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売られたヤクザ その14

 伊東禰宜は、「また来た」と言って笑った。彼女は、白衣の上に作業用の上っ張りを着、浅黄色の袴を引きずって、摂社のさい銭箱の鍵を開け、中の小銭を取り出していた。
 山口は、砂利を踏んで立ち止まり、静かに頭を下げた。
 社務所に招かれ、茶を供された。一口すすると、清らかな香りが鼻を通って、頭頂部に突き抜けた。
 伊東は、玄関先で遠慮していたヨシヤを招き入れてから、袴の裾を整えて山口の正面に掛けた。
「率直に言いますよ」
山口は膝に手を置いて身を乗り出した。どうぞ、と彼女は白い歯を見せた。
「風は、冷えているのに、日差しは、相変わらず照り付けている」
「その言い方の、どこが率直なの?」
伊東は口を両手で塞いで吹き出した。
 どうも、彼女を前にすると話しにくい。
 四〇絡みながら、未婚で子供もいない彼女は、時折あっけらかんと少女のような表情を見せた。山口は、話をどのように組み立てるべきか決めかねていた。
「つまり、ですね。死んだはずの高齢者が、電子メールを送るようなもので」
伊東は瞼を開いて瞳を輝かせた。
「あれ、ますます大騒ぎになってますね」
死者からのメールが遺族を呼び寄せた一件。喪主の長男がテレビのインタビューに応じ、親を孤独死させたことを涙ながらに悔み、かつ、メールのおかげで遺体を適切に処理することができたことに、心の底から安堵した、と述べた。「神様って、本当にいるんですね」という彼の述懐が拡散し、何万件ものコメントが殺到した。肯定的な意見が多い中で、やらせではないか、とか、生前のメールではないかと言った邪推も混ざっていた。
 そんな中、死者のSNSのサイトが発見された。普段会うことのできない、地方の知人たちとの連絡用に開設され、数年前に数件のコメントを載せた後、ほぼ放置状態だったものだ。
 葬儀の翌日、このサイトに『サンキュー、ベラベラ、マッチャ』というコメントがアップロードされた。
 懐疑派の野次馬たちが、一斉に非難した。完全なるやらせだ。遺族の長男か、それに近い者が、世間受けを意識して出したものだ、というコメントが次々に寄せられ、サイトは炎上した。やはり懐疑派の長女が、
「母は、苦いものが苦手で、緑茶にも砂糖とミルクを入れていました」
とコメントすると、長男の細工説が決定的とされ、彼の自宅や勤め先に、電話による非難の声が寄せられるようになり、冷静な対処を求めてSNS運営会社のCEOがコメントを出す騒ぎになった。この『長男犯人説』は、ネット上の野次馬たちを納得させ、白けさせ、事態は終息へ向かったかのように見えた。
 そこへ、「彼女に抹茶の味を教えたのは私だ」と言い張る者が現れた。亡くなった女性が足繁く通っていたショッピングモールで、試食係をしていたというその人物は、自身のサイトの中で、「抹茶カステラ、抹茶クッキー、抹茶アイス。抹茶パンに抹茶うどん、抹茶明太子。当店の抹茶フェアで提供された抹茶食品を、初め、彼女は遠巻きに眺めていました。普段なら真っ先にカウンターに寄って、次々と試食品を手に取る彼女が、です。私は思いました。抹茶が苦手なんだな、と。そこで私は、彼女の口に合いそうな『ベラマッチャ』を提供したのです」
 『ベラマッチャ』とは、タンの塩焼きに抹茶粉をまぶしたものだ。
「奥さんはとても喜んで、試食をお替りしただけでなく、自分用に三つもお買い求めになりました。苦味がお嫌いだったのは事実でしょうが、少なくとも、抹茶嫌いは克服なされていたと思います」
 「バカバカしい」
山口は視線を逸らせた。
「彼女が気に入ったのは『ベラマッチャ』ですよ。『ベラベラ、マッチャ』じゃない。ついでに言うと、ベラマッチャはレッツラゴンのキャラです。タン塩じゃない」
