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売られたヤクザ その35

 元日。
 牛王町は晴天だ。
 牛王神社の参道に、参拝客が連なっていた。四列になって順番を待つ。賽銭箱の前に、鈴のついた紅白の縄が四本下がり、同時に四人が拝礼できるようになっていた。晴れ着姿の若い女性や、紋付を着た男性の姿もあった。狩衣を着け、烏帽子を被った宮司が、拝殿の縁側に立ち、大幣を振って参拝客を祓っていた。
 祈祷を終え、拝殿から出て来た禰宜の伊東は、参拝客の中に、彼女を見上げて白い歯を輝かせている男を見つけた。
「ヨシヤ君」
彼は黒髪を後ろに撫で付け、厚手のハーフコートの下にスーツを着、ネクタイを締めていた。月に吠える虎を刺繍したスカジャンを着た女の子を連れていた。
 社務所に二人を招き入れ、茶と羊羹を出した。「お忙しいところに、スミマセン」と彼は、大人びた挨拶をした。
 伊東は装束を脱いで羽織に替え、彼の向かいに掛けた。
「これ、オヤジから」
『御年賀』と書かれた一封を差し出した。名義はカタビラ組。
「あとこれは、預かってもらえって」
彼はテーブルに紫の風呂敷包みを置いた。菓子折のようだが、ずっしりと重い。
「お父さんから、連絡はあるの?」
「ないです」
ヨシヤは屈託なく笑った。言葉の端に、まだあどけなさが残っていた
 あの晩、廃マンションの玄関先に突っ伏した彼は、警察に連行された。一通り取り調べを受けたが、彼自身は何の犯行にも関わっていないことが分かり、一晩程川署で過ごしただけで、元の養護施設に戻された。
 銃弾で玄関を破壊した警官隊は、山口が抵抗しないと見極めると、我先に中へ突っ込んだ。麓の津久井隊も、態勢を立て直して階段を上がった。廃マンションの、床材の剥がれたエントランスに、警官がひしめき合った。
 山口はいなかった。『田代』丈二も行方知れず。
 銃と、真ん中が血に染まった、タオル地の白いハンカチ一枚が、ぽつんと置かれていた。
 横浜市内だけでなく、神奈川県中の警察を動員した大捕り物は空振りに終わった。和田、佐原、津久井は、新年度の人事を待たずに、揃って僻地へ飛ばされた。
「これからどうするの?」
「学校に行きます」
年末から、定時制高校に復帰していた。出席日数が足りないので留年することになるが、何年かかっても卒業するつもりだ。
「オヤジに、そうしろって言われたんで」
ヨシヤは顔を赤らめた。
 伊東は包みを引き寄せた。中身の見当はついた。山口の一千万。彼はこのカネを、ヨシヤの奨学金に残したのだ。彼は、自宅から持ち出した現金を廃マンションの一室に隠した。襲撃が空振りに終わり、警官たちが呆然と立ち去った後、マンションはしばらく警察の管理となり、ロープを張っただけの無防備な状態で放置された。ヨシヤはそこに侵入し、カネを確保した。
「ネギさん」
「あ、はい」
次の祈祷が入り、巫女が呼びに来た。伊東は立って羽織を外した。
「じゃ、失礼します」
「あ、待って」
玄関に降りたヨシヤを呼び止めた。
「彼、帰ってくるのかな?」
「来ないと思います」ヨシヤは笑った。「死ぬって言ってましたから」
伊東は一瞬口ごもってから、「死なないんじゃないかな」と困惑げな笑みを浮かべた。                              
(了)

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