見出し画像

突出すること、ニッチを探し出すこと

ここnoteでも突出して沢山の方々に読まれたり、"スキ"やシェアを頂いたり、課金・サポートして頂こうと思うなら競争は厳しい。多様な方々が参画しており、そこにはプロもアマも関係なく鎬を削ることとなる。

もちろんただ自己表現し、発信しているだけならそんなの気にしなくて良いと思います。自分の好きなことを思う存分表現すれば良いですよね。

だけど目立ちたい、成果を上げたいと考えた瞬間にそういった"競争世界"に飛び込むことになります。トップクラスに加わろうとすると、その予備軍も含め、相当な取り組みが展開されています。

noteだけで読者を奪い合おうなんて考えてたら益々厳しい競争になる。むしろそのプラットフォーム全体が認知され、人が来訪し、表現する人も沢山居た方が自分のところにもチャンスが巡ってくる可能性が高まります。

twitterだって、インスタだってそういった形で人気があるから、突出する人も大きくなっていくわけで。

これは競技におけるチームも同じだし、その属する業界や特定イベントも同じ。自分だけを伸ばすために既存の枠組みの力を削ろうとしたりしても効果は薄い。共倒れになっていくだけの可能性の方がよほど高い。

そのコミュニティ、チームに属しているなら、如何にそこを発展させていくか?業界全体を活性化させ、活気つくようにしていく方が遥かに重要!

じゃあ、どうするか?

今や相当、良質なコンテンツが溢れている。巡回すれば自分が書きたいテーマや表現したい方法が既に実現しているかもしれない。どんどん空きスペースが減っていっている感覚になるかもしれません。

だけど自分という人間は世界に一人しか居ない。似たような境遇、体験を経てきたとしても、全く同じ人間になることはほぼないと言えるでしょう。

ならば"自分というフィルター"を通して発信、表現されたものはどこか他人と違うものになっているはずです。そこに秘められた想いや何かが潜んでいて、差異が生じ、自然と読み手も別のものと認識する。その辺がコピペやパクリとは違うところではないでしょうか?

創作段階から自分の想いをつぎ込んでいけば、やはりちょっと違うものになっていると思います。自分は表現のプロではないから根拠はありませんが、骨董品や伝統芸能なども、師匠から弟子へ秘伝まで含めて受け継がれても、これは何代目なんとかの作品で、という風に読み取られますよね。

アスリートも同じでやはり元々持っている個体差は面白いもので、同じ理論に基づき、同じトレーニングをしていても全く違うパフォーマンスになっていくことも多いです。これは「体現」のプロとしては強く感じることです。

上記を前提に、表現すること、発信することとし、突出するなら質量を上げていくこと。自分の居場所をアピールすることが必要になります。お店で言えば看板が必要だし、宣伝も必要。その手法も様々ありますね。


結論

とてつもなく凄い体験、知見、表現能力があるなら放っておいても誰かが見つけ出してくれるかもしれません(実際に表現、発信することが前提)。

だけど平凡かもしれない自分でも突出したい、ある程度は認知され、注目されたい。

ならば売れている人と競争しつつも、"売れる理由"を分析し、参考に、試してみる。アピールの仕方を工夫したり、試行錯誤する。コンテンツを充実させるなど「当たり前」のことをどんどんやっていかなくてはならない。

ビジネスやフリーランス、自営業でもその「当たり前」になっていることに突出しようとした瞬間、飛び込んでいくことを考えておくことが一番必要かな?と思います。これは趣味だからといって工夫せず、だけど突出したい!は甘いし、欲求が叶わなければ動機を失うのではつまらないですよね。

出来るならせっかく取り組みだしたときは続くよう、そして突出するときはその過程や取り組みを楽しんで、それ自体も表現してみたら如何でしょう?

読んでくれている人は、その人が突出したかどうかではなく、面白いかどうか?続いている、活動し続けているからこそ、読み続けるのだと思います。

少しでも自分の作品が突出するか、ニッチを突いて見出され読み続けられる、愛でられるものになりたいですね。

いつもご訪問、お読み頂きありがとうございます。 すき(ハートマーク)を押して頂いたり、コメントやSNS等にシェア、サポート頂けると励みになります。サポート、応援頂いた分は必ず、活動する中でみなさんにお返しして行くことが出来ると思います。今後もお付き合いを宜しくお願い致します。