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売られたヤクザ その21

 牛王神社の参集殿の壁は、紅白の幕で覆われていた。広間には紫色の座布団が並べられ、正面には祭壇が設けられて、三方の上にさまざまな供物が捧げられ、中央に草を噛む老人の木像が祀られていた。祭壇の奥には、『天照大神』『八幡大神』『春日大神』と大書された三枚の掛け軸。
 南向きのふすまは開け放たれ、縁側の先は池のあるこじんまりとした庭になっており、時折鹿威しが音を立てた。その先は土塀だ。
 楠美は、正面の左、入り口からは右の上座に掛けようとした。組員中では最上位の席だ。だがそこには、留袖の胸元を膨らませた、ひどく腰の重そうな女がすでに鎮座していた。楠美は口髭の下の唇を尖らせて立ち竦んだ。
「お久しぶり」
彼女は白塗りの顔をもたげて艶然と彼を見上げた。二階堂の妻、道代だ。
 二階堂は工藤親分の弟だから、楠美には叔父に当たる。その妻なら叔母だ。彼女の席を奪うわけにはいかなかった。仕方なく彼は、彼女の向かいに掛けた。
 二階堂の隣に大見が掛けようとした。だが、先に河津が座布団を踏んで、彼を睨みつけた。序列は自分が上だが、腕力は彼が上だ。いや、腕力だけでなく、今は稼ぎが上だ。大見は渋々楠美の隣に腰を下ろした。
 浅黄の袴にグレーの紋付羽織の伊東が、彼らの間をすいすいと歩いて上座に至り、祭壇を背にして楠美の前に掛けた。
「いや、どうも」
山口が、灰色の靴下で畳を踏んで現れた。彼は最上位の座布団に納まり、背中を丸めて胡坐をかいた。ジャンパーは脱ぎ、神社の黒の羽織を借りていた。
 険悪な視線が、彼に集まった。
 カタビラ組の襲名式。
 組のホームページに書き込みする権限を持っていたのは、工藤組長からそれを買い取った山口だけだった。彼は、メールアカウントを自前のものに変え、それを、幹部組員だけに分かるようにアップロードして、彼らを招集した。
 招集令のサイトには、パスワードを知る幹部クラスしか入れない。工藤が介護施設に入って以来全く更新されていなかったサイトだったが、彼らはマメにチェックしていた。近年はほぼ無連携に活動し、顔を合わせることも、協力し合うこともなかった彼らが、唯一組と繋がることのできる場所だった。
 彼らが最も注視していたのは、当然のことながら、組長の跡目だ。
 彼らは愕然なった。
 認知症とはいえ、工藤組長はまだ生きている。これまでも、ほぼ組のことにはノータッチでありながら、生きていることを根拠に、組長として君臨していたのだ。その工藤を差し置いて、襲名とはこれ如何に。
 山口は社長だ。彼は『カタビラ商事』の株を買った。過半数以上の株を保有する大株主だから、誰に憚ることなく社長を名乗って何ら問題はない。
 だが、彼は組長ではない。カタビラ組は、弱小ながら、創立以来地場のヤクザとして筋を通してきた名誉ある看板だ。カネで買えるものではない。特に決まった形式があるわけではないが、組長の指名により、幹部会の承認を経て、後任を決定するのが穏当だ。出来得れば全員一致。少なくとも多数決で、適任とされた者がなる。そう、誰もが暗黙に了解していた。
 いきなり襲名式となれば、すでに跡目が決まっていることになる。だが、それが誰なのか、二階堂、楠美を始め、幹部連は知らされていない。彼らは内心、はらわたを煮えたぎらせていた。何の相談もなく、襲名とはこれ如何に。
 一方で、彼らは、山口なる堅気の男が、どんな人物か測りかねていた。唯一接点のあった大見を通じて、人となりは聞かされていたが、何を考え、どんな行動に出るのか予想がつかない。組のしきたりを無視していきなり襲名式を行うなどと宣言したが、そもそもこの男、この世界の筋の通し方を知らないのではないか。
 仮にそうなら、まだ引っ繰り返す余地がある。