「ベリーマッチをくだけた言い方にしようとして、好物の名前を重ね合わせたんじゃないの?」
「その見解は後付けだ。単に、言葉の類似に因果関係を結び付けただけですよ。ベーグルとドーナッツは同じ形状だけれども、同じパンじゃない。そうでしょ? 比較対象じゃないんだよね。どうも、ネット上の議論は物質の要素を無視しがちでイライラする」
「形状から飛躍的に異質な要素を引き寄せることも、考え方の一つだと思いますけど?」
「それは分かりますよ。例えばフクロオオカミは、猫の仲間の有袋類で、狼じゃないが、タスマニアで狼のようなポジションにいた。際限なく増える草食動物を減らすために、食物連鎖の頂点に君臨していたわけです。しかし、そうなるにはある程度の社会構造の複雑化が必要なんです。ほぼ全員参加という単純社会で、自然の流れに任せて階層化を行おうとすると、十分に役割を担うことのできない者が、過分なポジションに納まってしまうことがある。本来、狐が狼になることはできないんです。ところがネット上では、構造的に近いから、犬も狐も狼だ、と言い出してしまうんです」
話の途中から、伊東は口を塞ぎ、肩を揺すって笑っていた。
 何がそんなに面白いのか。
 普段滅多に笑わないので、山口は、初対面の時からとにかく笑いだす彼女を扱いかねていた。まるで思春期の少女だ。
 彼は背筋を伸ばして改まった。
「ボクは、会社の全容が知りたい。従業員はどうでもいい。でも、少なくとも、収益の流れを知りたい」
「誰も知らないんじゃないかな」
そう言って一笑いすると、伊東はテーブルの湯飲みを取って一口すすった。
「組も会社も、構造的には似通ったものだ。でも、名目だけの繋がりは、幽霊みたいなもので、いずれ消えてしまうじゃないですか。組織は、それを成り立たせるための経済的基盤があるはずですよ。カタビラ組が有名無実のものだったとしてもね、これまで存続できたのは、組織を形成するベースがあるはずだ。それが、見えない」
「何となく、なんじゃないかなあ」
伊東はぼんやりと答えた。何となく親の後を継いで、信金職員ながら神主も兼ねている彼女らしい答えだ。「でも、ですね」と山口は身を乗り出した。
「ほとんど名目に過ぎない会社の、形式上の社長に関わった人間が、もう二人も死んでいるんですよ」
「楠美君の仕業でしょ。あの人、ホントに嫌い」
伊東はプイッと横を向いた。
「ボクも殺されそうになった」
「大丈夫よ。ヤクザ屋さんたちが、勝手に殺し合ってるだけだから。あの人たちは、普通の人には手を出さないの」
山口は片方の眉を上げた。
 南条の死は、楠美の思惑通り、留学生の行き掛かりの殺人として捜査されていた。
 山口は、もう一服茶をすすった。
「田代というのは、どんな男ですか?」
「あんまり知らないのよね」
伊東は俯いて髪を弄った。
「滅多にこの辺には現れないの。幽霊組員なんていう人もいてね」
「でも、律儀に上納金を納めているわけですよね?」
伊東は軽くため息をつき、「ヤクザ屋さんのことは、分からないな」といい、ヨシヤが大あくびしたのを見て、「そうだ、羊羹食べる?」と彼に微笑みかけた。
 ヨシヤは照れ笑いして山口を見上げた。
「呼べませんかね?」
「田代君を?」
伊東は言ってから、くるりと背を向けて台所を振り返り、中でテレビを見ていた母親に声を掛けた。
 腰の曲がった老婆が、柵に切った羊羹を盆に乗せて現れた。山口は遠慮したが、伊東は一つ取ってヨシヤに渡した。
「この際、全社員で話し合いをした方がいいと思うんです」
「何の話し合い?」
伊東は、自分も羊羹を頬張りながら尋ねた。
(つづく)

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五の日|nkd34 (note.com)

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