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気楽に菜食の話をしよう

1月といえば、イギリス発祥のキャンペーンVeganuary(ヴィーガヌアリー)です。

知らない方のために簡単に説明すると、1月だけ動物性食品をやめてヴィーガンになろう!というもの。ウェブサイトにて無料のサインアップをすると、周りへの意思表示にもなるし、世界中で実践している仲間との交流もあるとかないとか(曖昧)。
そうでなくても、このサイトには、栄養やレシピについて、はじめてヴィーガン食を実践する人にとって分かりやすく有益な情報がたくさん載っているので、ちょっと知りたいな~という人にも、かなりおすすめです。

かくいう自分、去年もこのVeganuaryについて記事を書いていました。

前回も今回も、サインアップはしていませんので、だいぶゆるゆる参加している感覚だけれども。
前回は特に「栄養」「地産地消」の面から、気になることを綴ったり、この期間中以外にも普段はまあまあ菜食に近い食生活をしていたので、菜食を実践するとこんな変化があらわれるよ~、みたいなことをまとめていたと思います。


で、今回このトピックについて改めて書こうと思ったのは、1年経って新たに得た知見や自分なりの思考を、もう一度まとめてみようかな~という試みを思い立ったからです。

自分の感覚に加え、科学的なエビデンスや学者さんたちの見解も交えながら追記という形で書いていきますが、タイトルにもあるように、世界のどこでもほんと~~うに気軽に菜食の話をできる世の中であればいいな~という思いが根底にあります。
なので、あまり身構えずに読んでくだされば幸いです。

(※わたしは特定の分野のエキスパートというわけではありません。菜食の実践については専門家方のご意見などを参考にし、ご自身の判断で実践してくださいね)


Vegan / Vegetarian・菜食主義という言葉について

まずは、言葉の定義のお話から。

昨年、あるお仕事で改めて、以下の概念について詳しく執筆する機会がありました。


実はプラントベースについての個人的な理解はあまり深くなかったので、今回きちんと知る機会を与えてもらえてありがたい限りでした。

詳しい話はそれぞれの記事を読んでいただければと思うのですが、ここでのリサーチをもとに、ざっくり言葉の定義と詳細とまとめると、

Vegetarian(ベジタリアン):ラテン語で「生き生きとした」を意味するVegetusに由来。人によって卵や乳製品の可否は異なる。

Vegan(ヴィーガン・ビーガン):1940年代、菜食を実践していたあるイギリス人が「Vegetarianの終わりとはじまり」という意味を込め、Veganという言葉を作る。
多くは動物性食品全般を避け、中には特定の動物虐待に当たる行為への抗議という意味で、蜂蜜やパームオイルを摂らない人、衣服や日用品で毛皮などを利用しない人も。

Plant-based Diet(プラントベース。英語では普通「ダイエット」までがセット):主に健康の観点から動物性食材・加工食品を避け、植物性食品を中心に摂取しようという考え方。必ずもガチガチな菜食を意味しない。
より厳格なスタイルとして、玄米や全粒粉のような全粒穀物を中心に摂る「Whole Plant-based diet」というのもある。

です。

ところが日本語で、それぞれに当てはまる言葉というのは、実はあんまりない。強いて言えば菜食主義でしょうか。

ただしここで注意したいのは、あくまでも「主義」なのであって「信者」とかではないという点です。もちろん人によっては厳格に実践したいという人もいて当然なのですが、わたしのように結構フレキシブルな人もいます。
よく日本では、知らない概念に出会うと「宗教(しかも否定的な意味で)」と避ける傾向にあるような気がしますが、菜食主義者だってほかの人と同じテーブルを囲むことはできるんよ。お互いの理解さえあればね。

というわけで、少々乱暴だと承知しつつ、今回は上の3つの概念をまとめて「菜食(主義)」と呼びます。適宜、個々の言葉も用いながら。


菜食は本当に健康的か?

ここで、多くの人に聞かれる質問が、健康に関して。たとえばこんな感じです。

「野菜ばっかり食べていて、健康は大丈夫?」
「たんぱく質やカルシウムは、ちゃんととれているの?」


結論から言ってしまえば、菜食に限らずどんな食生活でも栄養バランスと食べるものの質・量さえ気を付ければ、健康的な生活の実践は可能ということ。
とはいえ、その人の体質やそもそもの健康状態によって異なる部分はあるので、一概に全員に当てはまる話でもないのだけどね。要は個人差はあるという話です。

すでに上の記事で色々と書いているのですが、特にヴィーガンの話を書くうえでは、か~な~り色々な研究論文を読みました。
そこで興味深かったのは、研究によって結果はまちまちでありつつも、かなりの確率で「菜食でも栄養バランスさえ気を付けていれば、妊婦や子どもを含めて実践可能」という結果が見られたこと。何でもバランスが大事やね。