 これが、幹部連を黙らせている根拠だった。この、上っ張りこそ神社の羽織を着て格好をつけているが、後は、白のワイシャツにスラックスという、どこにでもいそうな、痩せた中年男。
「足りませんね」
山口は、末座の三つの座布団を数えた。
 二つは、南条と宇佐美だ。当然、彼らは来ない。
 もう一つ。
 田代が未着だ。
「空けておきましょう」
河津が腕組みをし、反り返って鼻息を吹いた。彼は例のファミレスでの罵倒の件を、まだ根に持っていた。
「ま、来ない奴には、後で話を通せば十分ですわ」
楠美は扇子を開き、忙しなく顔を扇ぎ出した。山口は大見を見たが、彼は胡坐の脚の上に手を組み、顎を上げて静かに目を閉じていた。
 山口は、やおら体を起こし、口を開こうとしたが、「河津」と二階堂が横目で睨みながら言った。
「一つ下がりな」
河津は唇を震わせた。下がれば、大見よりも下になる。
 本来それが定位置だ。まだ若く、盃を貰って間もない彼は、この中では末席に位置する立場だ。だが、彼には、組を支える事業を経営しているという自負があった。組の表向きの収益は、彼の『護リラ』が上げているのだ。
 護リラは無許可だが、非合法ではない。法定の規格から外れた施設で介護事業を行っているので認可は得られないが、利益に縄をかけることはできない。それができる法律がない。加えて、市当局には、彼らを摘発できるだけの予算も人員もなかった。
 護リラの収益は組の会計に組み込まれた。彼は上納金を組の口座に振り込んでいた。組は表向き露天商で、南条が毎年確定申告を行って所得税を収め、消費税も払っていた。このため、税務当局も護リラを摘発することができなかった。
 つまり、現在の組の財政は、河津が支えているわけだ。
 楠美も田代も、律儀に上納金を納めていた。だが、彼らの稼ぐカネは、出自の怪しいブラックマネーで、洗わなければ使えない。しかもそれは、平井紀夫の口座に振り込まれていたわけで、宇佐美が『自殺』して以来、誰も引き出すことができなかった。大見の事業も表の稼業だが、収支トントンか、ほとんど赤字で、不足分を河津の稼ぎに負っていた。だから彼は、格下の河津に席を譲ったのだ。
 河津は大見の前に立った。仏像のように固まっていた大見は、ものも言わずに腰を上げ、彼の横を通って斜向かいに座り直した。河津は楠美の下に掛け直した。大見と二階堂の間に、田代を挟むのだ。
「よろしいですか」
山口が言った。
 フン、と二階堂が鼻で笑った。
「身内の人間だけでやる襲名式ってのも、珍しいわね」
座に緊張が走った。
 彼女の言う通りだ。本来組長の地位は外部に向けて披露するもので、内々で決めて終わるものではない。正式な襲名式は、他家の親分衆も呼んで、公明正大にやるものだ。
 楠美の扇子が、さらに忙しなくなった。
 カタビラ組は、すでに先代の頃から、他の組と疎遠になっていた。工藤が病気がちだったのが主な事情だが、構成員の高齢化は他家も同様で、かつ、時勢は露天商排除に傾いており、業界は世間以上に不景気で、義理ごとを欠くのがほぼ常態になっていた。もちろん、呼べば遠路を厭わず現れる義理堅い組長もいるだろうが、その場合、アゴとアシ、すなわち食事と旅費を世話しなければならず、負担が増える。だから、他家への連絡は後回しになっていた。
「お披露目は談合の後に、と思ったんですがね」
山口は、座敷の端に控えていた巫女を見た。
 巫女は、静かに俯いて姿を消した。
「しかし、近頃は、思いの外外国の方が増えましたね」
大見が、場つなぎで流行の話題を持ち出した。
「左様」
楠美が、扇子を畳んで背筋を伸ばした。
「ガイジンの方がよく働く。若いので使えそうなのは、たいていガイジンじゃい」
「そうなんですよ」
河津も顔を上げ、楠美の方へ向き直って言った。
「日本人を雇っても、すぐに辞める。気が付くといなくなっている。でも、外国の留学生とか、期間労働者とか、いつまでいるつもりなんだろうってくらい、いますね。案外、言葉もすぐに覚えるし」
