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売られたヤクザ その26

 鹿威しが鳴った。
「二階堂でダメなら」昂然と道代は言った。「誰なら、納得が行くのかしら?」
 伊東が席を立って下がった。末座に控えていた巫女たちも、彼女と共に去った。
 座が白けた。
 二階堂は工藤の弟だ。その次は、長男だ。楠美がしわぶいた。
 ここまで楠美は黙っていた。彼は、例の南条事務所での一件以来、寡黙になっていた。逃亡中のお忍びの帰国で、大っぴらに表に出られない身だからそれも当然なのだが、山口に会う前までは、派手に暴れていたのだ。宇佐美の件といい、南条の件といい、実行犯は不明だが、彼と彼の周辺が動いたことは、刑事連を含め、ここにいる誰もが承知していることだった。
 その彼が、「オレは、飛ばしてくれ」と言い、また扇子であおぎ出した。
「アニキ」
大見が身を乗り出した。
「あ、アニキが本命じゃねえか。飛ばすとか、降りるとか、あり得ねえ」
楠美は大見を睨み、「おめえがやったらいいじゃねえか」と顎を突き出した。
 ウッと大見は詰まった。
 一案だ。
 カタビラ組は、地場のヤクザだ。広域暴力団ではない。暴対法の規制の対象でもなかった。組織替えの時には届け出る習慣があったが、それも警察からの要請によるもので、義務ではなかった。他ならぬ警察が、彼らの動向にさほど目を向けていなかったことは、先代組長が引退したことを、和田しか把握していなかったことからも分かる。
 大見は楠美の舎弟分で、世代的には次の次に当たる。だが、列席の面々の中で、この土地に居残って、義理ごとを滞らせなかったのは彼の功績だ。宇佐美と南条も、先代から盃をもらった歴とした組員だったが、彼らは組の経営のために勧誘した外部の人材で、いわば外様だ。生え抜きで、直に縄張りを守ったのは大見だけだった。
 全員が彼に注目した。そして、ほぼ全員が、同じ感想を抱いた。大見は、目から表情を失い、氷枕のようにだらだらと汗を流し出した。
 器じゃない。
 誰も言わなかった。だが、誰もがそう思った。
 弱小とはいえ、この界隈が宿場町だった頃のヤクザ者の系譜を継ぐ組で、その伝統は、明治の御一新以来。金看板だ。大手フランチャイズチェーンの店長に過ぎない彼には荷が重かった。「無理っす」と大見は素直に白旗を上げた。
「じゃあ、どうするんだ?」
眉根に険を籠めて楠美が問い詰めた。大見は前のめりの姿勢のまま、正座した膝の上に手を突き、汗を座布団の上に落とした。
「幹部の若返りには、賛成します」
河津が発言した。
 一斉に視線が彼に集まった。
「ってことは何か、田代を担げってか?」
気色ばんで楠美が言った。
 列席の面々が、音もなく息を呑んだ。
 これも、一つの選択肢だ。
 田代は大見の子分だった。大見の店で働いていたことがあり、彼から盃をもらって組に入った。地道な賃労働を嫌い、勝手に店のシフトから抜け、組のコネを利用して売人稼業を始め、居場所も分からなくなったが、義理堅く上納金を送り続けていたので、破門にはなっていなかった。というより、工藤が耄碌して以来、組の会計は田代からの送金がなければ成り立たない状況だった。薬物の売買は、堅気相手の商売になるのでリスクが高いが、利幅が大きい。事実上、ここ数年は彼の上納金が組の収益の大部分を占めていた。無年金の工藤が無事に施設に入れたのも、田代のカネのおかげだった。
 大見は、さんざん迷惑を掛けられ、今は彼と絶縁していた。大見の兄である楠美も、田代を敵視していた。表向き露天商の組が、薬物売買で利益を上げているというのは都合が悪い。単に違法だというだけでなく、任侠の組のシェアを奪うことになる。田代の稼業は、表裏両面の社会に迷惑を掛けているのだ。
