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書くことは自由だ。僕はまた僕のために

作文大嫌いな僕が何故書くことが好きになったのか。

作文は嫌い。
大嫌いだ。でも書くことは好き。なぜ、そうなったのか。

あれは小学校のとき。
同級生から書いた文章をシケた目で見られてから苦手意識がある。というか、在った。確実に悪意がそこに存在した。こいつは頭が悪いんだなと思われた気がした。只でさえ、頭が悪いのに。そのコンプレックスがあまりにも、呪いの如く、僕の身を纏っていた。

そうしたら、その子とは違う別の子がこういった。

「ああ、あんな奴気にしなくていいよ。そんなことはないからさ」

でも、どれも100点満点のテストながら、0から数えたほうが早い。それも、圧倒的に。であれば、彼が言っていることは眉唾物でしかない。
その優しさの綿は僕を傷つけるには十分だった。なんてひねくれ者なのだろう。

当時の僕は、呪物の様に文章を嫌うようになった。

「大嫌い」だった、それが「嫌い」へと変貌したのは高校の頃だった。

高校受験に失敗した僕は自暴自棄になり適当な高校に進学した。

「もう、いいや。それで」

中学の担任に僕自身が言った、この言葉が再び僕に突き刺さる。そんなとき。ある人が居た。

その学校は工業高校で生徒数も少なく、僕のクラスは1クラス。33人ぐらいだった。

僕は何か楽しいことはないかと、苗字が同じの前の男子に聞いた。
そうしたら、その子はアニメを勧めてきた。
え?アニメかよと少し軽蔑し、悩んだ。
オタク=悪という意識がいつまでも僕の周りを蠢いていた。そんな中、オタクの多いクラスでは浮くだろうと思って、僕はこういった。

「わかった。見て観るよ」

海外の違法サイトを教えてもらって、そこで見た。
最初はリゼロだった。RE:ゼロから始める異世界生活という題名だったので、一瞬悩んだが、約束したからには見ないといけない。


数時間後、僕は、泣いていた。しかも、号泣である。まあ、酷いもので、あんなに枕が濡れたのは僕の人生で上位3番目ぐらいだ。それほど泣いていた。
それからというもの僕は、アニメにハマった。そして、そのサイトが違法であることをそのとき知った。映画も見るし、アニメも見るし、ドラマも見る。ならということで、親がhuluに入ろうといってくれた。

もっとハマった。
アニメといえばワンピースか、ジブリぐらいだったのに、アニメサイトを確認して気になるものをみるようになった。
あるときのことだ。

「転生したらスライムだった件」というものがhuluで目に入った。

転生?と軽蔑し、見なかった。でも、何度もオススメに出てくるものだからいい加減にしろと憤慨しながら、見た。しょうがない。見てやるかという程度。

数時間後、僕は、ワクワクしていた。
1期2クール。24話を僕は一気見した。
堪らなく面白かった。稀に見る、ドハマりだ。

このことを、前席の子に伝えるとこういった。
「それ、小説家になろうってサイトで公開されてるから読んでみたら? 試しにさ」
「そうだね」と僕は返し、バスを待つ時間、webで検索した。それからハマるのは明確にみえていた。中二病真っ最中の僕はファンタジー系の虜なっていたのだから。

それからというもの僕はずっと読んでいた。
バスの待ち時間、バスに乗っている時間、家の暇な時間、学校が終わるまで。
もう、とんでもないぐらい時間をかけて読んでいた。

それも、ただ読むのではなく、イヤフォンをして自動音声で読み上げて、それを聞くという荒業なため無茶苦茶時間がかかるのだ。一話読み終わるのに30分とか普通だった。

それで読むためか、苦手だった長文も難なく熟せる様になった。最初は苦労したのに、それだけで余裕で難なく読めるようになったことに驚いた。

その様な日々を過ごしていたとき、唐突に彼は僕にこういった。

「君も何か書いてみたらいい。だって、才能なんてなくとも文章は書けるし、なにも自分の為に書いたってなんの罰も当たらない。もとより、書いてみないと文才があるか、ないか。それすら分かんないよ」

そのときは思ってもみなかった。ある本を読んで、この言葉が蘇るなんて。

数年後、進学し適当に選んだ学校に行き始める僕だが、精神を病み8カ月もしないで退学する。そんなとき。ある本に出合う。

「風の歌を聴け」/著:村上春樹

本屋さんの本棚を見た時に、まるでビビッと電流が走るかのように体が震え、目はその本に釘付けになった。

そして、その本のある一文に僕は救われることになる。

「完璧な文章などといったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね。」

学校を辞め、絶望し、夢もなく、やりたいこともない。磁極が消えたコンパスのように、そんな絶望の淵でゆらゆらと揺られている僕には十分すぎる言葉だった。

それから、僕はA4のノートとボールペンを買って書きまくった。ここには書きづらいことまで。

そうしたら、心が幾分か軽くなった。吐き出せたような気がした。
それから日記を書いていたが、刺激が欲しくてここにきた。noteにきた。

最初の一歩は重かった。
僕の言葉なんて、誰が読むのか。才能もないし、頭もよくない。等身大でいいのか。背伸びしてカッコつけたい。
そんな言葉が呪物の様に呪っていた。

僕なんて。

この言葉は特級どころではない。まるで厄災のようだ。

そして、高校の前席の子の言葉が頭によぎった。

「君も何か書いてみたらいい。だって、才能なんてなくとも文章は書けるし、なにも自分の為に書いたってなんの罰も当たらない。もとより、書いてみないと文才があるか、ないか。それすら分かんないよ」

絶望も完璧な文章なんてものもないのなら、僕に必要なのは少しの勇気じゃないのか。前へ進む。それだけで、僕は少しまた、どれぐらいかはわからないけれど、軽くなれるのではないか。

小論文や作文の型なんて気にしないで散文的に自由に書いていいのではないか。そう感じた。
その呪物を払ったのは2つの文章だった。

2つの言葉だった。
村上さんとあの子には感謝したい。

僕に自由な羽を与えてくれたことに。
それを活かせるか分からないけれど、僕は昔の自分の様な人をこっちに誘いたい。

文章は自由で開かれたものだよと。
これからはnoteで僕は紡いていこうと思う。皆が自由なここで。

のんびりと。

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