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与えられた男 その4

『本年四月一日より、小早川テツヤ様に、志民権が付与されました。権利行使を希望される場合は、市役所戸籍課までご連絡願います』
 志民権? 
 小早川は、聞き慣れない言葉に不審を覚えた。付与ということは、与えられたということだ。特典か何かだろうか。例えば、コンビニチェーンのスマートフォンのアプリで、コーヒー無料のクーポンが配布されることがある。そのような小さなお得が、この、数か月前から放置していたメッセージに、付与されているということだろうか。
 しかし、メッセージの文面には、『志民権』なる言葉の意味は記載されていなかった。小早川は、言葉そのものを検索してみた。
 ない。
 『市民権』はある。『志』や、『民権』も当然あった。しかし、市を志に変えて民権をつけた言葉は、サッパリ出てこない。この『検索』なるインターネット上の機能は、便利だが、網羅しているわけではない。民間企業の無料サービスで、本来の目的は広告収入だから、より多くの人々が知りたがり、調べたがる物事、すなわち広告がつきやすいものはいくらでも出てくるが、滅多に利用されないものはなおざりだ。つまり、『志民権』は、ろくに注目されていないワードなのだ。
 さらに言えば、あくまで広告目的なので、検索エンジンを運営する企業が、自社の利益に反する情報であると判断すれば、意図的に外すこともあり得る。その場合、『志民権』は、必ずしも無用な言葉とは言えない。むしろ、排除されるほど重要なキーワードだ。
 小早川は、三浦に電子メールで尋ねてみた。彼が開いたのは、『マイナポータル』の、自分のアカウントに送られてきていたメッセージで、発信元は総務省。公的な文書だ。こういうものは、公務員に相談するのが早いだろう、と彼は考えたのだった。
 梶原は、散々三浦のことを中傷した。ろくに挫折を知らない者が、この年で孤立するのは痛手だ。包丁もまともに使えない男だから、日に三度の飯にも困るだろう。アイロンどころか、洗濯機の回し方も知らないかもしれない。今回のことで、少し反省したらいい。しかし、反省したところで、嫁と子どもは戻りゃしない、等々。長年の友人にそこまで言うか、と小早川は思ったが、黙っていた。三浦は、学歴があり、職があり、資産もあったが、人望はないのだ。それだけの話だ。一方梶原は、学歴はなく、職はあるが十分な収入はなく、資産もない。身近な友人を妬む気持ちも、分からないではなかった。ただ、気さくで敵を作らず、ルーティンも厭わず引き受けることが、彼をいまだに職業人として長生きさせているのだと考えていた小早川は、彼のストレートな嫉妬心にいささか鼻白んだ。
 もっとも、この三人の中で、自分が一番低レベルだ、と小早川は自嘲した。学歴はあるが職はなく、収入も資産もなく、人望どころか、近隣との交流すらない。職を失って以来、彼は無駄な出費を極力控えていた。家計の無駄の最たるものは交際費だ。家族や親戚、友人や知人は、多ければ多いほど、交際費が膨らみ、家計を圧迫する。顔を合わせれば茶を飲み、酒を共にし、季節ごとにあいさつを交わし、年が改まれば互いに寿ぐ。冠婚葬祭などがあれば一大事だ。蓋し、清貧を全うするなら、まず人とのつながりを断つべし。人とつながることで、人は浪費するのだ。
『そっちにも来たか』
間もなく、三浦は返信してきた。僅か一言のメッセージ。口ではうんざりするほどものを言う男だが、電子メールの文面は、拍子抜けするほど素っ気無かった。代わりに、文書ファイルを添付していた。
(つづく)

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トケルジン  1/3|nkd34 (note.com)

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