 楠美の事業は、巨額の売り上げを上げるために巨額の経費が必要で、ならしてみれば収支トントンか、時には赤字だった。外国人を含め、多くの準構成員を勧誘したのが彼の功績と言えたが、逆の見方をすれば、多くの人間が携わる分、発覚の機会も増えたわけで、純粋にメリットとはいい難かった。また、彼の事業も田代同様、大手のシェアを脅かしていた。
 つまり、格は上だが、商売上、楠美と田代は同等か、儲けの多い分田代の方が貢献度が高いと言えるのだった。
 田代が跡目を継げば、若返りどころの話ではない。実力者である上に、ろくにいうことを聞かず、組の稼業を嫌って流れ歩いているような男だ。突然組長に成り上がったら、それこそ虎に翼が生えたようなもので、どんな暴れ方をするか想像もつかない。なかんずく、格下の彼に頭を抑えられた楠美と大見は、上がり目がなくなってしまう。
 伊東が、巫女を引き連れて戻って来た。巫女がそれぞれの膳に、よく冷えたサイダーを置いた。
 伊東の着座と同時に、全員がコップを取り上げてサイダーをすすった。喉が湿ってひと心地ついた。
「まあ、しかし、」
山口が間延びした声で言った。
「誰が跡目になるかという件は、ひとまず置いておきませんか」
列席の面々はコップを置いた。
「ボクは、いいんですよ。まあ、乗り掛かった舟ですから、知らんぷりというわけにはいきませんがね、どなたが選ばれても、何ら異議はありません。この組の発展を叶えるお人なら、最大限、協力を惜しまないつもりです」
顔も言葉も誠実そのものだ。
「ただ、ボクも、みなさんと同じく、ビジネスの世界に生きる人間ですからね。それなりの元手をかけたものを、何にもなしに譲るわけに参りませんので」
また、全員がサイダーをすすった。
 鹿威しが鳴った。
 話は行き詰った。山口の投資した一千万。このカネは、工藤のいる介護施設を始め、方々で滞っていた支払いに当てられ、すでにほぼ溶けていた。
「ボクが払いますよ」
唐突に河津が発言した。
「一千万、ボクが払います」
盤石を置くような、決然たる物言いだった。
 楠美が、「お前が継ぐんかい?」と軽い調子で言った。
「それは、叔父貴にお願いします」
河津は山口を見つめていた。
「オレの稼ぎで、株を買ってください。叔父貴の下で、オレは働きます」
 これも、一案だ。
 彼は新参の若手で、兄貴分の田代が行方不明になっても、義理堅く組に残っている奇特なヤクザだ。彼が入門した時には工藤の親分はすでに耄碌していたので、組からはほとんど恩を被っていない。にもかかわらず、自分で事業を立ち上げ、軌道に乗せて、収益をマメに上納していた。ある意味、組に酷使されていたと言えなくもない。
 その彼が、組の株を買い取るという。この発案は、列席の面々の胸を打った。若い彼が、組の屋台骨を支えてくれる。高齢化の進んだ組に、希望の光が差す。しかも彼は、組長の座を楠美に任せると言った。この謙虚さも頼もしかった。楠美は工藤の直参なので、順序は正しい。仮に、この場で河津が楠美から盃をもらえば、次は河津ということになる。
 つまり、向こう二代が安泰なのだ。
「なるほどね」
楠美は体を起こして膝を打った。彼は河津を知らなかった。ただ、類を以って友とするのがこの世界の習いで、体躯といい、面構えといい、古い任侠映画から出て来たようなこの若者に、楠美は当初から一目置いていた。
「まあ、お前がやってくれるというなら、ウチも言うことはないよ」
二階堂が、庭を見ながら顎を上げた。彼女は蚊帳の外に置かれた形だが、彼女の狙いは、あくまで屋台骨のぐらついた組を吸収合併することなので、カタビラ組の体裁が整ってしまえばもはや出る幕はない。大見にも異存はない。彼は楠美の舎弟なので、今すぐ河津が自分を越えないのであれば、何のデメリットもない。新組長に従って、今の商売を続けるだけだ。
