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ウィーンに来てしまった……|『バカロレアの哲学』裏メニュー|ウィーンまかない編

今回の哲学問題「自分の文化から外に出ることはできるか?」

 『バカロレアの哲学 「思考の型」で、自ら考え、書く』の著者である坂本尚志さんは、現在オーストリアのウィーンに住んでいます。本連載では、坂本さんのウィーンでの生活をバカロレアの哲学問題と引き付けて記録していきます。

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 バカロレア試験とは、フランスの高校生が受ける試験であり、合格すると高校卒業資格が得られ、それは同時に大学入学の資格にもなります。試験では文系・理系問わず哲学の小論文問題が出題されます。本書は、フランスの教育において哲学という科目がどういった役割を果たすのか、また学生たちは正解が一つとは限らない問題に対してどのようなアプローチ(=思考の型)を学ぶのか、を解説する実践的な哲学ガイドです。

 『バカロレアの哲学』著者の坂本尚志です。この連載では、『バカロレアの哲学』の裏側、本には出てこなかったことをお伝えしようと考えています。

 現在私はオーストリアのウィーンにいます。コロナ禍のせいもあり、家族(妻と子ども2人)でつつましく暮らしています。食事の準備は私の担当です。タイトルの「裏メニュー ウィーンまかない編」はそんな日常から思いつきました。

ウィーンとは無縁の人生だったのに

 そもそもなぜ私はウィーンにいるのでしょうか。私の専門は20世紀フランスの思想史です。オーストリアやドイツ語との縁はほとんどありませんでした。

 実は、今回のウィーン滞在は妻のたっての希望なのです。妻はドイツ語圏の教育が専門の教育学者で、オーストリアへの留学経験もあります。勤務先の大学から1年間の研究休暇を与えられ、ウィーンに滞在する予定を立てていました。

 1年間研究に専念できるということは妻のキャリアにとって大事なことですから、異存のあるはずがありません。私の職場にも1年間のウィーン滞在の希望を出しました。コロナ禍のさなかではありましたが、快く送り出していただけることになりました。

 出発は2021年4月の予定でした。しかし、コロナ禍で出発を延期することになり、結局8月に日本を発ち、2022年の8月まで滞在することになりました。出発までにはビザ申請のドタバタをはじめいろいろありましたが、8月中旬になんとかウィーンにたどり着きました。

市庁舎前の看板

市庁舎前の看板 「ウィーンに着いた!」と実感できます

到着後、さっそくトラブル発生!

 空港から滞在先のアパートへと向かうタクシーの中で、と感慨に浸っていたのもつかの間、パソコンなどを入れた妻のリュックサックが行方不明になっていました。

 航空会社や空港に電話やメールで確かめましたが、もう夜になっており、見つかりませんでした。結局翌日空港の遺失物係まで直接確認に行くしかありませんでした。

 あくる日空港に行った妻から「あった!」という連絡が。手荷物受取場でスーツケース4つを運ぶことに気を取られ、うっかり置き忘れていたようでした。

 到着してほっとして気が緩んでいたのでしょうが、決して油断してはならない、といういい教訓になりました。しかしその教訓もむなしく、私はその数週間後に見事に財布をすられてしまったのですが、それはまたの機会にお話ししましょう。

路地裏

細い路地の街並みにも歴史を感じさせられます

妻との役割分担

 少しの波乱とともに始まったウィーン滞在でしたが、出発前に決めていたことがありました。

 日本では、食事の準備は主に妻が行い、お役所関係の手続きや子どもの送迎を私が担当していました。コロナ禍で妻の勤務先もほぼリモートでの勤務となり、家にいることが多く、その間に食事の準備をすることにしていました。その一方で、私の方は基本的に毎日出勤していましたので、その前後に子どもの送迎をする方が動線を考えると最善だろうという考えでの分担でした。

 しかし、ドイツ語のできない私には、行政手続きや、子どもたちの教育についての情報収集などは到底できません。というわけで、他にも家事の分担はいろいろありますが、とりあえずはそこをひっくり返そうということになりました。