「そうだろう」
「ウチの店も、留学生が戦力ですよ。彼らがいないと店が回りません」
大見が、コーヒーショップの店長の笑顔になった。
「憲法を変えるべきなんじゃよ」
楠美が、扇子を懐にしまい、腕組みして言った。
「日本人とガイジン。どこから線を引くか。いまや、そういう問題になっておる。ろくでもない日本人より、マシなガイジンの方が役に立つんだな。オレぁいっそ、日本人になりたいガイジンは、どんどん日本人にしちまえばいいと思うんだ」
「警察だって、自衛隊だってそうだよ」
二階堂が身を乗り出して言った。
「近頃の若い連中は、危険な仕事は嫌だって、自衛隊に入りたがらないんだよ。訓練が辛いとかいってさ。あれだって、公務員だよ。いいカネもらえるんだよ。それなのに、詐欺まがいのネットビジネスばかりに熱心で、興味を示さないんだよ、若い連中は。ああいうのこそ、外国人を入れるべきだね」
「いや、実際、そうですよ」
河津が追従した。
「横須賀辺りで歩いている米兵なんか、いろんな人種が混ざってますね。女性がいるのはもう当たり前だし。なんていうか、たいして強くなさそうな兵隊もいて、心配になるくらいですよ」
「きょうび、米軍は弱い。昔は、泣く子も黙る第七艦隊の海兵隊だったけども、近頃はあちらの人情もだいぶ変わったんだな。まともな奴は、軍隊に入ろうとしない。足りない人員を、貧困層や、帰化した難民で補っているんだ。大体、米軍と言っても、下っ端じゃ年収三百万ももらえないそうじゃないか。もう、安月給でもやるという奴しか集まらないんだよ」
「いずれ、自衛隊もそうなりますね。募集しても人が集まらないんじゃ、給料を上げるか、安い給料でもいいという人間に切り替えるかしなければならない。防衛予算にも限度がありますからね、人件費を上げるのは無理でしょ。そうなると、外国人を雇うしかない」
「どうせ自衛官は有期雇用なんだから、日本人でなくてもいいんだよ。日本のために働く意欲のある子ならね」
「日本には戦争がありませんが、外国は、実際に戦争してますからね。日本で技術を学んで、本国でそれを活かす。自衛隊は軍隊ではないことになっているけども、陸海空全部そろっているし、装備は最新鋭だ。ここで三年も過ごせば、かなり勉強になりますよ」
「まあ、そうなんだけども、やはり、専守防衛の部隊にガイジンを入れるのは無理あるわな。自衛隊が守るのは日本だけだから。もし、本気でガイジンを受け入れるなら、憲法を改正して、自衛隊をはっきり軍隊にしなきゃならんわけよ」
「自衛隊のままでいいじゃないですか。やることは一緒なんだから」
山口が口を挟んだ。楠美は眉を上げて彼の方を振り返り、「いや、自衛隊と軍隊は、やはり違う」と断定した。
「軍隊は世界的にも、例えばフランスとか、傭兵部隊を受け入れていますよね。戦争というのは外交の延長だから、利害が一致すれば国籍や民族に関係なく、協力することができるんです。ところが、自衛隊はそれができない」
「何で? 協力すればいいじゃないか。事実、今だってPKOに参加しているわけだし」
「自衛隊の想定する戦争は、自衛戦争だけです。あくまで、日本が他国から攻撃された場合のみです。同盟国が攻撃されても、原則的には反撃できない。ま、最近はその辺があいまいになってきていますがね。日本のためだけに働く軍隊だから、日本人がやるしかないんです。米軍とか、フランス軍とかって、他国のためにも働いてますでしょ?」
「歴史的なことを言えば、本来、軍隊というのは傭兵部隊だったんですよ」
学のある大見が得意げに鼻を膨らませた。
