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文学フリマ札幌8

 会場に入ってすぐ売り子に見つめられるのに気圧されてしまった。ずっと曖昧な架空の存在だった〈読者〉がついにこのような姿で受肉したのだとまじまじ興味深げに見るかのようだった。僕は以前からこの姿でこの世に存在していた、という弁明が浮かんだ。軽い気持ちで見に行った自分の方があんな熱視線を浴びるとは。全然焦ってないように装って中央の見本誌スペースに退避した。

 事前情報を得ないまま行ったのでここで初めて中身を読んだ。正直に言って軽薄で興味を持てないものが多かった。元々ラノベっぽいものに興味はなかったのだが、その類の露出が多いと感じた。出店の審査(?)が緩くランダムサンプリングに近いと大衆の平均に漸近するのだろう、ということを考えていた。

 自分の勝手な期待だったのだが“文学”と銘打つからにはもっと「書かずにはいられなかった」というほとばしりがあってほしかった。職業作家でもない素人が、わざわざ時間を盗んでやらずにはいられなかった狂気のようなもの、これを書かずには死ねないという切実さを暗に期待していたのだった。高すぎる期待だろうか。型や場だけ整えるのもいずれ本物を生み出す土壌になるという側面が多分にあるのも分かるし、自分の好みに合わないからと言って否定はできない。

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 折角なので最初から何冊かは買うつもりでいた。2冊目を買おうとしてブースを確認したらさっき買ったところの隣だった。本質的にオタクでコミュ障なので(アッ…、買いづらいな…)と思った。ここで初めてジャンルごとに島が分かれてるのに気付いた。自分の好みで選ぶと大体近場で買うことになりそう。

 文章を読むうち自然に想像される書き手のイメージが、その場ですぐに実在の人物と結び付くのは妙な興奮があった。この人がこれを書いたのかと。「本の中にはあって、人間の中にはないもの」のように感じていた知性が、どうやらそこにあるらしいという奇妙な感覚。正直言うと買ったあと感慨深くて書いた人を後ろからバレないようにまじまじ眺めたりした。

 帰り道は少し気分が高揚していた。会場にいた人たちは皆「文学に興味があってこのイベントにわざわざ来た」という同じフィルターを通過したせいなのか、好みのジャンルこそ違えど、老若男女問わず一定の共通傾向を有していた気がする。気のせいかも知れないが、同類の中にいる本能的な居心地の良さがあった。
 言葉を交わすでもなくただその場に居合わせるだけでも、一つの立派な体験になっていた気がする。

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