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売られたヤクザ その11

 秋の日は駆け足で暮れる。拝殿の脇に設えたベンチに掛け、スマホでモグラたたきゲームをしていた山口の肩に、べっとりと夕日が被った。参道に千歳飴の屋台を出していた的屋が、神前に立って忙しなく拝み、封筒に入れたショバ代を賽銭箱に投げ込み、そそくさと帰って行った。
 モグラが速い。指の動きより前に首を引っ込める。山口は苛立った。何に苛立つのか。クリアした時の得点に応じて、ポイントを貰えるゲームだ。ポイントは、コンビニなど提携する店で、一ポイント一円換算で利用できた。つまり、モグラを退治すれば、獲得したポイント分の買い物をする権利が得られるのだ。このポイントは、普段彼が通っている大手スーパーマーケットでも利用できたので、自然と力が入った。
「あ、クソ」
三点ゲットの金のモグラを逃し、思わず声が出た。
 襟首の辺りに笑い声を振りかけられ、山口は顔を上げた。
 拝殿の縁側に、萌黄の地に紺の鳳凰を刺繍した狩衣を纏った神主が、笏を片手に、笑顔で立っていた。山口は、そそくさとスマホをスラックスの尻ポケットに突っ込むと、立ち上がって振り返り、頭を下げた。神主は、浅黄の袴の裾を翻して階段を降り、草履を突っ掛けて彼の傍へ寄った。乾いた風が、汗ばんだ彼女に吹き付けた。女性の神主だ。
 牛王神社は、商店街の鎮守だ。創建は鎌倉時代とされているが、それ以前からここが神域とされていたことは、近隣で出土する遺跡から推察できた。秋の最中の日曜日で、七五三参りの行列が朝から絶えなかった。日が暮れて、神主はようやく体が開いた。
「ご相談って、何でしょう?」
山口は社務所に招かれ、茶を勧められた。この宮の神主、伊東弥栄子は羽織に着替え、天板がガラスのフットテーブルを挟んで、彼の前に背筋を伸ばして掛けた。山口は、茶碗を茶たくに置きながら、「信金の制服よりも似合いますね」と柄にないお世辞を言った。弥栄子は例の、困惑げな笑顔になった。
 この神社の宮司は高齢で、定例の祭り以外では顔を出さなくなっていた。地元の信金に勤める娘の弥栄子が資格を取り、臨時の祈祷を行っているのだった。
 社長になった山口は、自動的に神社の崇敬会に入った。この日彼は、初めてここを訪れた。
「大方のことは、分かりました」
一体、何から尋ねればいいのか。彼自身、困惑していた。
 宇佐美が死んだ。秋の長雨がようやく晴れた朝、線路沿いを流れる川の護岸の下に、うつ伏せに倒れる彼の亡骸が発見された。白ワイシャツに紺のスラックスという姿で、上着はなかったが、靴は履いていた。警察は、自殺と他殺の両面で捜査しているとのことだった。
「会社というのが、存在しないというのは、何となく、分かったんですがね、」
「存在はしているんですよ」
弥栄子は言って、チラッと左の八重歯を見せた。甘えた子供のような声を出す人だった。
「毎年、奉納金を戴いています。存在しているんです。実態もあるんです」
「なるほど」
山口は体を起こし、腕組みをして鼻からため息を吐いた。
「大体のことは、大見氏から聞きました。要するに、ヤクザの組ですよね?」
「まあ、昔風に言えば、そうですね」
「人材派遣ってのも、要は、用心棒ですよね?」
「どうなんでしょう? あの人たちが何をしているかまでは存じません」
彼女は目を細めた。彼女の声は、頭頂部から突き抜けるように出て来た。
「いや、ここ数日、私なりに調べてみたんですがね、所在地はあってもオフィスはない、社員はいても連絡が取れない、業務はあっても、どう進行しているのか見当がつかない。何より、一体どこから収益が上がって、どこにプールされているのか。肝心のカネの動きが全く掴めない」
「それは、困りましたねぇ」
真摯な顔つきで彼女は同情した。本気で心配しているような表情だ。
「そこにきて、今度は宇佐美氏の件だ」
「それは、ウチの職場でも大騒ぎになっていましてね」
「奴は、やらかしたんでしょ? 横領か何か」
「さあ」
伊東は眉を垂らして首を傾げた。山口はカマをかけてみたのだが、どうも、本当に何も知らないようだ。
 彼は苛立っていた。宇佐美に嵌められたと思っているのだ。
 彼は工藤の親分を知らなかった。伝説のヤクザ者であり、この商店街では顔で、祭りの時には必ず組の法被を着て神輿を担いでいたので、どこかで見たことはあったかもしれないが、何しろ、尾羽打ち枯らして介護施設に保護される老人になり、往年の侠気がすっかり失せているので、知っている者でも見損なうに違いなかった。山口もアウトローだが、街を拠点にするヤクザに対し、彼は郊外がフィールドだったので、仕事で絡むことがなかった。第一、彼はヤクザが嫌いだった。常に横柄な彼らの態度もさることながら、群れたがる習性が、彼の性格と相容れなかった。彼は何でも一人でやりたがる性質で、それが昂じて空き巣稼業のシステム化に至ったのだ。
 これまでの稼業と体力に限界を感じ、隠棲しようと考えていた自分が、ヤクザの親分とはこれ如何に。
「アタシも、まさか自分が、神主をやるとは思っていなかったんですよ」
伊東は屈託なく笑った。
「社長だって、いろいろじゃないですか。朝からゴルフしている人もいれば、毎晩麻雀している人もいますよ。やってみたら、意外と向いているかもしれないですよ。向いていなかったら、また売ることもできますでしょ?」
それはそうだが、と山口は少し横を向いて茶をすすった。
「社長はともかく、こんな幽霊みたいな会社じゃねえ」
伊東は、指で髪を巻きながら、
「楠美君とか、田代君とかなら何か知っているかもしれないけど」
「田代ってのは、最近ニュースになっていたな。楠美って、誰です?」
「彼、小学校の同級生なんですよ」
伊東は唇を尖らせた。
「あの人、昔から乱暴でね。あんまり関わりたくないな。あ、思い出した。あの人、アタシが貸した肌色の絵の具、まだ返してくれてないの。近頃は、ペールオレンジって言うんだそうですね。ウチの姪の先生が言ってました。ちびくろサンボと一緒で、ポリティカルコレクトネスに触れるんだって」
「肌色は、昔から肌色ではなかったですよ。肌に塗っても、色が違うんだから」
 そうだ、と伊東はふいに目を輝かせて言った。
「社長とはじめてお会いした時のお葬式。あれ、『死者からのメール』って言われてるんですってね。ご存知?」
どうも彼女は、話しながら高揚する性質らしかった。話し好きなのはいいが、話題があちこちに散らかって掴みどころがない。
「知ってますよ。テレビ局の取材も来ていましたね。でも、普通に考えたら、死人がメールを打てるはずないじゃないですか」
「誰がメールしたのかしら」
「猫じゃないですか?」
彼女は両手で口を塞いで大笑いした。
(つづく)

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目の記憶|nkd34 (note.com)

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