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やるせない気持ち

今日も美術館の監視員のバイトが入っており、10時から6時まで、途中30分休憩が2回入りつつも、ずっと立ちっぱなしだった。
美術館によっては監視員が座っているイメージがあるだろうが、私が勤務している所は立たなければならない。

大好きな絵に囲まれて立っているので、そこまで不満があるわけではない。
が、不満がなくたって足がめちゃくちゃ疲れるのは変わらない。
6時に終わり、美術館最寄りの駅まで約20分歩けば、足は完全に棒である。

そんなわけで本日も座って帰りたく、電車を一本見送って座った。
やっと足に平穏が訪れたぜ…と思っていたら、電車が混んできてから子供連れの家族が乗ってきた。
子供は小学生低学年くらいだろうか。
完全に遊びの帰りだった。

子供はすっかり疲れ切って眠そうにしている。
でも抱っこするには大きいのか、母親は自分にしがみつかせるだけで、抱っこはしない。
そしてしきりに私を見るのだ。

いや、分かるよ。見た目は体に不自由なところはない健康そうな人だもんね。
でもこっちは足が棒で、できるだけ座りたいんだよ!

電車が結構揺れて、子供がぐらぐらする。
もうしょうがない。
「座られますか?」
立ちましたよ。

そしたら
「あ!◯◯ちゃん、ちょっとだけ座らせてもらおか」
終わり。

お礼は求めてないけどさ…とは言わない!
正直に言いますと、むしろめっちゃお礼求めてた!!!
「ちょっとだけ」ってどれだけ?5分経ったらまたこっちに返してくれるの?とツッコミ虚しく、最後まで立ちましたよ。

こういうやるせない気持ちはどう発散したらよいのだろうか。
今回のやるせなさは2つあって、まず1つ目は、お母さんはおそらく、私は元気なのに眠そうな子供を目の前に、なかなか立たない人と思ってんだろうなというやるせなさ。
2つ目は、元気な時に席を譲るのとは100倍くらいの価値の違いがあるだろう席譲りに礼を言われず、なんなら「やっと譲ったか」みたいな雰囲気を出されたことのやるせなさ。こちらは、そもそもお礼を言わないのはどうかと思うが、冷静に考えて、もしお母さんが「チッ、こいつ、子供がこんな眠そうにしてるのに立たない」とずっと思っていたのなら、ありえなくもない話なのかもしれないとは思いつつ、でもやっぱりやるせない。

やるせない気持ちを分析して考えてみると、結局自分は、この先一生会うことがないだろう人にも、自分の誤ったネガティブな印象を持ってほしくないってことなんだろうなとも思ってくる。
また自分は結構な犠牲をはらって(というと大げさすぎだろうけど)奉仕をしたのに、それに気付いてもらえないくやしさもあるのかもしれない。

こうやって冷静に考えると、ちょっとやるせなさはしぼんでくる気もしてきた。
ただお礼を言われなかったのは納得がいかないがな!
それは神に委ねるとして(神さま、都合のいい時だけ担ぎ出してきてすみません)、私の善行を見てくれて、将来何かご褒美をくれることを期待しておこう。

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