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売られたヤクザ その25

 『死者からのメール』事件が急展開を見せた。
 長女が長男を相手に、相続のやり直しを要求して民事訴訟を起こした。マスコミの取材に対し、長女の代理人は、「私文書の偽造で、刑事告訴することも検討中」とのコメントを出した。
 メール自体が、長男の自作自演と疑っているのだ。
 メールの存在は、疑義を挟むことはできなかった。長男の要請により、プロバイダーの記録上にある送信と受信の履歴が公開されていた。明らかにそれは、母親の死亡推定時刻後に送信されていた。文書を作成した端末も、送信した端末も同一で、日時を操作することは不可能だった。
 そこで、長男の当日の動向が疑惑の対象になった。都下の某市に暮らす長男は、実家の最寄り駅である横浜駅へJRで一本、ドア・ツー・ドアで概ね四〇分もあれば通えた。駅から実家までがバスで七、八分かかるので、乗り換えのタイムロスを考慮すれば、往復約二時間の距離だ。会社員の彼は、平日は当然出勤していた。彼の勤務地は市ヶ谷で、こちらも片道約一時間。
 メールが発信されたのは、午後一時過ぎ。この時間的すき間に、他人の想像の入り込む余地があった。
『一時間で往復は、無理ありすぎ』
と否定する意見があれば、
『役職者なら、中抜けして戻ることもできるはず』
と想像を逞しくした意見もあって、SNS上で野次馬のコメントが荒れた。長男は某教育機関の事務系社員で、平常の勤務は社内の担当部署のみ、与えられたデスクで椅子の綿をすり減らしているのが日課だった。彼の勤務時間は午前一〇時から午後六時。昼休憩は一時間で、彼は、職場周辺の飲食店が込み合う時間帯を避け、午後一時過ぎに休憩をとる習慣だった。
 こういう事情は、瞬く間にネット上に知れ渡った。
『母ちゃんのスマホを持ち出して、休憩時間にメールすればいいんじゃね?』
このさりげないコメントに、レスポンスが殺到した。
 朝、自宅のある某市から横浜の実家へ向かう。これは、二時間ほど早起きすれば可能だ。普段は、中学生の娘と、小学生の息子の登校を見送ってから、九時に家を出ていた。比較的朝に余裕のある生活。出勤時間を早めれば、口うるさい父親と顔を合わせずにすむ家族はむしろ喜ぶ。七時に家を出、横浜回りで市ヶ谷へ。
 一〇時出勤に充分間に合うはずだ。
『母親の死体を、置き去りにしたってことか』
このコメントにも、レスが殺到した。
『本質がズレている』
と冷静にコメントする者もいた。
『長男だからと言って、余分に遺産が貰えるわけじゃない。父親の遺産はすでに分与されている。母親が相続した分は、その死後、等分に兄妹に分け与えられる。長男が、先に母親の死を知ること自体のメリットはない。だから長男には動機がない』
ネット上のコメントは紛糾した。
 遺産は、父母合わせて一億程度と推定された。不動産を含めた評価額だ。これは父親の死亡時に、母五千万、兄妹二千五百万ずつに分割され、相続された。自宅を含めた不動産などを母が取り、兄妹には現金が渡された。
 この相続分で、長男が、現在の住居であるマンションを購入したことも晒されていた。
 母親の五千万。これに、週刊誌のスクープ情報が加わった。母親に、嫁入り前に相続した不動産があったことが暴露されたのだ。
 ネット上の野次馬は盛り上がった。
『これ、税逃れだべ?』
とあるものは言い、
『いや、純粋に、資産隠しですよ』
と訳知り顔のコメントを出す者もいた。
 父親の遺産とは別の、母親の遺産。これを独占するために、長男が、母親の死の突発性を演出し、肉親及び捜査当局の目を晦ます目的で、メールを偽造した。そんなストーリーが、まことしやかに流布した。
 もちろん、税務当局は、そんな妄言には揺るがない。
 不動産取引は全て当局に把握され、そこからの収益には全部税の網がかけられているものだ。母親は、所得税も固定資産税も間違いなく納めていたので、今更それを反故にすれば、たちまち当局の監査を招く事態になるはずだった。
 だが、刑事や民事に敏感でも、税務には疎いのが世間の常で、母の財産を独り占めしようとした長男というストーリーが出来上がってしまうと、野次馬連はすっかりそれに取り付かれた。
 長男はいい面の皮だ。正直に、実母の死に立ち会えなかった自分を嘆き、その死を知らせた電子メールの不思議を語っただけだ。悪い人間ではなかった。世間ずれした父母の子にしては天真爛漫な、他人を信じやすい性癖が世渡りに支障を来たすのではないかと危ぶまれるような、純粋な人柄だった。妻に家計を握られ、三人の子を私立の中学校に通わせるために、月々二万の小遣いで満足しているような中年男だ。
 彼は、生出演した民放のワイドショー番組で吠えた。
「家族って、何ですか!」
赤らんだ顔を膨らませ、血走った目玉を突き出し、
「生きるって、どういうことですか。血を分け、苦楽を共にした人間が、やがて争うことですか?」
彼の涙はだらだらと流れ、頬を伝い、顎から落ちた。
「そりゃ、母の不動産のことは知っていましたよ。でもそれは、妹も承知のことです。オヤジも了解していたんですよ。だって、母が家に来る前から、相続していたものですから。それをボクらが相続する。このことに、どんな矛盾があるんですか! 当然、相続税は払いますよ。他に権利を主張する人がいるなら、応分の配当をしますよ」
インタビュアーは黙り込んでしまった。
「母のへそくりは、純粋に知らなかったんです。これが見つかったのは、遺産分割が全部終わった後でした。猫砂の下の五百万なんて、分かるはずないじゃないですか! アナタ、分かりますか!」
人差し指を突き付けられて、女性のインタビュアーは、忙しなく頷いた。
(つづく)

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七人の敵|nkd34 (note.com)

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