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ゲイの友人が結婚した





ゲイの友人が結婚した。

女の人と結婚した。








「近々電話できる日ある?」

明日の夜なら、と返しながらトーク履歴を見ると、最後のやり取りは1年近く前の通話履歴であった。

たしかこのときは私が酔って電話をかけたのだった。
なぜ彼に電話をかけたのか、会話の内容さえ覚えていない。ただ、電話の切り際、いつも憎まれ口しか叩かない彼が「早くまた会いたい」と言ったのを鮮明に覚えている。
「急になんだよ、明日は雪か?」なんておどけてみせたものの、私も彼にとても会いたかった。


彼は今、長崎に住んでいる。
初めて会ったのは私がまだ10代の頃で、そのときは彼も東京に住んでいた。
1つ歳上の彼とは本をきっかけに仲良くなった。
カフェで本を読んで感想を語ったり、神保町の古本屋を巡ったり、読書仲間として関係を育んだ。

10年近い付き合いの彼と遊んだ回数は数え切れない。
旅行業に就いていた彼はコロナにより転職を余儀なくされ、地元である長崎に戻ってしまった。最後に直接顔を合わせたのは3年ほど前になるが、それでもたまにビデオ通話をしたり電話をしたりと関係が切れることはなかった。
私が胸を張って友人と呼べる、貴重な存在である。

そんな数少ない心を許した友人ではあるが、本の話しかしない私たちは正直お互いのことをよく知らない。

彼の本名も、家族構成も、好きなタイプも何も知らない。
恋愛遍歴も知らないし、どんな生活を送っているかもよくわからない。

だからだろうか、今回の電話で初めて彼の人生の一部を伝えられたとき、驚きよりも先に何か知ってはいけないものを知ってしまったかのような後ろめたさがあった。







「俺、結婚するんだ」

はっきりとした口調ではあるものの、寂しさを帯びた声はまるで罪の告白のようだった。
彼がバイセクシュアルではなくゲイであることを知っていたため、そこに対する後ろめたさがあるのだろうか。
私は電話越しでも伝わるように一層明るい声で祝福を述べた。
「え!!おめでとう!!!!!!」


あれはたしか、重松清の『とんび』の感想を聞いていたときだったと思う。

「俺もこんな父親になりたいな」と彼が当たり前のように言ったのだ。

それはとても不思議な感覚だった。
なぜならゲイである私には父親になるという選択肢が存在せず、想像さえしない未来だからだ。
当然彼も同じだと思っていた。

しかし、彼はその後も何度か自分の築きたい家族像や父親像に触れており、それはいつか絶対に訪れる未来のように語っていた。
だからこそ、彼からの結婚報告にあまり驚くことはなかった。


「職場の人?」

彼は「違うよ」と言った。続きの説明を待ったが沈黙が続くだけだった。
あまり深堀されたくはないのかもしれない、別の話題にした方がいいのかなと考えているとようやく彼が言葉を続けた。


「友情結婚なんだよね」


友情結婚。
友情結婚。
なるほど、友情結婚。
友情結婚がどのようなものか知ってはいたものの、なぜか単語を理解するのに苦戦した。


「俺はゲイだけど、どうしても子どもが欲しくて」

私は相槌を打ちながら、不思議なものだなぁと思った。
子どもが欲しいという感覚が自分には全くないからだ。

正直なところ、私は子どもが得意ではない。
うるさいから、とか、何をするかわからないから、とか明確な理由があるわけではない。
ただなんとなく苦手なのだ。

いくら渇望しようと決して手に入れられない幸せを、自分には関係ないものとして距離を置くことで心の安寧を保っているのかもしれない。

だからこそ、子どもが欲しいというそれだけの理由で、存在しなかった選択肢を作りさえしてしまえるのかと驚いた。

どのように相手を探し、どのような条件が2人の間にあるのかを聞いた。
興味本位の質問のため答えなくても大丈夫と伝えたが、彼は一から丁寧に説明してくれた。

2人の間にある取り決めを聞いているうちに、彼が彼女をとても大切にしていることが窺い知れた。

「お嫁さんがすげぇいい人でさ」

お嫁さん、その響きがとてつもなく浮いて聞こえ、私は声に出してその5文字を呟いてみた。

「今はお互い子どもが欲しくて一緒の目標に向かう戦友みたいな感じだけど、子育てが終わったとしても2人で仲良く暮らせそうな人なんだよね」

それはもう、普通の結婚ではないだろうか。
いや、普通の結婚、が何を指しているか私もよくわからない。しかし、少なくとも彼が感じている友情結婚に対しての後ろめたさは必要のないものに思われた。
もちろん、友情結婚ならではの問題というのも私には想像できないほどにあるのだろう。
しかし、彼であれば乗り越えていけるのだろうなと、無責任にもそう思った。




「俺から連絡することはもうないと思う」

一通り出会いや将来像を聞き終わったとき、突然そんな寂しい宣言をされた。

どうして。

「自分がゲイであることを消したいわけではないんだ。でも、結婚して子どもを産むって決めた以上、立派な父親になりたいんだ」

うん。

「俺は浮気をしない人間だと思う。でも弱い人間だから、覚悟を決めないと絶対に逃げてしまう日が来ると思うから」

う、ん。

「やっぱり男同士の恋愛にもきっと憧れちゃうし、ゲイの人と連絡を取ってると流れで浮気しちゃう気がする」

ゲイの人、というのは何だか不思議な響きだなと思った。

「極端だよな。ズルいと思う?」

思わない。
そんなことは絶対に思わない。
ただ、そこまで逃げ道をふさいでしまって大丈夫なのだろうかと思った。

今は良くても、いつか悩んだり苦しんだときに相談できる相手がいなくていいの?

「ゲイである俺が自分の子どもに出会えるんだよ。そんな我慢、いくらでもできる」

その瞬間、なぜか鳥肌が立った。
人生における決意、責任を伴う明確な決意を私は肌で感じたのだ。
彼はこんなにも偉大な人間だったのか。
私は本当に彼のことを何も知らなかったのだなと少し寂しくなった。

この先、彼には多くの苦悩や葛藤が待ち受けているだろう。
もしかしたら、彼の決意は儚く散り、いつかまた私と再会することもあるかもしれない。
しかし、どんなことをしても家族を守るという今この瞬間の決意は嘘偽りのないもので、とても崇高なもののように感じた。



「俺、友達少ないのにどうすんだよ」

私がそう言うと彼は笑った。

「素敵な人を見つけて、お前も幸せになれよ」

お前も。
間違いなく彼は今幸せなのだ。
それがとても嬉しかった。

きっと彼は素敵な父親になるだろう。
相手の方を知らないため無責任なことは言えないが、彼ならば素敵な夫にもなれるだろう。
彼は優しい優しい、私の友人なのだから。


ただ、やっぱり少し寂しい。
寂しい、うん、寂しいな。
素敵な本にめぐり逢えたとき、これから私は誰に伝えればいいのだろうか。

彼と一番最初に語り合った本、谷崎潤一郎の痴人の愛を読み返した。
10年という月日を経て変わった感想を、私は誰に伝えればいいのだろうか。

あぁ、寂しいな。

でも、やっぱり嬉しいな。
大好きな友人が幸せになる。
それってやっぱり、嬉しいな。

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