あと、かなり最近聴いた番組Simple Vegan Podcastでの、菜食に詳しい医師姉妹による「肉食神話(Myth)」への疑問に答える回というのが、結構面白かったです。
ざっくりいうと、「ほぼすべての栄養素は植物性食品で賄える」「現代社会においてB12の摂取は動物肉由来だが、それも意図的に飼料に添加されるものなので、自分が信頼できるサプリメントを飲む方がいいのでは」といったお話がありました。それと、「プロテインの質比較のような問題は人によって異なるけれど、大事なのは食べた後にどのような健康効果(影響)があるかだ」というのも、確かに~と納得したり。雑訳でスミマセン。


こんな風に、世界ではすでに色々と科学的なエビデンスもあるのだけど、個人的には、確かに菜食よりのスタイルを実践するようになってからのほうが、若い時に比べて体の重さ・だるさを感じにくいな~とは思います。あと食べたものによって肌の調子がコロコロ変わるのだけど、菜食になってからは、それがほとんどない。

もちろん食事の量やタイミング以外にも、睡眠とか運動とか、あるいは成長期に伴う心身の調子など、さまざまな要素が絡み合っているので、絶対に「菜食万歳!」というわけではない。けれど、わたしの中では明らかに、菜食主義でいるほうが、身体も心も安定しているので、自然と続けられているのでした。


魚と、気候危機を巡る問題

先ほどご紹介したPodcastでは、「一方で魚介類の摂取の可否については、現在もさまざまな議論がある」という話もしていました。

たとえばアミノ酸とかオメガ3のような栄養は、魚介類に多く含まれているそうで、細かい構成要素の点からいえば、厳密には植物性食品ですべてを補うのは難しいようです。

あとだいぶ昔に発見したある研究では(リンクなくてごめんなさい)、どの食生活が一番健康か?という実験で、病気のリスクや寿命などの側面から、おそらく魚介類を時々口にするベジタリアン(ベスコタリアン)がベストなのでは、という結果もありました。まあ、これも人によるだろうけれど。


でも、番組のホストも懸念していたように、アニマルウェルフェアの観点以外の問題が、魚介には多くあるのも事実。現代の河川・海に流れるマイクロプラスチックが蓄積した魚の増加(今やほとんどそうなのでは?と言われている)や、危険な化学添加物入りの飼料を食べて育った養殖魚介など、これだけで「食べたくない・・」と思うようなポイントは、実はけっこうあるのです。
(めっちゃ余談ですが、過去に養殖サーモンの裏側を取材したドキュメンタリー動画をシェアしてくれた友人のブログに、ある日おそらく養殖業会計のロビイング活動をする人から超悪質なメッセージが届いたと聞いた。社会の闇)


こういう問題、これは現代畜産業や農業にも通じる話なのですが、プラごみの排出や農薬・化学成分入り飼料を土と水に垂れ流して汚染する行為が、巡りに巡ってわたしたちの心身の不調や周辺環境の破壊につながり、最終的には今も進行する気候変動にまで及んでいるという事実を、決して軽んじてはいけないと思うのです。
そういう意味で菜食を実践する人が、特に若者の間で広まっているというのも、うなずける。
つい最近はオックスフォード大学の研究で、菜食への移行で最大70%の温室効果ガス排出量を抑制できる可能性があるってニュースも出たばかりだし、意外と差し迫っている気候変動への対処として、菜食を実践する意味は健康以外のメリットもありそうです。

とはいえ、0/100 ではなく、たとえば魚介を含む動物性食品の摂取頻度を減らす、とか、特に環境へのインパクトが大きい牛肉を口にしない、みたいな選択だけでも、チリツモでかなり効果はあるはずです。

おなじく0/100の観点でいえば、いますぐに家畜や漁業をやめろ!というのは非現実的。今飼われている動物たちの未来や、業界に従事する労働者の雇先はどうなっちゃうの?という意見もあるはず。実際そこも気を配るべき問題だしね。
ただ、これもこれで、早急なフェードアウトを目指しつつ、たとえば家畜の飼育場だった土地を農地や森林に転用するための事業をつくって雇用創出をサポートしたり、わたしたち消費者のニーズが減れば頭数も自然と減らせると思うのです。
そもそも今あるシステム自体、とても持続可能とは言えないし、特に日本の家畜業界の現状は相当ひどいそうなので、どちらにせよ近い将来はやめなくてはならないでしょう。
(あ、でも伝統的文化として続いてきた最低限の狩猟や漁は、環境を破壊しにくいシステムとして長らく続いてきたわけだし、土地の性質上農業が出来ない場合もあると思うので、そういうのは個人的にいいのでは?と思っている。むしろ尊重すべきよね)