「ローマ軍というのは、征服したあちこちの民族を傭兵にして、さらに外国を攻めた。中国もそうです。夷を以て夷を制すというのが伝統的な東洋の戦略で、朝鮮人をチベットに派遣したり、北方民族に南方を守らせたりしている。モンゴル人もそうですよ。蒙古襲来の時の兵隊は、ほとんどが朝鮮人か中国人です。で、日本はどうだったかというと、やっぱり一緒です。蒙古襲来で戦った九州の侍は、東北の蝦夷の子孫だったんですよ。昔から、対外戦争の兵隊というのは、外国人が主力だったんです」
「蝦夷は日本人だよ」
「今はそうですけど、当時の感覚では、異民族でしょ?」
「横綱はモンゴル人で、ホームラン王は台湾人、サッカー選手はブラジル人。ハーフだけでなく、純粋な外国人が、スポーツの世界で活躍しちょる。企業でも、今じゃ社長がガイジンなんて当たり前じゃ。ところが、自衛隊でガイジンを雇うことはできない。軍隊にしたらええんよ。腕っぷしのいいガイジン雇って、最強の軍隊にしたらええんじゃ」
「中国とか、北朝鮮とかから大量に雇ったらいいんですよ。敵の軍隊に、自分の国の国民がいると思ったら、攻めて来ませんでしょ?」
ヤクザ者たちは揃って笑い声を上げた。
 山口は憮然となった。期せずして座は和やかなムードになったのだが、彼は、自分がそこからはみ出ているように感じた。何やら目の前に透明な幕がかかって、それを透かして中を覗いているような気分だ。
 もっとも、堅気の自分がヤクザの組を買おうとしているのだから、浮いてしまうのは仕方がない。だが、そうした事情を抜きにしても、彼より若い面々の、呆気ないほどの現状追認主義。楠美がやや近い世代だが、それでもまだ四〇代。二階堂は年上だが、男どもの空気を破る気はないようだ。伊東もしかり。大見は楠美よりやや下の三〇代、河津はまだ二〇代だ。日本を背負って立つ現役世代だ。その彼らが、現状に合わせて制度を変えることに何ら抵抗感を持たないことに、仄かな苛立ちを感じた。
 そこへ、巫女に導かれて、スーツ姿の三人の男が現れた。
 談笑が止まった。ヤクザ者たちは、今度は揃って呆然となった。
 最初に現れた、短髪の大男は、県警本部銃器及び薬物対策課刑事、津久井義明。次に、にやけた顔を見せた、ひょろりと背の高い男は、程川署捜査二課所属、特殊詐欺対策担当の佐原武史。最後に現れた中年の小男は、同署生活安全課の和田茂雄。
 一人がそれぞれ一台の車椅子を押していた。津久井の押す車に乗っていたのは、カタビラ組の最高幹部、二階堂行夫。彼は毛糸の帽子をかぶり、同じ柄のマフラーを首に巻き、斜めに掛けて居眠りしていた。佐原の連れて来たのは、カタビラ組組長、工藤祐政。彼は紋付の黒羽織を着ていたが、中は汚れたスウェットの上下だ。寝てはいなかったが、口をもぐもぐさせながら天井を眺めていた。和田は、この宮の宮司、伊東親成を連れていた。
 ヤクザ者たちは、ばね仕掛けのように立ち上がった。車椅子の列は座敷の中央を通り、三台並んで祭壇を背にし、上座に据えられた。山口と伊東は、それぞれ左右に下がった。彼らに席を譲って、ヤクザ者たちもそれぞれ一つずつ下がった。
 座敷に入った順に、津久井が河津の隣に、佐原が大見の横に掛けた。和田は津久井と並んだ。
「程川署のお歴々の立ち会いなら、心強いわね」
二階堂が鼻を鳴らして笑った。河津は腕を組んで俯き、大見はまた仏像のように天井を仰いだ。
「社長、これは一体、どういうわけで?」
楠美が膝を進めて身を乗り出した。
「アタシがお願いしたんです」
伊東が答えてひらひらと笑った。
「二階堂さんのおっしゃる通り、身内だけの話し合いでは、決着がつかない場合もありますから」
 カタビラ組の襲名式。これで、田代以外の当事者が全員揃ったことになる。やや揃い過ぎの感があるが。
「始めましょうか」
数人の巫女が現れ、盃の乗った膳をそれぞれの前に据え、酒を注いだ。固めの盃だ。酒が行き渡り、一旦全員が盃を置いた。
 この酒を飲み干せば、晴れて襲名の儀式が成就したことになる。
(つづく)

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