に大胆にあしらったものや、もっと小さく源氏車を散りばめたものがあります。

時々狐らしい動きも入れながら、合戦を語るシーンでは勇壮な踊りが見どころの役です。

因みに、イラストでは狐らしさを誇張していますが、実際はカラコンなど入れない、一見普通の人間になっています、と念のため注釈入れておきます。

「吉野山」の思い出

数年前に静御前として舞台に立たせてもらうことができました。
同じ先生に習っている方が、名披露目にて「吉野山」をやりたいとおっしゃっていて、「じゃあ誰に静御前やってもらおうか…」となった時に、たまたま側にいた私が「やりたいです!」とお願いして、やらせてもらう運びとなりました。

名披露目というのは、日本舞踊には”名取り”という習慣があり、無事、家元から名前の許可を得ると、そのお披露目を行うのです。
因みに名取りというのは、一定の踊りのレベルになると(私の流派では試験があります)もらう名前で、例えば「花柳〇〇」とか「若柳〇〇」とかそういったものです。

そんなわけで名披露目はなかなか大事な舞台となるのですが、後先考えずに気安く「やりたい」なんて言ってしまったわたくし。
その後に、絶対失敗してはならないという重圧と、全然姫になれなくてびしびし指導される厳しいお稽古が待っていたのでした…

何しろ忠信の方が性に合っていたので、ずっと忠信踊りたいな…と思いながら踊っていると、やたら元気な静御前になってしまい、先生に「それじゃ静御前じゃなくてやかまし御前だわ!」と何度言われたことか…

本番の2日前までお稽古して臨んだ当日。
なんとか大きな失敗もなく終わってほっとしたのでした。

因みに家族からは「めちゃくちゃ姫だった!」と褒めてもらって嬉しかった反面、その後にご飯食べに行ったら、「魔法がすっかり解けてしまったね…」としみじみ言われて複雑な思いがしたのも思い出です。

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