 フランスのボルドーで10年暮らしている間も自炊することが多かったので、ヨーロッパの食材について知識はありましたし、日本にいる間も料理をしていましたから、心配はしていませんでした。

 ただし、ボルドーでは一人暮らし、ウィーンでは家族4人での生活ですから、そこは勝手が違います。栄養バランスを考え、献立が重ならないようにし、何よりもおいしいものを、と日々の工夫が始まりました。時折小さな失敗はありますが、ここまではまだ持ちこたえています。

市庁舎裏側の大通り_現在地下鉄工事が進められている

市庁舎裏側の大通り 現在は地下鉄工事中です

「自分の文化から外に出ることができるか」

 こんな生活を送っているわけですが、『バカロレアの哲学』の裏メニューですから、バカロレア哲学試験の問題に引き付けて考えてみましょう。これから毎回、実際に出題された問題を紹介していきます。

 今日の問題は「自分の文化から外に出ることができるか?」です。

 ウィーンでの暮らしは、もちろん異文化での暮らしです。私はボルドーで10年暮らしていましたが、オーストリアとフランスではいろいろ勝手が違います。その中で、私は「外に出る」ことができるのか、という意味でも興味深い問題です。

 答え方の基本を見ておきましょう。詳しくは『バカロレアの哲学』で書きましたが、こうした問題に答えるときには、言葉の定義をすること、「はい」と「いいえ」の答えが何なのかを確認すること、そして、問題を複数の問いで言い換えることが必要です。言葉の定義を考えながら、問題を複数の問いに変換してみましょう。

 この問題では「文化」と「外に出る」ことを定義しなければなりません。ここで文化と訳したcultureという言葉は、集団に共有されている思考や行動の様式としては「文化」ですが、個人のレベルでは「教養」と訳されます。

 文化にしても教養にしても、それは個人の、あるいは集団の考え方や行動を、意識的あるいは無意識的に規定しています。われわれの思考や身振りは文化によってある程度決められていると言えるでしょう。

 しかもそれは言語や論理によって常に説明可能であるとは限りません。時としてそれは、生理的な嫌悪感や不快感の原因となります。たとえば、日本で鼻をすすることはとりわけ目くじらを立てられることではありませんが、ヨーロッパではそれは眉を顰められる行為です。その不快感は行為自体にあるというよりは、その行為に対するある文化の評価の仕方にあります。

 では、自分でも気づいていない文化の拘束に気づくにはどうしたらよいのでしょうか。

 「外に出る」という言葉の定義を考えるとわかりやすいでしょう。それは単なる物理的移動ではありません。移動しても、私たちは自分の文化や教養から離れるわけではありません。むしろ、それは距離などものともせず私たちにつきまとうものです。

 その意味では、「外に出る」ことはできないのです。しかし、「外に出る」を、自分を支配している文化を外から眺めることだと考えればどうでしょうか。異なる文化との出会いや摩擦、衝突によって、私たちは自分の文化が絶対的でないことを知ることができます。それはいつも心地よいものではないでしょうが、そうした経験は、自文化を相対化し、多様性を理解する機会となるでしょう。

 個人の「教養」という視点から見ると、「外に出る」とは未知のものとの出会いです。未知のものと出会い、それを理解し、受け入れること、それは自分の教養の「外に出る」ことで可能になります。しかし同時に、外部との接触は私の内部の変容にもつながります。

 つまり、「外に出る」ことは、私の文化の、あるいは教養の内部に踏み込み、それを変えることでもあります。外と内の単純な二分法ではなく、その相互作用を考えることが必要だということです。

 なぜ私たちは自分の文化の外に出ないといけないのでしょうか。それはどのようにして、あるいはどのような条件で可能なのでしょうか。自分の文化の外に出ることは、私たちにとってどのような影響を及ぼすのでしょうか。わたしたちは文化の外で何を経験することができるのでしょうか。問題をこのような複数の問いに分解して考えていくことで、思考を深めていくことができるはずです。

 ウィーンでの滞在は、私にとっても「外に出る」機会です。なかなか思うようにはいかない日々ですが、しばらくお付き合いください。




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