 刑事連は無表情。カタビラ組がまとまろうが崩れようが、どうでもいい。それぞれの狙いの容疑者を上げられれば、何も言うことはない。
「では、それでよろしゅうございますか」
山口が笑顔で面々を見回した。何となく、誰もが背筋を伸ばした。
「ところで、株の買い戻しの代金は、いつ揃いますか?」
伸びかけた全員の体が止まった。みな、めいめいの方を向いていたが、耳は全て河津へ向けた。
 もちろん、猫ではないので、人間の耳は動かない。
「一年」
絞り出すような声で河津は言った。「ハ?」と山口が問い返すと、
「一年、いや、一年半は見てもらいましょう。もちろん、全額きれいに払います」
決然と河津は言った。
 また、鹿威しが鳴った。
 伊東が、巫女の一人に目配せした。水を止めるよう指示したのだ。
 いくら河津に稼ぎがあると言っても、一度に一千万を都合できるほどではない。護リラは、高齢者の増加で事業拡大を続けていたが、その分、経費も莫大だった。主な支出は人件費だ。ただでさえ人材不足の業種であり、かつ地下営業だから人が集まらない。給与水準を上げ、休日を増やすなど福利厚生を充実させても人が居つかない。需要はあるのでもっと事業所を増やしたいのだが、それもままならなかった。
「まあ、待ちますよ」
山口は鼻からため息を吹いた。
「投資は、時には気長であることも必要ですから」
「一年半で返済なら、月々五六万くらいですね。まあ、妥当かな」
大見が湿った笑い声を上げた。
「何言ってるんですか」
山口は目を細めて笑った。
「元本だけというわけにはいきませんよ。完済が一年半後なら、月々の支払いはざっと九五万ですね」
何、と叫んで河津が腰を浮かせた。
 彼の袖を、佐原が引いた。河津は振り払おうとしたが、前から津久井が伸び上がって彼の肩を抑えた。
「それは、無茶ですな」
楠美が腕組みをし、反り返って言った。
「アンタの投資したのは一千万だ。九五万なら、一年でお釣りが出るわい。もっとも、金利っちゅうもんがある。一五パーは払うのが筋だ。しかし、それにしても六〇と某で十分なはずじゃい」
「一八ヶ月に区切るのはそちらの都合ですよ。年利一五パーなら月々一二万五千は払っていただかないと。これは、法定内ですからね」
「テメエ! 言わせておけば」
激高した河津を、刑事たちが押し止めた。
 五、六〇万なら、入居者の食事の総菜を一品削り、レクリエーションの小道具を止め、介護士の残業を減らせば捻出できる。だが、百万近いとなると、新規入居者を毎月迎え、入会費でも稼がなければできない。入居者はいくらでも見つかった。現状でも、希望者を断っている。受け入れれば売り上げになる。だが、人材不足のためにできないでいるのだ。認知症の老人をケアできる介護士が足りないのだ。
 山口の要求は、護リラの収益力を遥かに上回っている。
 河津は顔を真っ赤にして歯噛みし、逆に、楠美と大見は白けた顔つきになった。万年赤字の大見は論外であり、楠美にしても、虎の子の詐欺集団が摘発されたばかりで、今は無一文。また一から組織を構築しなければ、何の収入もない。
 だから彼は、当初から口数が少なかったのだ。彼としては、自然と自分に組長の座が舞い込み、若者からの上納金が自ずと自分の懐に転がり込むという方向に、話を進めたかった。途中までは、概ね、彼の思惑通りだった。だが、山口の要求が過大で、とても左団扇とは行きそうもない。
 話し合いで解決しようと彼は言った。それも一案かと思い、承諾した。しかし、事ここに至って、話は頓挫した。楠美は、そっと山口を睨んだ。
 この男、やはり殺すべき?
 硬直した空気の中で、伊東があくびをした。
「休憩にしませんか?」
彼女は、山口を振り返ってにっこり笑った。
(つづく)

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