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雑記:想像力の射程について

今月中に投稿すれば、3ヶ月連続投稿になるよ!とお知らせが出ていたので、雑記を投稿してみる。
本当は書くべき記事としてGWに行った清春芸術村・光の美術館での「真鍋大度展」の感想があるのだが、これはまた後ほど。(感想関連のテキストは、メモレベルでもいいからすぐに書かないと、こうしてずるずる後回しになっていって溜まってしまうんだなあ……)

仕事の関係で今の若い人(と言っても20代?30代前半くらい)の時間の使い方・勉強の仕方について考える必要があるのだが、それについて雑談する中で会社の先輩に「たぶん(年代に関わらず)今の人って、憧れの時間軸が短くなっているんじゃないかと思って」という話をした。

人生とは往々にして自分が理想として思い描いている通りにはいかないものだ。その中で、自分の理想を体現しているような人に憧れを向けることもあるだろう。その「理想を体現する人」が、今の人――というかSNSを日常的に使う人――においては、かなり「自分の状況に近い人」になっているんじゃないだろうか、と思ったのだ。

SNSによって自分の好みや自分の状況と近い人を探すことが容易になった。いいことと言えるが、自分とほんの少し違うだけなのに成功している/自分のやりたいことをできている人がいるという状況も見つけやすくなったとも思う。それによって、「こういう風になりたい」という憧れが、自分と重なる属性(嗜好、立場、年齢など)の人になっているんじゃないか。つまりは、全然自分と違うけれどこういう人になりたい、という大きな憧れを抱くことがなくなってきたんじゃないか。(その大きな憧れの対象は、「推し」という存在に吸収されるのかもしれない)

自分と理想の存在の距離が遠ければ遠いほど、その間を埋めるには何をすればいいのか、理想の存在に近づいた自分はどんなものか、という想像力を働かせることになる。現在においてはそういう存在を設定しにくいから、射程の長い想像力を働かせることが減ってきているんじゃないかなあ。
創作物が現実に敗北している、という話をちょこちょこと聞くようになったが、それも想像力の射程を短くすることにも繋がっているのではないだろうか。

現実を傍に置いといて、自分から遠く離れたところに想像を巡らせるのも、ときには必要だろう。
さて、スパコンのことでも考えようかな。(。。自分から遠く離れているのか?)(人間でないし、被るところは一つもないから離れているだろう!)

以上。

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