少しずつ、できることをやって、変化を起こせばいい。そういう意味でも、菜食の世界ってのは結構フレキシブルで、オープンマインドなのだ。


「大豆ミート」なのに菜食仕様じゃない日本のプロダクト

リトアニア暮らしで、たびたびお世話になったNaturliの植物性ミート。これはミンチタイプ。

最後に、日本の食事情から個人的意見を書き綴って終わりにしたいと思います。
この先、世の中の事情も変わるだろうし、それに伴って自分の意見も変わると設けれど、まあ今の時点ではこんな風に考えてますということで。


さて、世界では、禅や侘びさび・和食文化への注目度が高く、古くから菜食が発達してきた国としても評価されてきた日本。

・・・なのに、日本のスーパーや飲食店で手に入る食品って、びっくりするくらい菜食フレンドリーではないものが多い気がします。もちろん気を付けているものもあるけどね。でも大衆的で身近なお店ほど、そうでないものを扱っている確率が高かったりするのが問題だとも感じる。

たとえば、最近食べたものでは、母が買ってきてくれた大豆ミートボールやハンバーグ。
パッケージの表面には「Vegetable」みたいな文字が書いてあるのに、裏の原材料一覧をよく見ると、チキンエキスやブイヨン・ゼラチンのような表記が並んでいるというケースが、ほんと~うに多い。
原材料に特定できる名前が書いていなくても、最後のところに(原材料に豚肉・鶏肉を含む)みたいな文字を見つけることも多々あります。なんなら海藻ミックスみたいな製品でも、こういうのはざらにあるからややこしい。

もちろん外国ではこういうケースが一切ない、とはいわないですが、少なくとも自分が北欧エリアで暮らしている中で、スーパーでの買い物や外食で、どう見ても植物由来の食品ぽいのに実は動物性食品も入っていた!みたいなトラブルって、ほとんど、いやゼロだったと思うのです。今一生懸命思い出しているけれど、特に当てはまる事象がない。そもそもちゃんとマークが付いているしね。

まあ、なら大豆ミートや代替食品は買わなきゃいいやんって思うかもしれません。でもそれは個人レベルでも社会レベルでも、根本的解決にはならないと思うのです。
つまり、ほかの選択を与えられない人に対し「それは自分のせいじゃん」と不条理に攻め立てる姿勢と何ら変わらない。たとえ少数でも困っている人がいるならば、サービスを提供する側として、何かしらの形で選択肢を与えられるように工夫できるんじゃないかなって。
というかそもそも、マジョリティだけが暮らしやすく、マイノリティが辛い思いをするような社会システム自体を見直す必要がある。

それは例えば、自分がノルウェーに住んでいたときに感銘を受けたように、大体どこのレストラン・カフェにいっても、必ずひとつはヴィーガン仕様のメニューが見つかる。たとえそれ以外は当てはまらなくても、菜食を選択したい人からすれば、ひとつでも選択肢を与えられるだけで本当にありがたいものです。

そう。なんだか日本にいるだけで同調圧力や自己責任論を押し付けられがちな現代だけど、それは自分が何らかの形でマジョリティから外れた瞬間、この上なく生きづらい世の中に転落するということでもある。
今回は菜食の例を挙げているけれど、別になんだって当てはまるわけで、性別や年齢・学歴・病気に障害まで、個人の中でさまざまな「マジョリティ的側面」と「マイノリティ的側面」ってあると思うのです。
だから、自分には当てはまらない嗜好や価値観を「なかったことにする」のではなく、「違いを理解して受け入れる」ことができれば、結果的に自分自身も生きやすい世の中になるんじゃないかな~って。


と、最後は食の枠を随分とはみ出しましたが、この数年ずっと思い続けていることでもあるので書かせていただきました。
そもそも「この数年」ずっと現状が変わらないという点で、まあまあ問題だとは思うのだけどね。でも同時に、小さくても着実に1歩ずつ進んでいるという感覚もあるので、希望を忘れずに。

気軽に読んでねといいつつ、あちこち話が飛んだり、壮大なテーマを論点に扱ってしまったりしましたが、最後まで読んでくれてありがとうございました。
ぜひこの機会に、菜食、いや食全般のお話・健康や環境のトピックって面白いなと思ってくれる方が増えればうれしいな。

(あ、最後に、トップの画像はぜ~んぶ菜食!あるパーティでのポットラック(持ち寄り)料理を詰めたら、こんなにカラフルでおいしいお弁当が出来ました)


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