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詩/エッセイ/徒然 note

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徒然に、思い浮かんだことを書き留めています。twitterとは違う感覚で。
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#学び

学級運営って上手く仕組み化されてるなと。ある程度はどの先生が担任されても動かせるし(もちろんその中にも腕の見せ所はある)、日本各地である程度は同じように動いてる仕組み。 安定化する上でも参考になる。真似るもよし。対比に使って別の仕組みを作るにしても、共有しやすいものだと思う。

ある意味、何もわからない「であろう」期間は強みでもある。周りからそう見られているのは低評価のようで、なんとか上昇させたい気持ちも解るけど。 一方で、そういう状況だからこそ、質問したり、相談したり、お願いもしやすい。ある意味ではボーナスタイムにも出来る。要は考え方次第ですね。

「足りなかった」ことを悔やむ暇はない

足りないと感じることは常態的に起こり得ることで、これは目標が高かったり、設定が高ければ当たり前のように存在します。 極端な話、常に満ち足りていると感じている場合は、目標や設定への余地が少なく、満足度が高い分、安定し、気分的には楽ではあるでしょうけど、伸びしろが少ないとも言えないことはないです。 メンタル面で考えると必ずしもストイックが良いわけではありませんし、いつもいつも足りないと考えるのは健全とも言えない部分があるので注意が必要ですが、足りないと感じること、現状に満足し

どこでも、いつでもきちっと眠れるというのは結構な武器だと思う。何をするにも身体が資本だし、そのためには適切な回復が必須。 身体が強いかどうかも大きいけれど、しっかりと回復できればそれが「強さ」にも繋がってくる。そこを強く意識し、工夫し、回復レベルのアップを目指したいですよね。

情報量が増え、それでも当たり前にその情報が処理できるようになっていくことが学びの進行になるし、その部分をきちっと担える、詳しい人として信用されるようになっていく。 まずは情報収集と処理能力のアップを図り、レベルアップを着々と図っていく。 勉強でも同じだし、訓練にもなりますね。

情報量が格段に増えると、処理や整理もそれに合わせて対応しないと詰まってくるし、溢れてきてしまう。 面倒なことでも、そこを厭わずきちっと仕組み化、対応レベルを上げたり、上手く切り替えられることが大切。

経歴をまとめていると・・・

自分の経歴をまとめていると、なんだか面白い人生を歩んでいるなとか、ここをこうしておけばもっとこうだったのにとか、いろいろと思うこと、考えることがある。 後悔とは違うけど、他にもあった未来、分岐点であったろうところ。 いろんな地点、変化の兆しがありました。皆さんもそうだと思います。歳を重ねるごとに見えてくること、積み重なった経験や思いなどがあるでしょう。 それが時によっては刺激に。時には諦念感に。いろんな感情を想起させ、自らの行動を規定していくと思います。 自らの経歴を

今の時代、せっかく得た技術や知見も陳腐化しやすいけれど、それらも次の技術取得や知見の栄養素に、根っこになることもあるから努力を惜しまなくて良いと思います。 他の何かに依存して、自らを育てようとしなければ、そういった栄養素は得にくくなるし、根っこも張っていけない気がします。

何度でも書いて発奮するのでも良い。誰かのnoteを読む、チャレンジしている姿を追うだけでも刺激になる。 とにかく大いに学び、大いにレベルアップを目指したい。貪欲さを持って良い。何歳になってもチャレンジする人が居るし。 若い頃からずっと挑めればそれが1番だけど、いつでもできる!

今の時代、特にクリエイティブなことにおいて、それが「遊び」に類いするようなものでも、試していくことで仕事にも活動にもスキル形成にも大いに役立つことが多く、一概に線引きをすることが難しくなっていますよね。 実りに変える意識と工夫が大切ですね。

未達が常態化しないよう

タスクをしっかりと書き出すことで抜け漏れが防げるし、普段からチェックする機会を多く作ることで効率的な仕事や学び方を実現できます。 そういった意味でもタスクは非常に重要ですが、一方でタスクを多く書き出すことで先送りしていたり、「これは優先順位が低い」と考えてしまったり、とりあえず書き出しておこうという精神で全部を書き出しているせいで、未達成のものが多く残っていったりします。 毎日、すべてパーフェクトにタスクを完了済みにできる人は素晴らしいですが、少しでも何らかのチャレンジを

最近は「ランニングの人」のイメージは薄れつつある

noteにおいてはなおさら「ランニングの人」とは認識されにくいでしょうし、上げているレポートの内容から見ても「ランニング」は伺えても、陸上競技、元アスリートや「指導者」として認識されることはあまりないように思います。 同じように、リアルでも神屋を現役時代から知っている方に時折はお会いしますが、そうでなければ普段からはほとんど陸上競技の人とは認識されることはないと思います。 ここnoteの場では「noteの人」であり、加古川ではスポーツの人か、まつかぜの人、少しずつ加古川優

良い意味で振り回されてみる。悪い意味で振り回されない

ちょっとタイトルだけでは一瞬でイメージが掴みづらいかもしれません。短いタイトルの時はまだしも、タイトルが長い時は中身を読まずして(読んでくれると嬉しいですが)ある程度のイメージを持てるようなものにしたいものです。 ただ、予断を持つことはある意味ではタイトルによってもたらされた何かに引っ張られるということでもあります。今の時代、いろんな場所でそうしたヘッドラインや要約があり、なんとなく理解した気にさせてくれたり、良くも悪くも影響を受け、振り回されることもしばしばあると思います

特別なものには自分なりの「特別」な待遇を用意しよう。何もかもをフラットにする必要はない。全ては有限なのだから。