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売られたヤクザ その16

 昼下がり、ランチタイムが終わる頃のラーメン店で、佐原刑事が四人掛けのテーブルを一人で占拠してタンメンをすすっていると、和田が現れて向かいに掛けた。
 彼は玉子タンメンを注文した。
「田代は、まだ見つからないらしいね」
そうですね、と奥歯で麺を噛みながら佐原は応えた。
 佐原は内心、憮然とした。今のところ、田代の件で彼に相談する者はいなかった。彼が、田代の名を事件以前に知っていたことを、警察内で知っている者はいないのだ。当事者でもないので距離を置いているのだが、その実、彼なりに田代の行方を追っていた。彼が逃亡して一週間余り。津久井を始め、県警の腕利きを集めて編成した追跡班も、いまだ行方を掴めないでいた。各地の防犯カメラの画像が解析されていたが、影すら見当たらなかった。唯一、麻薬の売人である彼が関わっていそうな事件が、横須賀で起きたディスコ襲撃の一件だったが、当事者のヤクザと、襲撃者たちが全員死んでいて、目撃情報も掴めていなかった。おまけに政治家絡みの案件で、県警内に箝口令が敷かれていた。
 宇佐美は自殺で落ち着きそうだった。彼の件に関しては、だんまりを決め込んだ。下手に口出しすると、痛くない腹を探られることになる。まさか、つい数日前まで警察に口座情報を漏らしていた男が、自殺はしないだろうとは思ったが、状況的に他殺と推定できるほどの証拠もなかった。強いて言えば事故死だが、川に落ちるには高いコンクリートの護岸に上らなければならず、自殺でも考えない限り、家庭のある中年男がわざわざ上ったりはしないものだ。捜査一課の刑事たちは、目下自殺の動機探しに躍起になっていた。
 捜査二課の佐原は、特殊詐欺の件を形にしなければならなかった。楠美の行方だ。しかしそれは、国内に限定できる田代の捜査よりも雲をつかむような話で、じたばたしたところでどうなるものでもない。いずれ、どこかの国の入国管理局が発見するのを期待して待つより他になかった。
 つまり佐原は、お茶を挽いていたわけだ。
 もちろん、彼もただ黙って刑事部屋の椅子を温めていたわけではなかった。
「カタビラ組か」
佐原は、スマートフォンを立ち上げて、一つのサイトを開いて見せた。庵木瓜の家紋に毛筆で『工藤一家、カタビラ組』と大書されたエントランス。サイトに入ると、組の由緒から現在の活動まで、目次を立てて解説するページが開いた。
 還暦間近の和田は、携帯電話は持っているが、電子メールすら一人では送れないほどの電子機器音痴だ。
「このサイト、無料のサーバーに設置されていましてね、」
と説明されても、ウム、と答えるしかなかった。
「先週まで、無関係な広告に占拠されていた。設置者が放置していたからです。それがほら、今日は、クリアな画面で見やすくなっている」
「どうしたんだろうね?」
「更新されたんですよ」
また、ウム、と言って和田は顔を伏せ、玉子タンメンに取り掛かった。
 誰が設置したかは分からない。サーバーの運営会社に問い合わせ、これがカタビラ組の公式のホームページであることは分かったが、書き込みの権限を持つ個人を特定できなかった。ただ、古いページ画面を取り寄せ、ページの隅にある連絡先のメールアドレスが変更されていることを佐原は突き止めた。
 カタビラ組は生きている。
「亡霊が、動き出したんだな」
「亡霊? オカルトは苦手なんですよ。全く興味がなくて」
「オカルトとは違うな。姿は見えないが、実効力がある。それが亡霊だよ」
「確かに姿は見えませんね。しかし、誰かがこのサイトに書き込みをしている。ここを通じて、連絡を取ろうとしている」
「そうだな」
「ここに出ている住所は空き部屋です。活動実態も、どこまで本当か分からない。今年の夏祭りでも、カタビラ組に所属する露天商はいなかったはずです。一体何が目的か」
「名誉だね」
佐原は思わず鼻から吹き出した。
「今時、名誉のために動く人間がいますか?」
「カネのために動く人間の方が珍しいよ」
佐原は、和田の灰色の瞳を覗き込んだ。彼はまた顔を伏せ、ズズッと三口ばかり麺をすすった
「カネのために、人間は驚くような行動をする。普通では考えられないような事件を起こす。犯罪の動機には、たいていカネが絡んでいますよね?」
「それは一理あるが、十分ではない」
和田は奥歯に挟まった麺をすすった。
「人を動かすのは欲望だよ。カネは、表向きの言い訳なんだよ。動物みたいに、欲望のまま犯行に及んだと言いたくないから、カネのため、と言い訳するんだよ」
「カネを得たいという欲望のために罪を犯す奴もいますよね?」
「カネは、カネだよ。カネで満たせる欲望はないよ。カネで何をするかが問題なんだよ。その何かを、見極めなければならないんだよ」
佐原は背もたれに寄り掛かった。今一つ、和田の言う意味を掴みかねた。
 人間には様々な欲望がある。それは生きる活力だ。例えば、三大欲と言われる食欲、性欲、睡眠欲のうち、食欲と睡眠欲を失うと人は死ぬ。性欲はなくなっても死なないが、てきめんに衰える。人間の生きる目的は、内なる欲望を満たすことにあると言える。
 現代社会では、経済活動によって欲望を充足するシステムが出来上がっている。基礎的な三大欲から、発展的に出現した新種の欲望まで、たいていはこのシステムに乗っかることで充足できる。つまり、カネさえあれば、たいていのことができるのである。
 だから、カネの動きを追えば、たいていの犯罪の顛末は推定できる。そう教えられてきたし、自分もそう考えていた。他ならぬ自分自身、煎じ詰めればカネのためにしか動いていない。そのことに、内心忸怩たる思いを抱えつつも、やはり、カネのために動いている。カネで何をするかが問題ではなく、何をしてカネを集めるかが問題なのだ。
「工藤の後釜が分かったよ」
佐原はスッと背筋を伸ばして身を乗り出した。和田は、上着のポケットから折り畳んだコピー用紙を取り出し、開いて佐原に見せた。
 白髪がちの短髪に一重瞼。血の気のない唇。ひどく印象の薄い中年男の、胸から上の画像だった。
「この、アサマ管理というのは?」
佐原は、男の着ている作業用の上着に刺繍された名称に目を付けた。
「不動産管理会社だ。もう、二〇年も前に解散している」
「この男は、不動産会社の社員ですか?」
「違うらしい」
和田はレンゲでスープをすすった。
 顔しか分からない。名前や年齢や住まいや、連絡先は分からない。普段立ち寄る場所など見当もつかない。だが、足があれば足跡が残るもので、和田は、工藤親分の暮らす介護施設に照会し、滅多に人の訪れない親分の下に、先日、一度に三人もの来訪者があったことを突き止めた。来訪者名簿には代表の宇佐美の名だけが記載されていたので、後の二人が分からなかったが、後に一人は、自分の事務所で銃殺された司法書士の南条だと知れた。
 施設の防犯カメラが、顔の画像をとらえていた。
 南条の件も、一課のテリトリーだ。この件は、マスコミの報道でも取り上げられていたが、凶器が特定されており、逃亡留学生の仕業ということでほぼ決まっていた。痴情のもつれの果てに恋人を殺し、身元引受人まで殺害して、目下逃走中、というわけだ。事件は反響を呼び、留学生の潜伏先と推定される地域では、小中学校が休校になる騒ぎになっていた。
 介護施設の防犯カメラの画像では、豆粒のような顔と、比較的小柄な体形位しか分からなかったが、和田は正面からの画像を手に入れた。実に根気のいる作業だ。彼は、横浜中の風俗店とラブホテルの防犯カメラの映像のほぼ半年分を、再生して検証したのだった。もっとも、実際につきっきりで膨大な映像を眺めたのは、彼の息のかかった店の従業員たちだった。
「馴染みの風俗嬢は?」
「特定した」
「聴取しましょう」
佐原は椅子を引いて腰を上げた。だが和田は、「まあ、待ちなよ」と言って、今度は丼からスープをすすった。
「どうせ、亡霊だからな」
丼を置き、佐原を真っすぐに見、薄い唇を開いて笑った。
 佐原は腰を下ろした。
「この男を追ったって、何も出て来ないよ」
「特殊詐欺の背後に、カタビラ組があるんです」
今の今まで、自分の胸にしまってあったことを、佐原は吐き出した。和田は瞼を開いた。
「この際だから、言いますけど、」
少しどもりながら佐原は言った。先輩が手の内を晒した以上、自分もあるだけのものは見せるべきだ。
「県で発生している詐欺の五、六割は、この組に絡んでいると見ています。末端のグループを摘発しても、次々と新しいグループができて、手口を替えて詐欺が行われる。オルガナイザーがいるんです」
「それが、この男だと?」
「おそらく。楠美龍太は詐欺担当。田代丈二は、薬物担当。彼らの稼ぎを吸い上げているのが、この男でしょう」
和田は、上着のポケットから紙巻きたばこを取り出し、咥えて煙を吹き始めた。全面禁煙の店だが、すでに昼の営業時間は過ぎていて、他の客はおらず、店主は胡椒の小瓶の詰め替えをしていた。署の向かいにある店で、署員が一番の得意先だったので、多少のわがままは目をつむってくれるのだ。佐原も、加熱式煙草の機械を出した。
「何のためかな?」
 何のため? 職務だからに決まっているじゃないか。
 和田は、口元にためた白い煙をスッと吸い込み、透明な煙に変えて吐き出した。
「カネのためではないだろ?」
 佐原は、加熱式煙草のフィルターを咥えた。
 働いているのは、カネのためだ。彼も、妻も子もある、世間並みの男だ。家庭のために稼がなければならない。子供たちにまともな教育を受けさせるためにはカネが必要だ。特に末の小学生の男の子は出来が良く、妻は私立校に通わせたがっていた。教育の無償化が実施されて久しいが、中学から私立となるとそれなりの費用が必要だ。
 功を成し、出世すれば、給料が上がり、生活は楽になる。子供を私立にやれる収入になる。だが、それを単にカネのためというのは、違うような気がした。カネを稼ぐだけなら、刑事のような危険な職務に就くのは理不尽だ。まして、出世を望むなら、他部署や他の署を出し抜くような捜査をするのは理屈に合わない。
 何が目的か。
「名誉ってのは、案外、人を動かすもんなんだよ」
佐原は、眉をひそめて和田を見た。ほとんど名誉などというものから見放されたような男だ。それどころか、出世もカネも、彼の意中にはないようだった。彼が求めているのは、定年までつつがなく勤め上げて、退職金を満額貰うこと。カタビラ組の一件も、興味本位から首を突っ込んでいるに過ぎない。そもそも、署の暴力団対策室もカタビラ組など問題にしておらず、彼自身がそうだったように、名前も知らない者が大半だ。
「名誉ってのは、しかし、どうも、違うような気がしますがね」
佐原は背もたれに寄り掛かって脚を組んだ。
「名誉は、亡霊だよ」
和田は言った。
「キミの思う通り、何の価値もないものだよ。ところがね、この亡霊に、案外人は、踊らされるんだよ」
(つづく)

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